反抗期



1.

無事、高校に受かったの注文していた制服が届いた。その時はも大喜びで試着をし、蘭や竜胆をデレさせていたが、遂に入学式が一週間後に迫った今日。待ちきれなくなったは再び制服をクローゼットから引っ張り出していた。前に一度試着をした際、「汚すと大変だから入学式までしまっとこうな」と蘭に言われたものの、ちょっとくらいなら…という気持ちで鏡を前に制服を体にあてる。が入学する高校の制服は都内でも可愛いと評判で、某ブランドのデザイナーが手掛けているというのもあり人気が高いらしい。キャメルカラーのブレザーに赤いリボンとネクタイの二種類があり、どちらでも好きな方をつけることが出来るのもポイントが高く、大きなチェック柄のスカートもは気に入っていた。アヤと同じ高校なので、アヤが着ているのを見てた頃から、はこの制服に憧れていた。

「んー…ちょっとくらいならいいかなぁ」

鏡を見ていると、やはり直に着たいという欲求にかられ、は春用のルームウエアを脱ぎ捨てると、いそいそと制服に着替えだす。シャツは新品なので、部屋着の上からブレザーを羽織り、一番の目的であるチェック柄のスカートを穿こうと足を入れて腰までぐいっと上げていく。ところが、この前着た時のようにすんなり腰まで上がらず、何故かお尻の辺りできつくなった。

「む…?」

途中まではスムーズに上がっていたにも関わらず、何故上がらないんだろうとは首を傾げた。

(前は簡単に穿けたのに…)

は何とか穿こうと、スカートをぐいぐいと上にあげようと試みる。なのに、やはりお尻がつかえて、そこから一切上がってくれない。少しムキになったは、更に力を入れながらお尻を無理やり通す勢いで動かしていく。その時――ブチっという嫌な音が聞こえた。

「……あ」

何かが切れたような感覚があり、ざわざわと胸の辺りに焦りがこみ上げて来る。そしては自分がやらかしてしまったことに気づき、目をまん丸くした状態のまま、しばし固まってしまった。






2.

が制服をこっそり試着していた頃、蘭と竜胆は珍しくキッチンに立っていた。灰谷家の食事はだいたい外食かデリバリーと決まっているが、この日はがカレーを食べたいと言い出した。最初はカレー専門店に連れて行こうと思っていた蘭だったが、今日はあいにくの雨。それも春の嵐のごとく強風まで吹き荒れている最悪の天候だった。となればデリバリーか?と考えたものの、家に肉や野菜のストックがあったのを見て、久しぶりにカレーを作るかという流れになった。

「兄貴の作るカレー美味いんだよなー」

と竜胆が喜んで手伝うほど、蘭の作るカレーには定評がある。蘭もにはまだ自分の作るカレーを食べさせたことがなかったというのを思い出し、張り切って作り出した。辛いのが苦手なの為に自分達用とは別に、甘めのカレーを小鍋に作る。が食べやすいよう、肉や野菜を一口サイズにすることも忘れない。もちろんが喜ぶように形は花を象ったものだ。

「…兄貴、のカレーの方が気合い入れてね?」

わざわざ生クリームを足してあげているのを見て、竜胆が突っ込む。メインである自分達のカレーよりも手間をかけた小鍋のカレーの方が何気に美味しそうだった。

「別にオレらが食うのは普通のでいいだろ。それとも野菜を花にして欲しいのかよ」

蘭に鼻で笑われ、竜胆の目が細くなる。

「いや、そうじゃねえけどー。相変わらず甘やかしてんなあと思っただけ」
「そりゃ灰谷家の家訓は"ファースト"だからなー♡」
「そうだっけ?!」

もはや突っ込んでも仕方がないと理解はしているけれど、突っ込まずにはいられない竜胆。そもそも我が家に家訓なんてものがあるとするならば…

1."蘭には逆らうな"

2."蘭には逆らうな"

3、4がなくて、

5、"蘭には逆らうな"

これ一択だった。

「で~きた♡」
「おぉー美味そー!カレーの匂いって何でこう食欲をそそる匂いなんだろーなー」
「竜胆、これもう少しだけ混ぜてて。オレ、呼んで来るから」
「りょーかい」

言われた通り、竜胆は木製のお玉を蘭から受け取ると、美味しそうなカレーをゆっくりとかき混ぜていく。丁寧にブイヨンで煮込むのはもちろん、マメな性格の蘭は綺麗に灰汁をとり除くので、コクととろみが店のカレーに引けを取らないほどに最高だった。ご飯も焚けて、サラダやスープまでしっかり準備は整っている。あとはが来たら器に盛りつけるだけのはずだった。

「…あれ、兄貴。は?」

早く食べたいと思いながら、カレーを混ぜていた竜胆は、ふと蘭が戻って来た気配に気づいて顔を向けた。

「…え、どうした?兄貴…」

さっきまでは機嫌もよく、軽い足取りでを呼びに行った蘭が、今はどんよりとした闇を背負っている。項垂れ、足取りも重く、ふらりとキッチンに入って来た蘭は、「が…」と呟き、顏を上げた。

「飯いらねえって言うんだけどさァ……」
「……は?」
のやつ…反抗期なんかな…オレ…どーしたらいい…?」

何気にの口癖が移っている蘭に、竜胆の顏がどこまでも引きつって行く。生まれて初めて、兄が弟に泣き言を言った瞬間だった。





3.

「…いらない」
「だから何で?理由を言えよ」
「………」

竜胆が問い詰めても、は布団に潜ったまま、顏すら出さない。これには竜胆もほとほと困り果てた。

「せっかく美味しいカレー作ったのに、オマエが食わないっつーから、兄貴のヤツ人生で初めてヘコんでんだぞ?!オレはあんなしょぼくれた兄貴、初めて見たんだからな?」
「…え?」

蘭の名前を出した途端、が反応した。もそもそと目だけを覗かせ、「蘭ちゃん、へこんでるの…?」と泣きそうな顔で訊いて来る。竜胆は溜息交じりで「めちゃくちゃな」と付け足した。竜胆が言ったことはあながち嘘ではなく、蘭はに「ご飯いらない」と言われ、驚きつつもあの手この手で誘ってみたものの。最後まで頑なに拒否をされたことで今はリビングのソファでふて寝をしている。竜胆はあんな兄を生まれて初めて見た気がした。イザナやサウスにボコられた時でさえ、ケロっとしていた蘭を、唯一あそこまで痛めつけられるのがこの可愛らしい嫁なのだから嫌になる。

「飯も食う気力なくしてるし、魂抜けたみたいに寝てんだぞ?どーすんだよ。オマエのせいで兄貴が餓死したら」
「が…がし……?」
「おー。兄貴はオマエが飯食うまでオレも食わねえって言――」
「…ってなーに?」
「そこから?!」

相変わらず物を知らないに、竜胆も最後の力を振り絞って突っ込んでしまった。蘭が食べないと言ってるのに、自分だけカレーを食べるのも気が引ける竜胆は、空腹を耐えての説得に来ていた。なのに少しも話が進まず、竜胆は深い溜息と共に項垂れると、餓死について詳しくに教えてやった。

「え…死んじゃう…」
「そりゃそーだろ。人間食わなきゃ死ぬの。飯いらねえって言ってっけどオマエも死にたいのかよ」

竜胆の問いには青ざめた顔でぶんぶんと首を振った。その大きな瞳はすでに潤んでいる。竜胆は"よし!もうあと一押し"と心の中でガッツポーズをした。だいたい食いしん坊のが「ご飯いらない」と言い出した理由が分からない。そこを追求すべく、竜胆はベッドに腰を掛けて上からを見下ろした。

「死にたくないんじゃあ…食べなきゃなんねーなァ?」
「…う…」
「そもそも何で飯食いたくねーの?いつもはお腹空いたらすぐ食べたがるのに」
「………」

は悲しそうな顔で目を伏せたまま、しばらく黙っている。なかなか手強いなと思ったものの、どこかモジモジしているの様子を見て、そろそろ折れてくれそうな雰囲気を感じ、竜胆は根気よく応えるのを待つことにした。すると数秒後…口元を隠していた布団を下げて、が顔を出した。

「…あのね…さっき制服を着ようとしたの…」
「制服…?あ~高校の?」
「…うん」
「また勝手に…学校始まるまでは汚さないようしまっとけって兄貴に言われたろ?」
「…ご…ごめ…」
「あー泣くなって…オレが悪かったから…」

一瞬での瞳に涙が浮かんだのを見て、竜胆が慌てて服の袖で拭いてやった。何だかんだ言いながら、竜胆もに泣かれるのはかなり弱い。それにを泣かせたと蘭にバレれば鉄拳制裁だけじゃ済まないかもしれない。しかしがご飯をいらないと言い出した理由を聞き出せば、「でかした、竜胆」と褒めてもらえるだろう。それを抜きにしても竜胆はのご飯をいらないという理由が気になった。

「それで…何でご飯食いたくねーの?」

出来るだけ優しく聞きながら、の頭を撫でる。するとはある方向を指さした。

「あれ…」
「あれ?」

の指す方向へ竜胆も顔を向ける。そこにはクローゼットに入りきらないの服をかけてあるお洒落なハンガーラックがあり、何故かクローゼットにしまってあったはずの制服もそこへかけてあった。
だがよく見るとかけてあるのは夏服のみで、冬の制服はラックの棚の部分に無造作に置かれている。そこに気づいた竜胆は立ち上がってハンガーラックの方に歩いて行った。

「ちゃんとかけておかないとダメだろ?シワになるし」
「…いの…」
「え?」

竜胆が制服のブレザーとスカートをきちんとハンガーに通してラックにかけていると、が何かを呟いた。

「なに?」
「…だ、だから…制服のスカートが……」
「スカート…?」
「や…破れちゃったの…」
「……えっ?何で?」

最もな質問をすると、はますます瞳に涙をためて、

「…どうしても穿けなくて…無理やり穿こうとしたらブチって…聞こえて…きっと太っちゃったからだよね…?」

最後は涙声で訴えるに、竜胆の口元が引きつる。

「わたし…どうしたらいいの…?」

ぐすっと鼻をすすりながら訪ねて来るを見て、竜胆は文字通り頭を抱えた。あいにく、竜胆には泣いてるを優しく慰めるというスキルは持ち合わせていない。それは全て蘭の役目だからだ。そして事情を理解した竜胆は溜息を吐きつつ、「ちょっと待ってろ」と部屋を出て、リビングで絶賛ヘコみ中の蘭のところへ戻った。





4.

「…は?スカートが破れた…?」
「なーんか穿けなくて無理やり穿こうとしたら破けたって…」
「いや、それはねえだろ。だって制服が届いた時はサイズもピッタリだったし」

蘭は事情を聞いたことで元気が出て来たのか、やっとソファから起き上がった。それには竜胆もホっとしつつ「でも本人がそう言ってるし…」と自分も向かい側のソファへ腰を下ろす。蘭がへこんでいた姿は竜胆ですらレアだったので、内心、もっと見ていたかったと残念な気持ちもあるが、それは口が裂けても言えない。

は太ったのが原因だっつって、えらい落ち込んでるからさ」
「あー…それで飯食わねえって言いだしたんか…」
「そうみてえだな」

更に理由が判明したことで、蘭は思わず吹き出した。何とも可愛い理由で、つい頬が緩んでしまう。だがふと、思い出した。

「ってかが太ったって…ねえよ、それは」
「え、そう?アイツ、アイスだのケーキだの毎日、兄貴が食わせてんじゃん。太ってもおかしくねえだろ。見た目分かんねーけど」
「いや、オレが毎日触ってんだから制服のスカート穿けないくらい太ったなら絶対分かる」
「……良く恥ずかしげもなくそういうことサラリと言えんな…」

シレっとした顔で言う蘭を見て、竜胆の目が細くなる。まあ確かに家にいる間中、のどこかしらに蘭が触れているのは竜胆も見てはいるが、堂々と言われると何かイラっとする。

「あ?何が恥ずかしいんだよ。オレとは夫婦なんだから触るの当たり前だろ」
「……はいはい」
「え、でもマジで破いたの?一週間後には入学式なのに」
「まーた注文し直さねえと…間に合うの?」
「……ちょっと確認して来る」

蘭は何か考えているようだったが、すぐに立ち上がり、のいる自分の部屋へ向かう。それを見送っていた竜胆の腹の虫がぐぅぅっと大きな音を立てた。

「どうでもいいけど…カレー食いてえ…」

音を聞いた瞬間、空腹だったことを思い出し、今度は竜胆がソファの上に倒れ込んだ。






5.

…?起きてる?」
「蘭ちゃん…」

蘭が声をかけると、またしてもモゾモゾと動きながらが顔を出した。そして第一声、「ごめんなさい…」と泣きそうな顔で謝って来る。蘭はギョっとした顔ですぐにベッドの端へ腰を掛けた。

「何で謝ってんだよ。は悪くねえだろ」
「だ、だって…しまっとけって言われたのに着ようとしたから…」
、制服気に入ってたもんなー?そりゃ着たくなるよな」

の頭を撫でながら、その可愛い頬にもちゅっとキスをしながら蘭が微笑んだ。だいぶ甘やかしも加速しているようで、「制服なんて新しいの買ってやるよ」と言い出す始末。それでも破いたというスカートが気になり、ラックにかけっぱなしの制服へ視線を向けた。

「破けたってのはあれ?」
「うん…」
「ちょっと待ってろ。今、確認してやっから」

蘭はそう言って今度はの額にキスを落とすと、すぐにスカートを手に取った。聞いた話ではお尻が通らず、無理やり穿こうとしたらブチっという音がしたという。

「ってことは…ウエスト辺りか?」

チェック柄のスカートをひっくり返し、ウエストの辺りをくまなく確認していく。すると、届いた時とは明らかに違う箇所を見つけた。

「あれ…?これ、しつけ糸ついてる方じゃん」
「…え?」
、これ冬服のスカートだけど、これを穿こうとしたの?」
「う、うん…」

頷くを見て、蘭は事の真相がわかり、軽く吹き出した。

「何だ…そーいうことかよ」
「…蘭ちゃん…?」

急に笑い出した蘭を見て、が不安そうに体を起こす。蘭はスカートを手にしたままの方へ戻ると、「これ、この前試着したスカートじゃないよ」と笑った。

「この前、試着したのは夏物の制服。こっちは冬物だからまだ着てねーし、スカートの形を保つよう、あちこちしつけ糸がついてんだよ。だから引っかかってきつく感じたんじゃね?」
「えっじゃあ…」
「それにほら、ここの糸が切れてんだろ?きっと無理やり穿こうとしてブチって聞こえたのは糸が切れた音だよ」

蘭の説明を聞いて、は恐る恐るスカートを確認した。すると確かに白い糸がプリーツの辺りにしっかり縫い付けてある。その糸が蘭の言う通り、途中で切れていた。

「あ…」
「分かった?ってことでは太ってねーから安心しろ」

蘭が苦笑しながらの頭を撫でると、途端に笑顔が戻る。スカートが破れるほど太ったと思い込んでいただけに、違うと分かって嬉しそうだ。そして事情を知らない蘭は、にご飯を拒否されたことで、遂に反抗期がきたのかと少しだけ心配していただけに、真相が何でもないただの勘違いだと分かって心底ホっとしていた。

「ったく…心配させんなよ…」
「…ごめんなさい…」

ホッと息を吐く蘭を見上げながら、は瞳を潤ませた。

「せっかくご飯作ってくれたのに…」
「いいよ、もう。事情は分かったし。何でもなくて良かった――」

と言いかけたその時。静かな室内にぐぅぅぅううっという大きな腹の虫が鳴り響いた。の顏が一瞬で赤く染まり、パっと両手でお腹を押さえる。その派手な音に蘭もたまらず吹き出した。

「今までで一番大きな腹の虫がいるなあ」
「…虫?!今の虫が鳴いたの?!」

蘭の言葉に驚いたは手をどけて自分のお腹をジっと見ている。その姿に蘭は更に笑い転げながら、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。

「はー…ホっとしたら何かすげー笑けてきたわ」
「蘭ちゃん、楽しそう」

自分が笑われてるとは思っていないは、蘭が笑顔に戻ったのが嬉しいようだ。

「蘭ちゃんが楽しいならわたしも楽しい」
がそばにいてくれたらオレはいつでも楽しいけど?」
「ほんと…?」
「ほんとー」

蘭はを抱き寄せながら、そのままベッドに寝転がり、ついでにスベスベの頬にちゅっと口付ける。

「ん…くすぐったい…」

唇を小さな耳にも押し当てると、可愛い苦情が零れ落ちた。その声が聞きたくて、耳たぶをパクリと口に含むと、さっきよりも甘い声が上がる。

「んん、ら…蘭ちゃん…それ、くすぐったい」

頬を赤らめ、軽く身を捩る姿に、蘭の体が自然と熱くなる。こうして腕に抱いてしまえば、なかなか放すことが出来ないのはいつものことだ。

「ん…っら、蘭ちゃん…ご飯は…?」

耳を舐めたり、食むられるたびに、の体がびくりと跳ねる。その反応を見逃す蘭ではなく、少しずつ唇を下げて首筋にもキスを落としていく。

「んーオレはカレーより、が食べたいけど…ダメ?」
「…えっ」

今では真っ赤に染まったの頬にも、もう一度口付けると、

「オレをへこませたお詫びをしてもらわねえとなー?」

と言いながら、驚いているの唇を塞ぐ。そうして、夕飯前に夫婦の営みが始まった。

その頃――リビングでは今か今かとふたりが来るのを待つ竜胆の腹の虫が盛大に鳴っていたのは言うまでもない。




ある日の灰谷家、とことん被害者な竜胆くん笑