Night:4. Dangerous kiss




「はぁ…」


重苦しい溜息が背後から聞こえてきて、架院は読んでいた本を静かに閉じると、ウンザリした顔で振り返った。
そこには、さっきから浮かない顔で溜息をつきまくっている従兄弟、藍堂英の姿がある。
藍堂は窓の外をボーっと眺めながら溜息をつく、という行為を何度となく繰り返していて、すでに部屋の中は重苦しい空気に溢れていた。
その原因を分かっているだけに、架院も最初は無視していたが、これ以上、辛気臭い溜息を聞かされていては、自分までが鬱状態になってしまいそうだ。

「英…いい加減にしろ」

と、溜まらず苦情を言う。
それでも藍堂は架院の方を振り向きもせず、再び深々と溜息をついている。
それを見て、架院は口元を引きつらせながら、ゆっくりと立ち上がった。

「その溜息、何とかしろ英!!お前のソレのせいで部屋ん中が重苦しくて仕方ない!」
「……うるさいなぁ、暁は…だって出ちゃうものは止められないだろー」
「開き直りかよ…っていうか、何をそんなに溜息つく事があるんだ?会いたいなら会いに行けばいいだろう」

そう言ってからベッドに寝転ぶと、架院は欠伸を噛み殺した。
午前7時。この時間はヴァンパイアである架院たちが眠る時間だ。
だが今までなら架院よりも先にベッドに入っていた藍堂は、未だに窓にへばりついて、自分だけ寝ようとしている架院を睨んでいる。

「簡単に会いに行ければ苦労はしないよ。ちゃんは…これから授業なんだからさ」
「ならお前が早起きして、授業前に会えばいいだろが」

すでに布団に潜りつつ、寝る体勢になりながら、架院は苦笑した。
そもそも、あの夜以来、会う時間など作れたはずなのに、そうしないのは藍堂自身だ。
そしてその理由も知っているだけに、架院は笑うしかない。

「…今時、キスくらいで怒る女なんかいないよ」
「うるさいよ!!」

架院の一言に過剰反応した藍堂が、顔を真っ赤にしながら怒鳴る。そんな従兄弟を見るのは初めてで、今度は架院が溜息をついた。

「別に怒られたわけじゃないんだろ?なら何でそんなに気にするんだよ。だいたいオレ達は血を吸う事で欲情をかきたてられる生き物なんだから、その延長だろ、キスなんて」
「そりゃそうだけど……ちゃんはそんなオレ達の習性なんて知らないんだよ。ちょっと理性飛んじゃってたからってキスなんかしたオレの事、実は怒ってるかも――」
「ないない」
「人事みたいに言うなっ」
「人事だし」

いつものように冷めた言葉が返ってきて、藍堂はますます目を細めた。
ソレを見ながら、架院は困ったような顔で、「メールのやり取りはしてるんだろ?」と横になりながら頬杖をついた。
あの日以来、藍堂がいつも携帯を気にしてチェックしているのは知っている。
が、架院の一言に、藍堂はいきなり眉毛を下げて悲しそうな顔をした。

「…してない」
「あ?」
「あれから…何となく意識しちゃってメール、してないんだ…」
「はあ?」

泣きそうな顔でガックリ項垂れる藍堂に、架院はさすがに体を起こした。

「じゃ、じゃあ…あの子からは?」
「…あの夜からは一度もこない……だから怒ってるのかなあって思って…」
「でもお前もしてないんだろ?だったら――」
「だ、だけど普通なら僕から送らなくても、メールくらいしてくるだろ?元気?とか、会いたいなぁとかさ!」

目を潤ませながら迫ってくる藍堂に、架院は顔を引きつらせた。こっちから送っていないのなら、相手だって送りづらいだろう。
そんな事も分からないのか、と架院は大きく溜息をついた。

「あのな…あの日、彼女からメールもらっても返事もしてないんじゃ、彼女もメールなんかしづらいだろ…つかその前に今のお前みたいに悩んでるんじゃないか?」
「……え…っ」
「"何で藍堂センパイ、メールくれないんだろう…あんな情熱的なキスまでしておいて…。もしかして私の事、弄んだだけなのかな"とか思ってるかもしれないぜ?」

固まっている藍堂を見て、架院はからかうように、そんな事を言う。
それには藍堂も顔面蒼白といった感じで、「弄ぶはずないだろっ!」とムキになっている。
架院との付き合いが長いクセに、からかわれている事に気づきもしない。そんな単純な従兄弟を、架院は何気に気に入ってたりする。

「お前はそう思ってても、彼女にその気持ちが通じてないんだから、そう思われても仕方ないだろ。誤解されたくないなら悩んでないでサッサと連絡してやれよ」
「そ、そっか…で、でも何て言えばいい?」

携帯を握り締めながら藍堂が縋るように架院を見る。それには架院も「ガキじゃねーんだから」と苦笑いを零した。

「今までどおり軽いノリで元気?って送ればいいだろ。んで今日の夕方にでも会う約束――」
「そっか、分かった!―――あ、ちゃん?おはよう!僕だけど分かる?……うん。っていうか朝からゴメンね?起きてた?あ、ホント?あのさ、実は今日会いたいんだけど―」
「……………(メールじゃないのかよ…)」

いきなり直で電話をかけだした藍堂を見て、架院の目が更に細くなる。そんな事も気づかず、藍堂は嬉しそうな顔でとの約束を取り付けたようだった。

「…うん、じゃあ…午後4時に高等部の裏門前で ウン、じゃあとでね!」

満足げに電話を切った藍堂を見て、これでやっと"溜息地獄"から開放される、と架院は心からホっとした。
そして今度こそ寝ようと、布団に潜る。だがそれも甘かった、とこの後、架院は思い知る事になった。

「暁!今日ちゃんと会うことになったよ!何かプレゼントとか持ってった方がいい?っていうか、皆に見つからない場所ってどこか――」
「――うるさい!!」

ゆっさゆっさと体を揺さぶられ、架院は溜まらず布団から顔を出した。これじゃ脳みそも揺れて安眠できるはずもない。
藍堂は藍堂で怒鳴られた事でキョトンとしている。

「勝手に好きなとこで会えばいいだろ?つかお前はその後に授業があんだから、校舎の近くにしとけ!」
「何だよ、冷たいな暁は…。だいたい校舎の近くで会ったりしたら他の奴に見つかる可能性があるだろ?」
「じゃ中等部の方で会えよ…」
「や…それがその時間、中等部は部活やってるとこが多くて、人が多いっていうし…」

シュンと項垂れる藍堂に、架院は再び溜息をつく。そんな顔をされると、つい甘くなってしまうのは架院の昔からの悪いクセだった。
仕方ない、と二人がゆっくり会える場所を一緒に考えてやる。
といって、その時間はガーディアンがデイ・クラスの生徒がウロついていないか見回りをしている頃だ。
外で誰にも見つからず会うのは難しいかもしれない。

「僕がちゃんと一緒にいたら、ガーディアンの奴らに邪魔されそうだろ?」
「だな…。最悪、お前があの子を襲おうとしてるって誤解されて、玖蘭寮長にチクられるかも――」
「げっそれだけは困るよ!またバケツの刑…いやそれ以上に重たい、ムチの刑かも……っ」
「…………お前そんな事されてたのか…?」

思わず架院の目が細くなる。藍堂は特に気にもせず、「いや、された事ないけど」とケロっと答えた。

「…ビビらせんな…!オレまでバレたらムチ打ちの刑かと思うだろ!」
「や、でも、ソレくらい怒られそうじゃん。枢さまって何気にSっ気あるし――あ、今の内緒ね」

何気なく口止めする藍堂に、架院は「んなこと言えるわけないだろがっ」と突っ込み、ガックリと項垂れた。
だがふと顔を上げると、

「そうだ…」
「え?何?」
「その時間……"月の寮ここ"は誰もいなくなるよな……」
「え?」
「授業があるから寮には誰もいなくなるだろ?だったら……」

架院はニヤリと怪しい笑みを浮かべ、藍堂の耳元に口を近づけた。

「お前、あの子とここで会えよ」
「えっ!こ、ここ?」
「ああ。いい考えだろ?」
「で、でももし見つかったら――」
「大丈夫だって。皆が校舎に行った後、彼女を入れれば誰にも見つからない。んで授業前に彼女を帰せば問題ないだろ」
「あ、そっか……」

架院の提案に、藍堂も指をパチンと鳴らす。確かに授業中、寮の中は蛻の殻になる。
ここを出るのは授業が始まる一時間も前だから、裏口にいる門番にさえ見つからなければ、愛しいと誰にも見つかる事なく、密会できるだろう。

「ガーディアンの奴らはオレが上手く誘導するから…誰もいなくなったら、お前が彼女を中に入れろよ」

架院の言葉に、藍堂もやっと笑顔を見せた。

「あ、じゃあちゃんに時間を5時に変更してもらうようメールするよ」

と、いそいそと携帯でメールを打ち始める。そんな藍堂を見ながら、架院は内心苦笑していた。
が、ふと思い出したように、「英…」と声をかける。

「んん?何?」

メールを打ちながら返事をする藍堂に、架院は神妙な顔つきで、一言。


「いくら部屋で二人きりだからって…………ここであの子を襲うなよ?」

「―――え?」


ドキっとしたように振り返る藍堂に、架院は呆れた顔で言葉を続けた。

「ここで彼女に噛み付いてみろ。臭いでバレるぞ。しかも彼女にだって怖がられて――」
「あ、ああ……何だ、そっちか…」(!)
「あ?そっちってどっちだよ」
「べ、別に」

訝しげに眉を寄せる架院に、藍堂はエヘへと笑って誤魔化す。その態度に、架院はますます眉間を寄せた。

「……お前…まさか彼女を押し倒す気じゃないだろうな…」
「バ、バカ言うなよ!いきなり、そんな事するはずないだろっ!」
「じゃあ何でドキっとしたんだ?何かやましい気持ちがあるからだろっ」
「違うよ!ただキスくらいはしたいなって――」

真っ赤になりつつ振り向いた藍堂は、そこまで言うと慌てて口を塞いだ。というのも架院が呆れたように目を細めたからだ。

「ったく…。さっきまでは"キスしたこと怒ってるのかも"なんて心配してたくせに」
「…何だよ…いいだろ?怒ってなかったみたいだし…好きな子にキスくらいしたって!別に血を吸おうとか思ってないし……いやちょこっと吸いたいなぁとは思ったけど――」
「ダメだ!」
「む…分かってるよ。僕だってちゃんに怖い思いなんかさせたくないし!」

間髪入れずに反対され、藍堂は不満げに唇を尖らせた。それでもメールを送信すると、嬉しそうに返事を待っている。
少ししてからの返事が届くと、「"5時ですね。分かりました(^^)"だってさぁ〜♪可愛いなあ」と頬を緩ませた。
その浮かれた従兄弟を見ながら、架院はアホらし…っとベッドに潜り込む。

「あれ…暁、寝るの?」
「寝るよ!何時だと思ってんだ……お前も早く寝ろ!寝坊したら困るだろ?」
「はいはーいと。寝不足の顔で彼女に会えないからね。僕ももう寝るよ」

藍堂はそう言ってやっと自分のベッドへ潜り込むと、「お休みちゃん」と携帯にキスをしている。


「はあ…」


ソレを見て、今度は架院の口から、重たい溜息零れ落ち、静かな部屋の中に響いた。















「良かったね、連絡来て」
「う、うん」

京子からドンと背中を押され、は恥ずかしそうに微笑んだ。それでも嬉しい気持ちを隠せず、藍堂から届いたメールを何度も読み返す。
今は昼休みで、ランチの途中だった。あと数時間ほど我慢すれば、藍堂に会えると思うと、少し時間の立つのが遅く感じる。

「やっぱり忙しかったのよ。ほらナイト・クラスの人たちって、何だか難しい論文を発表したりしてるじゃない」
「そうだね…その辺の大学生よりも難しい事してるらしいものね」
「そうよー。それに藍堂センパイも先月その事でインタビューされてたし」
「え、そ、そうなんだ…」
「うん。高等部のセンパイに聞いたの。内容は分からないけど、色んな大学の教授が絶賛してたらしいわよ?」
「へ、へえ…」

その話を聞いて、改めて藍堂の凄さを実感しながら、同時に少し寂しくも感じていた。
そんな凄い人が、本気で自分を相手にするはずない、という思いが、再び蘇ってくる。
あの日、藍堂の正体を知ってしまったあの夜。最初は驚きはしたものの、藍堂がそれを自分だけに教えてくれた事を嬉しく思っていた。
もしかしたら自分と同じ想いを抱いてくれてるのかもしれない、と、そう思った。
でもあれ以来、何の連絡もなく、は不安になっていたのだ。
正体を知られてしまったことで自分から距離を置こうとしてるんじゃないか、とか、実は全てが嘘でからかわれたんじゃないか、とか色んな事を考えた。
だから怖くて自分からも連絡できずにいたのだ。
でもあの夜の事は夢ではないし、自分の首にも、襲われた傷跡が残っている。そして藍堂と唇を重ねた温もりも、ちゃんと覚えている。
それが余計に悲しかった。鳴らない携帯を抱きしめて眠った事も一度や二度じゃない。
けど…今朝、突然の電話で「会いたい」と言ってくれた藍堂に、は心の底からホっとしていた。

「いいなぁ、は!あんなカッコいい彼氏が出来て!」

サンドウィッチを頬張りながら、京子が溜息をつく。その親友の言葉に、の頬が赤く染まった。

「か、彼氏じゃないってば…」
「何言ってんの!こうして連絡してきたって事は藍堂センパイだっての事、ちゃんと好きって事でしょ?連絡来ないって聞いた時は遊ばれたのかと一瞬疑ったけど」
「……で、でもまた気まぐれかもしれないし…」
「だったらそれ確かめて来なさいよ」

京子の言葉にドキっとして、は目を伏せた。

「心配なんでしょ?なら聞いてみないと。藍堂センパイは何故私と会ってくれるんですかって」
「き、聞けないよ…」
「じゃあ、ずーっと不安に思いながらも、藍堂センパイに呼び出されたら会い続けるつもり?」
「それは……」
「そんなんじゃ、そのうち押し倒されてヴァージン奪われて、都合のいい女と成り下がる可能性、大よ!」
「ちょ、京子、声が大きいってばっ」

親友の大胆発言に真っ赤になりながら、辺りを見渡す。いつもランチをとる中庭には、他のクラスの生徒たちも何人かいるのだ。

「変なこと言わないでよ…私は別にそんなつもりじゃ…」
「じゃあどういうつもり?今の見てたら、藍堂センパイの言う事、何でも聞いちゃいそうだよ?」
「…う…」
「いい子なのもいーけど、何でもハイハイ言うこと聞いてたら、都合のいい女として見られちゃうかもしれないじゃない」
「あ、藍堂センパイはそんな人じゃ…ないもん」
「そう?分からないじゃない。だってそこまで彼の事、知らないクセに」

その一言にドキっとした。確かに藍堂の秘密は知っていても、藍堂自身のことを知っているとは言いがたい。

「あんなにカッコ良くて、モテモテの藍堂センパイが、中等部の子を本気で相手するかなって、私もちょっと疑問に思えてきたし…」
「京子…」
「ほら…私もけしかけたりしてたから心配になってきたの。見てたら本気で藍堂センパイのこと、好きなんだなぁって分かるし…」
「……わ、私は…」
「違う、なんて言わせないわよ?連絡ずっと待ってたの知ってるんだから」

苦笑交じりで肩を叩く京子に、は顔が赤くなった。同室なのだから、が携帯を抱きしめて眠っていた事も気づいていたんだろう。

「そんな顔するくらいなら、ちゃんと藍堂センパイに聞いた方がいいよ。これ以上、好きになっちゃう前にね」

京子はそう言いながら、の頭を軽く撫でた。キツイ事は言っても、心配してくれての事だと、にも分かっている。

「うん…分かった…」

そう言って顔を上げると、京子はホっとしたように微笑んだ。
















「あれ…藍堂は?」


授業に向かう為、皆で月の寮の正門前に集まった時、副寮長でもある一条が、藍堂がいない事に気づいた。
それには他の皆も互いに顔を見合わせ、「そう言えばいないな」と呟いている。
そこへ寮長でもある玖蘭枢が、架院の方へ視線を向けた。

「架院。藍堂はどうした?」
「いや、英はちょっと寝坊して…さっき慌てて用意してたから後から来ますよ」

緊張しつつ、何とか普通に振舞うと、枢は「そう…」とだけ言って溜息をついた。

「また新しい論文を書いてるのかい?藍堂が寝不足なんて」
「…さあ。オレは先に寝てしまうので分かりません」
「そう。でもあまり根詰めないよう、藍堂に言っておいてくれる?」
「分かりました」
「じゃあ行こうか」

枢がそう言うと、他の皆も後から続く。それを見ながら、架院は内心ホっと息をついていた。

(後は上手くやれよ?英……)

チラっと寮の自室の窓を見上げると、架院はそのまま、皆の後に続いた。
そしてそれを部屋の窓からコッソリ覗いていた藍堂は、皆が門を超えて出ていったのを見届けると、急いで部屋を飛び出していく。
外へ出ると、正門の向こうから、デイ・クラスの女子達がキャァキャァ騒いでいるのが聞こえてきた。
いつもなら、あの黄色い声の中に自分もいて愛想を振りまいたりもしているが、今日だけは皆に早く帰って欲しい気分だ。

「…まだかな…」

そっと門に近づき、向こう側の様子を伺う。デイ・クラスの女子達は、それぞれ目当ての人物の名を叫びながら、移動しているようだ。
その中に、藍堂の天敵でもあるガーディアン二人の声も混じっている。

「そこー!走らないで!怪我しちゃうでしょ!」
「テメーら、サッサと帰れ!!」

その声も次第に遠くなっていくのを感じ、藍堂はホっと息をついた。

(あいつらも校舎の方に行ったようだな…。って事は門の傍には誰もいないはずだ)

騒がしかった声が消えて、門の向こうはシーンと静まり返っている。藍堂は慎重に門を開けると、そこから外を見渡し、誰もいない事を確認した。

「よし、と…。今のうち…」

門の隙間から抜け出すと、藍堂はを待たせている場所まで中庭を抜けて走って行った。
月の寮とは対象の位置にある"陽の寮"の裏口近くで待ち合わせをしていた。
中等部とはいえ、制服がデイ・クラスとほぼ同じデザインなのを利用し、にそこで待っててと言ってあるのだ。
デイ・クラスの生徒が寮に戻る前に、迎えに行かなくてはならない。

「いた…」

藍堂の足で数分走った先には、陽の寮の裏門が見える。そしてそこの前には落ち着かないといった表情で、が辺りを見渡していた。

ちゃん」
「あ…藍堂センパイ…」

藍堂が声をかけると、はホっとしたように駆け寄って来た。その姿に藍堂も思わず笑顔になる。
あの夜以来、初めて会うせいで、二人は照れ臭そうな笑顔を浮かべながら、向かい合った。

「ゴメンね、待った?」
「いえ…でも見つかったらどうしようってドキドキしちゃいました」
「通り抜けるだけならバレないよ。それに今はデイ・クラスの子達も皆を追って校舎の方へ行ってるし」

藍堂はそう言って微笑むと、そっとの手を握り締めた。それだけでドキっとしたように顔を上げるに「行こう」と優しく促す。

「あ、あの……どこ行くんですか?」

急ぐように歩き出した藍堂を見て、は必死についていきながらも、気になって尋ねる。
てっきり中庭でほんのちょっと話すだけかと思っていたのに、藍堂は真っ直ぐ庭を突っ切っていく。

「外だとガーディアンの奴に見つかるから…」
「え、じゃあ…どこに…?」

気になってもう一度尋ねるに、藍堂はニッコリ微笑んだ。












「お…お邪魔します……」

緊張した面持ちで部屋に入るを見て、藍堂は内心可愛いなぁと思いつつ、廊下を見渡して誰もいないことを確かめてからドアを閉めた。
ついでにシッカリ鍵をかけると、がドキっとしたように振り返る。

「あ、いや…誰かが戻ってきたらマズイから…念のためだよ」
「あ、は、はい…」

変な誤解をされないよう、慌てて説明すると、も頬を赤くしながら俯いた。その姿を見ただけで、また藍堂の胸がキュンっと音を立てる(!)

(やっぱ可愛いなぁ…。ってか顔見た瞬間、抱きしめたくなったんだけど)

と、しょっぱなから、そんなやましい思いに悶々としつつ、を部屋のソファへと座らせた。
は興味津々に部屋の中を見渡し、豪華な調度品に驚いている。

「こ、ここ架院センパイと二人で?」
「うんそう。男だけのむさ苦しい空間だよ」
「そんな事……凄く片付いてるし驚いちゃった」

その言葉に、藍堂は笑顔を引きつらせながら、今朝までの散らかっていた部屋を思い出していた。
と言っても、主に部屋を汚すのは藍堂で、架院にはいつも怒られている。
が、今日はちょっとだけ早起きして、急いで部屋を片付けたのだ。本来なら、床やテーブルの上には、藍堂の持ち物ばかり、転がっている状態だ。

「あ…紅茶でも飲む?さっき淹れておいたんだ」
「あ、ありがとう御座います…。でも…藍堂センパイ、これから授業じゃ…」
「うん。でもあと一時間ほどあるから大丈夫。少しくらい遅れてもそれほど怒られないし。あ、僕、こう見えて成績いいからさ」

そう笑いながら、藍堂は紅茶の入れたカップをへと渡した。
もそれを受け取りながら、藍堂の書いた論文が、偉い教授たちに絶賛されていたという京子の話を思い出す。

(ホントに…凄い人なんだなぁ、藍堂センパイって…)

部屋の中に飾ってある数々の表彰状やトロフィーを見ながら、小さく息をついた。

それにしても……凄い部屋。何だか、どこかのお城にでも来たみたい…。これがナイト・クラスの皆が住んでいる月の寮なんだ…
エントランスも豪華だったし、私達が使っている寮とは全然違った。
さっきは"僕の部屋に行こう"なんて言われて凄く驚いたけど…ちょっと見学できて得したかも…あ、京子にも教えてあげようかな…

紅茶を飲みつつ、そんな事を思っていると、不意に藍堂が隣へと座り、ドキっとした。
あの夜以来、初めて会うから余計に意識をしてしまう。

(こんなんじゃ聞きたい事も聞けないかも…ドキドキしちゃって、そんな余裕ないし)

京子に散々言われた事を思い出しながらも、は藍堂の存在を意識しすぎて、固まってしまった。
その様子に気づいたのか、藍堂はふと顔を上げると、の方へ視線を向ける。

「どうしたの?ちゃん…急に大人しくなっちゃって」
「え?い、いえ…別に……」
「そう?あ、そうだ。暫く連絡しなくてゴメンね…」
「え?」

藍堂は思い出したようにそう言うと、カップをテーブルに置き、の方へ向き直った。

「いや…僕もちゃんから連絡ないなぁって思ってたんだけど、暁の奴にお前から送らないとダメだろって指摘されてさ」
「え…架院センパイが…?」
「うん。ちゃんも連絡待ってるんじゃないかって言われて……」
「………ッ」
「……もしかして…僕からの連絡待っててくれたりとか……した?」

藍堂のその問いに、はかすかに顔が赤くなった。それでも小さく頷くと、藍堂の頬も少しだけ赤くなる。
そして恥ずかしそうに頭をかくと、「ゴ、ゴメン…遅くなって」との顔を覗きこんだ。
目の前に蒼い瞳が見えて、僅かに鼓動が跳ねる。そんなを見て、藍堂もあっという顔で少しだけ距離を取った。

「…ゴメン」
「い、いえ…」

互いに照れ臭そうに俯く。その姿はとても先日、キスを交わした二人とは思えない。
それでも藍堂は軽く鼻先を指でかきながら、もう一度を見た。

「えっと…」
「あの…っ」
「…え?」

何か話そうと口を開きかけた時、不意にが顔を上げ、その真剣な瞳に藍堂はドキっとした。

「な、何?」
「い、いえ…あの…」

何とか笑顔で答えると、は話しにくそうに視線を反らし、それでも思い切ったように藍堂を見た。

「あの…藍堂センパイは…どうして私と……」
「え…?」
「い、いえあの…」

口にしたはいいが、藍堂の目を見てしまうと、途端に勇気がしぼんでいく。
聞きたい事はいっぱいあるのに、どうしてもその先が出てこない。
そんなを見て、藍堂は訝しげに首を傾げた。

「…ちゃん…?」
「えっと……」
「何?何かあるならハッキリ言ってくれていいよ」
「藍堂センパイ…」
「話して」

その優しい言葉に、は軽く息を吸い込むと、小さく頷いた。

「あの……藍堂センパイはどうして私に……話してくれたんですか…?」
「え…?」

どうして会ってくれるのか、と聞こうとしたが、不意にそんな言葉が口から漏れる。
よく考えてみれば、最近知り合ったばかりのに、藍堂が大切な自分達の秘密を全て話してくれた事も気になっていたのだ。
は藍堂を見上げると、真剣な顔で、もう一度、「どうして教えてくれたんですか?センパイの秘密…」と尋ねた。
その問いに、藍堂は一瞬驚いた顔をした。その顔を見て、聞かなければ良かったかな、とふと心配になる。
でも藍堂にしてみれば、それは大切な秘密であり、簡単に人に教えていいはずがないことくらい、にだって分かる。

「藍堂センパイ……」

黙ったままの藍堂に不安になり、は藍堂の手を掴んだ。が、その瞬間、逆にその手を握られ、軽く引き寄せられる。
その突然の行為に驚き、体を捩ったが、強く抱きしめられ、大きく鼓動が跳ねた。

「あ、藍堂…センパイ…?」
「…やっぱり……僕のこと、怖い?」
「……え?」
「…あんなこと言って…やっぱり君の事、悩ませちゃったかな…」
「藍堂センパイ……」

先ほどと違って、真剣に聞こえる藍堂の声に、の心が揺さぶられる。
そんなつもりで言ったわけではない、と言いたいのに、抱きしめられている強い腕に言葉が出てこない。

「……ゴメン。辛いなら今度こそちゃんと君の記憶を――」
「違…っ消さないで下さい…!」
「―――ッ」

僅かに体が離れかけ、は咄嗟に叫んでいた。
藍堂が驚いたように、その綺麗な瞳を見開く。は藍堂に縋るように、「消さないで…」と訴えた。

ちゃん…」
「…秘密を知ってしまったから辛いんじゃない…辛いのは…私が藍堂センパイとは違うって事だけだから……」

そこまで言って、溢れた涙が零れそうになり、は慌てて俯いた。

「ご、ごめんなさい…こんなこと言うつもりじゃ……ただ…藍堂センパイがどうして私なんかに話してくれたのか…分からなくて、だから――」
「…君だからだよ」
「…………ッ」

静かな声がの言葉を遮る。ドキっとして顔を上げると、藍堂が優しい瞳でを見つめていた。

「ゴメンね…。そんな事まで気にさせていたなんて知らなくて……」
「…そんな事…っ…」

思い切り首を振ると、藍堂は優しく微笑み、の頬にそっと手を添えた。
その温もりに溢れていた涙が零れ落ちる。藍堂は零れ落ちた涙を指で拭うと、そこへそっと口付けた。
ドキっとして顔を上げるに、藍堂は微笑むと、もう一度強く抱きしめる。その力強い腕に、は藍堂に本気で惹かれている自分の心に気づいた。

「…あの日…本当は…君の記憶を消すつもりだった……」
「………ッ」
「でも……出来なかった」
「ど…うして…」
「この前も言ったろ…?僕もあの日のこと忘れたくなかったから…だから迷ったんだ。でも君は僕の力を見てた…あの時…君に嘘はつけないって思って、そしたら自然に話しちゃってたよ」

藍堂はそう言うと、ふと真剣な顔でを見つめた。

「君が……好きだから」

ハッキリと告げる藍堂に、は短く息を呑む。その瞬間、不安だったはずの心が、嘘のように軽くなっていった。

「……私…も……藍堂センパイが好き…」

胸に顔を埋めるように呟くに、藍堂がふと嬉しそうな笑みを零す。かすかにの体が震えているのは、恥ずかしいからだろう。
好きだと言うだけで、こんなにもいじらしい顔をする子は初めてだ、と内心思いながら、そんな事さえ愛しくて、藍堂はの額にそっと口付けた。

「…あ…藍堂センパイ…?」
「…ちゃんがあんまり可愛いから、理性吹っ飛びそう」

額へのキスだけで頬を赤くするに、藍堂は正直な感想を口にした。案の定、の顔は一瞬で耳まで赤くなり、藍堂から離れようとする。
それを容易く腕に引き戻すと、藍堂はその細い首筋にも軽くキスをした。その感触にが小さく声を上げる。そこは未だバンソウコウが張られていた。

「…傷…治った?」
「……ま、まだちょっと…でも痛くは――」

そう言った瞬間、張られていたバンソウコウを取られ、ドキっとした。

「…セ、センパイ…?ん、」

塞がりかけていた傷を軽く舐められ、ビクンと体が跳ねる。同時に、血を舐められたあの夜の事を思い出して顔が熱くなった。
あの時、藍堂は理性を失っていたようだった。もしかして、また?と一瞬、不安になる。でも不思議と怖いとは思わない。
もし今、藍堂が首筋に噛み付いてきたとしても、それを素直に受け入れられるだろう、とは思っていた。

「あ、あの…」
「かすかに…ちゃんの血の臭いがする……」
「………ッ」

首筋に鼻先を近づけ、そう呟く藍堂の吐息がかかり、息を呑んだ。柔らかい栗毛色の髪が、の頬を擽る。
それがくすぐったくて、は小さく首を窄めた。

「セ、センパイ……血が…欲しいんですか…」

何となく求められてるような気がして、そんな言葉が口から零れ落ちる。
だが藍堂はハッとしたようにから離れ、「ゴメン」と困ったように微笑んだ。

「僕らヴァンパイアは…相手の血を吸って想いを満たそうとする生き物なんだ…」
「え……?」
「だから…好きな子が目の前にいると、どうしてもその衝動が起こる…。人間の君からしたら、こんな僕は恐ろしい化け物に見えるんだろうけど――」

そこで藍堂は言葉を切った。が思い切り自分の首にある傷口を、爪で引っかいたからだ。
塞がりかけていた傷口から、赤い血が溢れてくるのを見て、藍堂は目を見開いた。

「な、ちゃん、何して――」
「私は…藍堂センパイのこと、化け物だなんて思ってない…」
「え…?」
「私の血が吸いたいって思ってくれるなら…それは藍堂センパイが私の事を想ってくれてるからでしょう……?」
…ちゃん……」

大きな瞳に涙を溜めているを見て、藍堂の胸が大きな音を立てた。
目の前で流れ出す赤い血にではなく、の自分への想いに、体中が熱くなる。

「…吸ってくれていいのに…って…思ったらダメですか…?」
「………ッ」
「私の血は……藍堂センパイだけのものだから…」

そう言って藍堂に抱きつくと、はぎゅっと抱きしめるように腕に力を入れた。その手も僅かに震えている。
それを感じて、藍堂もの体を抱きしめた。そうする事で、さっきよりも血の香りが強く鼻をつく。

「………ちゃん…」

その甘い香りに自然と呼吸が乱れ、藍堂はの首筋に顔を埋めていく。の細い腰を抱き寄せれば、自然と白い首筋が露になった。

「…っハァ…や…っぱり…ダメ…だよ…こんな…の……君を…傷つけるなん…て…」
「いいんです……藍堂センパイなら…怖くない……」

ギリギリのところで血の誘惑に負けまいとする藍堂に、は小さく呟いた。
それでも藍堂は次第に虚ろになっていく目で、を見つめる。どこか熱に浮かされたその表情ですら愛しく感じて、の鼓動が小さく跳ね上がった。

「…吸って……下さい…」

囁くように言った瞬間だった。首筋に藍堂の熱い吐息がかかり、僅かに肩が跳ねる。同時にぺロリと傷口を舐め上げる舌の感触に、頬がカッと熱くなった。

「……んっ」

ピチャピチャと流れる血を舐める音…そして舌と一緒に首に触れる牙…それら全てを全身に感じ、は身体が震えるのが分かった。
でもそれは恐怖などではなく、全く別のものだ。
そしてハァ…と乱れた呼吸を最後に感じた瞬間、ブツッという"あの"音がして、僅かな痛みが体に走る。

「…ぁ…っ」

藍堂の牙が傷口から体内に深く刺さるのを感じた時、は軽く唇を噛み締めた。最初のような痛みは感じない。
ただ体中の熱が奥から溢れ出てくるような、高揚感を感じた。
を抱きしめる藍堂の手に、力が入る。制服を握り締めるその手を感じながら、はゆっくりと目を開けた。

「……ん…ぁ…」

ゴクリ…ゴクリ…と血を飲み干す音がすぐ近くで聞こえる。その音はどこか淫靡でいて、甘い夢のようだ。
吐息が乱れてるのは藍堂のはずなのに、血を吸われているの息も、気づけば上がっていた。

「…ハ…ァ…藍…堂センパ…ィ…」

小さな痛みが次第に薄れ、甘い疼きが身体を襲う。藍堂の舌が傷口に触れるたび、ビクンと肩が跳ねた。

「……ちゃ…ん」

くちゅ…っという音と共に、掠れた声が名前を呼ぶ。牙が解かれたのか、溢れる血を舐めとる感触に、はハッと息を呑んだ。
同時に藍堂の舌先が唇に触れ、かすかに血の臭いが鼻をつく。

「ん…ふ…っ」

唇を舐められたと感じた時には、真っ赤に染まったそれは口内へと侵入していた。あの夜と同じように舌を絡み取られ、鼓動が大きく跳ねる。
理性を失った藍堂は、執拗にの口内を愛撫しながら、そのままソファへとを押し倒した。

「…ん…藍堂…セン…パイ…」

その突然の展開と、不意に首筋へと戻っていく唇の感触にドキっとして、が身体を硬くする。

「……や…」

ちゅっと口付けてくる藍堂に、さっきとは違う欲を感じて、ビクっとなる。ふと見上げれば、赤い血色の瞳がを見ろしていた。

「あ…藍堂…センパイ…?」
「……やっぱり…甘いね…君の血は……」

そう囁かれて頬が赤くなる。藍堂の口元は血で汚れ、薄く開いた唇からは鋭い牙が見え隠れしていた。

「…あ…藍堂……ん、」

少しだけ怖くなって開きかけた口を、藍堂の唇が塞ぐ。さっきよりも貪欲に求めてくる口付けに、の身体が何度も反応した。

「ん…や…」

舌を何度も甘咬みされ、強く吸われると、頭の芯がジーンとしてくる。その時、血とは違うものを求められてると感じ、は軽く首を振った。

「…センパ……イ」
「………ッ」

のその反応に、藍堂はそこで初めて唇を離し、自分の唇をぺロリと舐めた。そして真っ赤に染まったの頬に、ふっと笑みを漏らす。

「ゴメン…強引過ぎたね」

そう言って最後に軽く唇にキスを落とす藍堂の表情は、気づけば普段のものへと戻っていた。

「あ…藍堂……センパイ…?」
ちゃんの血が凄く甘くて美味しいから、ちょっと欲情しちゃったよ」
「……な……っ」

その一言に首まで赤く染まるを見て、藍堂は困ったように微笑んだ。
そして首筋の血を綺麗に舐め上げると、そこへ優しく口づける。はその行為に固まったまま、藍堂を見上げた。

「…これで血は止まったから…」
「…え…?」
「痛かった…?」

心配そうに尋ねる藍堂に、はハッとしながら慌てて首を振る。今も先ほど感じた痛みはなく、ほんの少し疼いてるくらいだ。
藍堂はホっとしたように微笑むと、

「そう…なら良かった…っっていうか、これ以上、こうしてたら、また理性が飛んじゃうな」
「え?わ…っ」

グイっと腕を引っ張られ、はそのまま身体を起こした。それでもすぐに藍堂に抱きしめられる。

「…怖かった?」
「こ、怖くなんか……ただ…恥ずかしかっただけ…です…」

藍堂の問いが、血を吸った事ではなく、先ほどのキスの事だと気づき、は小さく首を振った。
すると耳元でクスクスと笑う声が響く。

「…ちゃんが可愛いから歯止めが利かなくて…ゴメンね」
「………ッ」
「僕らは血を吸うと…気分が高揚して相手の全てが欲しくなるんだ…さっきも…ちゃんのこと凄ーく抱きたくなったっていうか――」

それを聞いてがギョっとしたように身体を離す。その様子に藍堂は再び苦笑いを浮かべた。

「そんなすぐに逃げなくても……」
「あ、ご、ごめ…」
「傷つくなぁ……僕に触れられるの、そんなにイヤなんだ…」
「え、や、あの…」

ズーンっと沈んでいく藍堂を見て、はわたわたと慌てながら首を振る。
そんなを横目で見ながら、藍堂は更に悲しそうな顔をした(確信犯)

「…血は吸ってもいいけど、それ以上はダメなんて…僕らには蛇の生殺しだよ……」
「そ、そんな…っていうか私は別に藍堂センパイにそういう事されるのがイヤなんじゃなくて、ちょっとだけ…その怖いっていうか恥ずかしいって――」
「……ぷっ」

真っ赤になりながら説明するを見て、藍堂は溜まらず噴出した。

「…ぁははっ嘘だよ!」
「……え?」
「ちょっとちゃんをからかっただけ。困ってる顔、可愛いからさ」
「な……ヒ…ヒドイ…私は本気で――」

からかわれたのだと気づき、僅かに頬を膨らませるに、藍堂は困ったように微笑んだ。
そしてその膨れた頬に唇を寄せると、「そんな顔するちゃんも悪いよ」と、キスを落とす。
その行為で、文句を言いかけたの言葉は、すぐに消えてしまった。

「ズルイ…藍堂センパイばかり、いつも涼しい顔なんだから…」

真っ赤になったまま、小さく呟くと、は火照った頬を手で包んだ。そんな顔を見て藍堂は優しく微笑む。

ちゃんだってズルイよ。そうやって僕の心を揺さぶるんだから」
「わ、私は別に…っ」
「これでも僕、かなり我慢してるんだけどなー」

そう言いながら、を抱き寄せると、頭にそっとキスをした。

「セ、センパイ…?」
「僕はこう見えて、かなり独占欲は強いし…出来ればちゃんの全てを僕のものにしたいって思ってる。血を吸う行為以外の事もそれなりに好きだし?」
「………ッ」
「でも……そこは無理強いしないよ。ちゃんが許してくれるまで」

藍堂はそう言って苦笑すると、

「本当は…校内での吸血行為も校則で禁止されてるから、それも我慢しないといけないんだけどさ」
「…え……そんな校則があるんですか…?」
「まあね。高等部は中等部と少し違う環境だから仕方ないんだ。じゃないとデイ・クラスの生徒が全員、襲われちゃうかもしれないし」
「……あ…」
「だから理事長が厳しく管理してるんだ。僕らのこと…」
「じゃ…じゃあ私…藍堂センパイに校則を破らせるようなマネを――」
「いいんだ。そんなの気にしないで…僕は…凄く嬉しかったから。バレて怒られても悔いはない」

そう言って微笑むと、藍堂はの唇に優しくキスをした。それだけで再び頬が赤く染まる。

「そろそろ行かなくちゃ…」

ふと時計を見て呟く藍堂に、はドキっとした。気づけば外は薄暗く、すでに午後5時半を回っている。

「あ…じゃあ…私、帰ります…」
「待って、送るよ」

急に立ち上がったの手を掴み、藍堂が微笑んだ。だがは慌てて、「一人で戻れます」と首を振った。

「でももう暗いし危ない。せめて中等部の門まででも――」
「い、いいです。そんな事してたら藍堂センパイ、遅刻しちゃうし…」

あくまで藍堂を気遣う。それには藍堂も苦笑するしかない。

「じゃあ…せめて陽の寮のところまで。中庭を使ってくれると僕も安心なんだけどな」
「…あ、はい…」

ちょっと考えながらも、それなら間に合うかもしれない、とは頷いた。本当はだって、もう少しだけ藍堂と一緒にいたいのだ。

「あ、ちょっと待って…その傷、隠さないと」

藍堂はそう言うと、新しいバンソウコウをの首へと貼った。そして部屋に残ったかすかな血の臭いを消すのに、香水を振りまいている。

「こうしないと暁にバレちゃうからねー」
「え、架院センパイにバレても…怒られるんですか?」
「うん。さっきも血は吸うなって忠告されたし」
「……ご、ごめんなさい…」
「何でちゃんが謝るの?我慢できなかった僕が悪いんだよ」

申し訳なさそうに俯くの頭を、藍堂が優しく撫でる。

「それにちゃんの甘ーい誘惑に勝てるはずもないしね
「……そ…そんな言い方…やめて下さい…誤解されそう…」

真っ赤になって睨んでくるに、藍堂も小さく噴出すと、「だって本当の事だし」と、肩を竦める。
どこか顔がサッパリとしているのは、やはり久しぶりに本物の、それも愛しい子の血を飲んだからだろうか。

「あ、じゃあ行こっか」

と、藍堂がの手を取った時だった。突然、ドンドンっとドアが叩かれ、二人はギョっとした。

「おい英!ここ開けろ!いるんだろ?!」
「げ……暁だ」
「え…っ」

いきなり架院が戻ってきた事で、互いに顔を見合わせる。だが全てを知っている架院を無視するわけにもいかず、藍堂は渋々ドアの鍵を開けた。
その瞬間、勢いよく架院が入ってくる。

「遅いぞ、英!」
「ゴメン。今から行こうかと……あ、そうだ。こちらちゃん」
「あ?ああ……どうも…って知ってるよ!前に紹介してもらっただろがっ」

藍堂のボケに架院が突っ込む。そのテンポの良さに、は目を丸くした。
だが藍堂はそんな架院を無視して、「彼女を送ってから行くよ」と、そのままを連れて部屋を出ようと歩き出す。
架院は呆れたように溜息をつきながら、

「ああ……って、ちょっと待て!」
「ぐえっ」

振り向きざまに架院は藍堂の首ねっこを思い切り引っ張った。

「何すんだよ暁!首が絞まるだろっ」
「んな事より……お前、オレに何か言う事ないか?」
「…………ッ(ギクッ)」

架院の鋭い視線に、藍堂の笑顔も引きつっていく。架院はそんな藍堂を見ながら軽く鼻を動かすと、

「かすかに……血の香りがすんだけど……これはオレの気のせいか?」
「な、何のこと?ってかあれじゃない?暁も欲求不満で幻覚ならぬ、幻臭を――」
「ふさけんな!つーかお前、この子の血、吸ったろ!」

さすがに架院を誤魔化せるはずもなく、藍堂は深々と溜息をついた。で、怒ってる架院に怯えたように、藍堂の背中にしがみつく。
その行為に顔が緩みそうになったが、目の前で殺気を漂わせている架院を見て、藍堂は口元が更に引きつった。

「わ、悪かったよ…。ほんの少しだけだから――」
「少しもくそもあるか!いくら彼女でも校内での吸血行為は一切禁止されてる!玖蘭寮長にバレたらそれこそお前、バケツの刑じゃすまないぞっ?」
「わ、分かってるよ」

枢の名前を出され、一瞬怯む。が、そこへが慌てて間に入った。

「藍堂センパイは悪くありません!ダメだって言われたけど、吸ってといったのは私ですっ」
ちゃん…」


必死に藍堂をかばう姿に、架院は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに溜息をついた。

「…あんた……見た目と違って、かなり大胆なんだな…」
「………ッ」

架院の一言に、の頬が一瞬で赤く染まる。そんなに苦笑しながら、架院は肩を竦めた。

「まあ…あんたも英の事が好きだから、そう言ってくれたんだろうけど…それはコイツの為にならないっつーか…」
「ご、ごめんなさい…」
「ちょ、ちゃんが謝る事ないよ。僕が我慢出来なかったのが悪いんだし…!」
「でもやっぱり私が何も知らないで吸ってなんて言ったから…」
「いーや!僕が悪いんだ。今度から気をつける。ちょっと…キツイけど、でも我慢できるように頑張るから…」

藍堂はそう言いながらの頭を優しく撫でている。その姿を見ながら、架院は苦笑交じりで溜息をついた。

(ったく…ホントに惚れてんだな…。あんなに優しい顔しやがって…)

内心、呆れつつも、少しづつ変わっていく従兄弟を見て、架院は優しい笑みを浮かべた。
これまで我がまま放題だった藍堂も、の存在で少しは大人になったようだ。

(アイツの口から我慢する、なんて言葉を聞くとはな…)

必死でを宥める藍堂を見ながら、架院は小さく息をついた。そろそろナイト・クラスの授業が始まる時間だ。

「おい英…そろそろ行くぞ」
「先に行っててよ。僕は彼女をそこまで送ってくるから」
「い、いいです。もう時間もないし…私はちゃんと戻れますから」
「でも……」
「ここは学園内の敷地だし大丈夫だろ」

渋る藍堂に苦笑しながら、架院がそう言えば、も笑顔で頷いた。

「架院センパイの言うとおり、大丈夫です」
「…ホントに?」
「はい」
「じゃあ……下まで一緒に行こう。――それならいいだろ?」

最後は渋い顔で架院の方へ視線を向ける。まあそこまで反対するのは可愛そうだ、と架院も苦笑交じりで頷いた。
それから三人で外まで出ると、は一人、中庭を通って戻っていく。陽の寮から更に奥へ行けば、中等部へ通じる通路があるのだ。

「気をつけてね!」
「はい…藍堂センパイ、架院センパイ、授業頑張って下さいね」

可愛らしい笑顔で手を振ってくるに、藍堂は顔を緩ませながら手を振っている。それを横で見ていた架院は、やはり深々と溜息をついていた。

「はあ……見えなくなっちゃった…」

の姿が見えなくなった事で、しょんぼりと歩き出す藍堂の後から、架院は呆れ顔でついていく。
もう後、2〜3分もすれば授業開始のチャイムが鳴る頃だ。

「で?どうなったんだ?お前ら」
「何が?」

校舎へ向かって歩きながら尋ねると、藍堂がふと架院を見た。
その顔はさっきとうって変わって、少し寂しげだ。

「だから……今後どうやって付き合うことにしたんだよ」
「…そんな話してないけど…好きだとは言ったよ?そしたら血を吸って下さいってちゃんが…――――って、睨むなよ…」

架院が目を細めると、藍堂は思い切り唇を尖らせた。

「ったく…。いくら好きな子でも我慢しろよ…。あの子は普通の人間なんだぞ?一歩間違えたら殺してたかも――」
「そんな事するはずないだろ?ちゃんと、そこは加減したよ…。僕だって彼女を傷つけたくないんだ」
「分かってるならいい。でも…今後、二人きりで会う時は気をつけろよ?」
「はいはい…。はあ……また明日会えるかなぁ…」

藍堂はつまらなそうに、そんな事を言っては暗くなった空を眺めている。
たった今、別れたばかりなのに、もう寂しいと言いたげな従兄弟を見て、架院は少しだけ、羨ましいと感じていた。

「そんなに好きなのかよ。あの子のこと」
「…うん。会ったばかりなのにおかしいかな」
「別に…。そういうこともあるだろ。こんだけ長く生きてりゃ」
「でも僕はこんな気持ちになったのは初めてだよ…人間の子に恋しちゃうなんて…思ってもみなかった」
「オレも驚いてるよ。はあ……皆にバレたら何を言われるか…」

架院はそうボヤきながら、隣で色ボケ中の従兄弟を睨んだ。いつも藍堂のとばっちりを受けているからか、今回もどこか心配らしい。

「ま、せいぜい嫌われないようにしろ。オレ達とあの子の住む世界は違う。いつか別れなくちゃいけないって事も考えながら付き合え」
「なーんか嫌な言い方」
「だって実際そうだろ?オレ達と彼女は生きる時間が違いすぎるんだ」
「はあーー永遠の命なんていらないから、彼女と一緒にいたいよなぁ」
「言ってろ……」
「あ、何だよ、そのバカにした顔」
「別に〜。ところで……あの子の血、どんな味?美味かった?」

興味を持ったのか、ふと架院が藍堂に訪ねる。その途端に、藍堂の顔の筋肉が、いつもの倍は緩んでいく。

「そりゃーもう蕩けるような甘さだよ。全身で僕のことが好きって言ってるのが分かるくらいね」
「…ケッ。さっそくノロケかよ……」
「ふふーん。悔しかったら暁も早く彼女見つけろよ。じゃないと、そのうち干からびるぞ」
「ほっとけ!」

藍堂の嫌味に顔を顰めた架院は、藍堂の頭を思い切り小突いたのだった。







何だか終われない…(涙)
一話ごと短編で書いていく形になりそうな予感…(特にストーリー性はなし)
あ、それとヴァンパイア騎士は流血シーンが多々登場するので、一応注意書きも載せておきました。




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