二夜.おなじ音を持つ異形ー後編




「オイオイオイ……オマエ、ヤクでもやってんの…?」

口元を引きつらせ、半間が呟く。しかし警官は半間の声など聞こえていないようだった。深い雪をものともせず恐ろしい形相で走って来ると、勢いよく飛び掛かって来る。身の危険を感じていた半間は躊躇うことなく、警官の横っ面を警棒で力いっぱい殴りつけた。ゴキッという骨の折れたような鈍い音が響き、警官の口から飛んだ血しぶきが辺りの雪を赤く染める。吹っ飛んだ警官は転げるように道路脇の溝へと落ちた。道路の上から半間が見下ろすと、警官はピクリとも動かない。

「やーべ…罪状に警官殺しつくじゃん…正当防衛つっても信じてもらえなさそー」

と呑気に苦笑しながら警棒を持っていた手を軽く振った。思い切り力を入れたのでそれなりに手のひらが痛い。

「ま、目撃者もいねーし、オレのいた痕跡さえ消しちまえば平気か」

言いながら散弾銃を持っていた男へ視線を向けた。警官に襲われた男は雪の中に埋もれ、動く気配はない。あの様子じゃ生きているとも思えなかった。周りに飛び散った血が今も雪を赤く染めている。

「アイツを殺したのはコイツだしな…」

苦笑交じりで振り返る。そして半間の笑顔が凍り付いた。溝へ落ちた警官が再び立ち上がったのだ。

「は…?生きてんの?」

一瞬、殺してなかったか、とホっとしかけた半間は、その異様な光景に再び息を飲む。

「ってオマエ……首、折れてね…?」

立ち上がった警官の首は不自然なほど横へ曲がり、とても生きているようには見えない。半間はゾっとして全身が総毛だった。しかし先ほどとは違って動きは鈍い。警官は数歩歩いたところでようやく、動きを止めてその場に倒れ込んだ。

「…今度こそ…死んだ…のか?」

自然と喉の奥が鳴り、半間は息を殺して倒れた警官を見つめた。1分、5分、10分。警官は動かない。半間も金縛りにあったようにしばらくはその場から動けなかった。

「…死んだ…っぽいな」

そこで初めて半間は息を吐き出した。気づかぬうちに酷く緊張していたらしい。喉はカラカラに乾いていた。半間はゆっくり斜面を下り、溝へと下りた。うつ伏せのまま倒れている警官に恐る恐る近づき、その身体を足で小突く。しかしやはり動かない。安心したところでしゃがみこみ、血まみれの警官をよくよく観察した。首が折れてもなお動こうとしていたその姿は、さながらホラー映画に登場するゾンビのようだった。

「マジでヤク中だったんか…?やべーな…それがバレて、あのオッサン殺したとか…?」

雑な推理をしながらも警官の死亡を確認し、半間はその場を立ち去ろうとした。だがふと警官の腰にぶら下がっている拳銃に目をつけ、それを拝借しておく。

「へえ、いいもん拾ったわ」

警官御用達の回転式けん銃で半間の手にすっぽりと納まるほどの大きさだ。シリンダーを確認すると5発丸々弾が残っていた。

「ラッキー。つーかマジで散弾銃男にコレ使わなかったのかよ…」

まあヤクでぶっ飛んでたならそこまで頭が回らなかったのかもしれない、と半間は深く考えなかった。とりあえず拳銃を警棒と同様、ポケットへしまうと、もう一人の状態を確認するべく、先ほど警官に襲われていた男のところへ向かった。深い雪をかき分けるように進むと、辺り一面、真っ赤に染まっている。その血だまりの中に倒れていた男はすでに死んでいるように見えた。あまり血だまりに入りたくはなかったが、仕方なく足を進める。しゃがんで男の様子を確認すると、半間は思わず「うげ」と声を漏らし、顔を背けた。男は喉を裂かれて死んでいた。それも食いちぎられたような傷跡のように見える。

「マジでゾンビかよ、アイツ…」

首が折れても立ち上がった警官を思い出してゾっとする。

「いったい…何があったんだ…?」

今更ながら二人に何が起こったのか気になった。こんな殺し方は普通じゃない。警官の奇行も全てがおかしい。

「とにかく…ここにいたらまずいな…」

一見すればここは惨殺現場にしか見えない。半間は男から離れると道路の方へ行きかけた。だがふと振り向き、傍に落ちていた散弾銃も拝借しておく。使うことはないだろうが念の為だ。

「やべーな…マジで凍死しちゃうじゃん。どっか暖を取れる場所を探さねーとなァ…」

道路へ戻り、半間は冷えた身体を抱きしめるようにしながら別荘へ向かって歩き出す。次第に風が強まり、雪が舞い上がることで前すら見えなくなる。

「ホワイトアウトとか洒落になんねーって」

半間は人気のない道路を進んでいく。だが五分ほど歩いたところで別荘地という立て看板を見つけた。そして入口近くの大きな建物は何故かドアが開いたままだ。人がいるのかどうかは分からないが、寒さに負けて半間はその建物へ足を向けた。

「…管理人?」

ドアのところにそう書かれている。しかし中に人がいる気配はない。

「お邪魔しまーす」

一応、声をかけたが何の反応もなく、ホっとしながらドアを閉めると、まずは部屋の中を物色することにした。中は広く、よく片付いていた。暖房も付いているのか暖かく、新築ルームと似たような匂いがする。

「…なるほど。出来たばかりってわけか。つーかあったけー」

冷え切った身体に暖かい部屋は身に沁みる。冷たい指先を解しながら、見つかると厄介なので室内の電気は付けずに暗い中を進んでキッチンへ向かう。目についた冷蔵庫を開けると中には缶ビールやハム、チーズといった食材も入っていた。思わず缶ビールを取り、すぐにプルタブを開けて一気に飲み干した。

「はぁ~生き返るわ…」

こんなにビールが美味いと感じたのは久しぶりだ。ついでにハムやチーズを口に運べば、これもやたらと美味く感じた。

「そーいやサービスエリアでラーメン食ってから何も腹に入れてなかったな…」

今は何時だとケータイを取り出す。土砂崩れの後に通報しようとしたものの、圏外と表示され出来なかった。せっかくの便利なツールも今や時計代わりと化している。

「もう20時過ぎてんのかよ…」

時間で見てしまうとここまでの道のりが酷く長いものに感じられ、そうなると疲れも一気に出てくる気がした。出来ればフカフカのベッドでひと眠りしたいところだ。だがこの管理人の家に人が戻って来ないとも言い切れない。

「さて…どうすっかな…」

冷蔵庫の中身をテキトーにつまみながら、二つ目の缶ビールを開けて喉を潤す。そこで初めて煙草が吸いたくなった。

「はぁ~マジでうま」

とりあえず寒さをしのげる場所で食べ物や飲み物を口にした半間は精神的にも落ち着いて来た。その状態で吸う煙草は最高に美味いと感じる。一本目はすぐに吸い終え、二本目に火をつけた。

「吸い殻は置いとけねーな」

消した煙草を更に水で濡らし、それを携帯用の灰皿へ捨てる。こんなに食い散らかしてしまえば侵入者がいたとバレるだろう。そこに吸い殻があればDNAですぐに半間がいたと警察に知られてしまう。逃げられる状態ならまだいいが、今はこの山に閉じ込められたも同然だ。トンネルが通れるようになるまではバレるわけにはいかない。

「は~風呂入りてー」

何となく身体は温まったものの、やはり芯から冷えた身体には風呂が一番いい。と言ってこの家の管理人とやらがいつ戻るか分からないので呑気にしてもいられなかった。その時――すぐ裏の方で悲鳴のようなものが聞こえた。その数秒後、ドーンという銃声が響き渡り、半間はハッと息を飲んで煙草を消すとキッチンの隅に身を隠す。

(銃声…?今のは…さっきの散弾銃と同じか…)

さっきの光景も信じられないのに、またしても聞こえた銃声で、さすがにおかしすぎると思った。こんなにも銃を所持している人間がいるのは普通じゃない。

(何が起きてる…?)

息を殺し、外の気配に耳を澄ませる。すると誰かが近づいて来る足音が聞こえて来た。どこかフラついているのか、リズムがおかしい。その足音は確実にこの家に向かっていた。

(どうする…このまま隠れておくか、それとも道に迷ったふりをして顔を出すか…)

一瞬考えたものの、今ここへ近づいている人物は銃を持っている可能性がある。半間もさっき手に入れはしたが、さすがに散弾銃は撃ったことがない。咄嗟に扱えるか不安が残る。

(隠れて様子を見るか…いや…煙草の匂いでバレるか…?)

足音が近づいて来る。サク、サク、サク…その音が不意に止まり「うう…っ」という低い呻き声と共にドアが開いた。ゴトッという重たい靴音が響き、中へ誰かが入って来た。

「クソ…!クソ…!思い切り噛みつきやがって……クソ犬が…っ!」

中へ入って来た人物はイラだったようにブツブツ言いながら、ガチャガチャと音を立てて何かを漁っている。その音を聞きながら半間がそっと居間の方を覗けば、男がテーブルの上にある箱を漁っているようだった。男は何かを取り出し、手にしていた散弾銃へ何かを込めている。

(弾をこめてる…?つーか犬って…何のことだ…?)

半間は息を殺し、その男の背中を見つめた。背格好はなかなかの大柄だ。

(コイツが管理人…?見た感じ狩猟者って感じだな…)

日本で銃の携帯が許されているのはそういった人物たちだ。山で狩りをしたり、人を襲う獣が出た場合は駆除もする。猟友会といった組織があるのを半間は知っていた。男は散弾銃に弾を込めると「高木さんを…助けに行かないと…」と呟き、再びフラフラと立ち上がった。しかしさっき以上に足元がおぼつかず、フラついては転びそうになっている。しかしどうにか外へ出ると、足音は遠ざかって行った。

「…はあ…ビビった」

男が出て行った後、半間は深く息を吐き出し、ゆっくりと立ち上がった。今の男の様子からまずこの別荘地を管理する管理人であることは間違いない。そして多分ではあるが狩りの経験があるのだろう。男は犬に噛みつかれたといった言葉を吐いていた。

「もしかして…この山、野犬がいるのかよ?だりぃ~…」

都会では野良犬など見たことがない。しかしこういった山の中ではいないとも言い切れない。

「アイツ噛みつかれたって言ってたけど…そんな狂暴な犬がいんのかよ…ってか高木って…さっきの警官のことか?」

管理人らしき大柄の男が呟いた名前は聞き覚えがある。先ほど最初に逃げて来た男が警官に向かってその名前を叫んでいた。

「でも助けに行くなら…最初に殺された男の方なんじゃねーの…?」

あのラリった様子の警官を助けるとはどういうことだと首を傾げつつ居間の方へ歩いて行く。さっきの男が漁っていた箱はすぐに見つかった。やはり思った通り中には散弾銃の大きな弾がギッシリ入っていて、半間はいくつか手に取ると無造作にポケットへ突っ込んだ。危険な野犬がいるなら弾は必要になるかもしれないと思ったのだ。そこで改めて室内を見渡すと、壁には鹿の頭が飾られ、壁には猟友会と書かれた証明書のようなものが飾ってあった。

「やっぱそうか…今のヤツ、狩猟者だ。ってことは…犬を駆除しに行ったのか?ケガしてたくせーけど」

ガシガシと頭を掻きつつ、ならばこの家に長居は出来ない。さっきの男が戻って来る可能性もある。不法侵入者として見つかるよりは迷い込んだ一般市民を演じた方が後々いい気がした。

「そういや、あの大学生たちはどこの建物にいんだよ…」

当初の目的を思い出し、半間は管理人の家を出ようとした。だがその時、人の声が近づいて来て、再び半間はキッチンの陰に素早く隠れた。今度は話し声がするということは数人はいるということだ。話し声は次第に近づいて来た。

「さみーし戻ろうぜ…」
「でも気になるだろ」

少し遠い場所からそんな会話が聞こえて来る。だが突然その人物が「あ、あそこ!」と大きな声を上げた。そして走って来るような足音。この感じだと若い男が二人のようだ。半間はジっと耳を澄ませて外の気配を探った。

「矢口さん?!どうしたんですか!」

次に声が聞こえたのは管理人の家の前辺りからだった。

「矢口さん!って…ケガしてるぞ…?!」
「マジかよ…」
「オマエ、先に戻ってあの竹本とかいう医者にこのこと知らせてくれ!オレは矢口さんを連れてくから!」
「わ、分かった!」

そんな会話の後、誰かが走り去っていく足音。そして「大丈夫ですか?立てますか?」と言う声と共に呻き声も聞こえた。この声はさっきのケガをしてた男のものだ。

(さっきのヤツ…犬を駆除しに行ったと思ったら家の前で倒れてたのか…)

これまでの会話からそう推理すると、半間はそっと立ち上がり玄関の方へと近づいた。ドアの窓から外を覗けば、若い男がさっきの大柄の男を支えながら奥の方へ歩いて行くのが見えた。

「…アイツ…サービスエリアにいた大学生か…」

チラっと見えた若い男の横顔には見覚えがあった。ということはこの奥にまだ人がいるんだろう。

「確か医者がいるつってたな…」

大学生の居場所は分かったものの、今の感じだとその他にも人がいそうだ。半間はそこへ向かうかどうか迷ってたが、ここにいても仕方がない。また人がくれば不法侵入がバレてしまう。

「とにかく電話さえかけられれば…」

と言いながらドアを開けようとしてふと振り返った。

「オレはバカか…」

電話はこの管理人室にもあるはずだということに気づいたのだ。そして居間を探すと電話はすぐに見つかった。

「あった…」

ホっと安堵の息を漏らし、受話器を取る。だが、それを耳にあてた時、思わず溜息が出た。

「マジかよ…」

何度ボタンを押しても発信音がしない。電話線じたいが断線しているようだった。

「クソッ!」

ガチャンと受話器を放り投げると、横にあったソファへ腰を下ろして頭を抱えた。外部に連絡がつかなければ土砂崩れがあったことさえ気づいてもらえない。運よく今からこの場所へ来る人間がいれば話は別だが――。

「そうか…スキー場がオープンするんだったな」

と言ってそれは一週間も先の話だ。それまでこの山に囲まれた場所にいなければならないと思うと半間はウンザリした。

(とにかくアイツらの向かった場所に行ってみるか…何か情報が聞けるかもしんねーしな…)

はあ、だりぃ…と息を吐きながら立ち上がると、半間は銃を片手に外へと出た。

「う…さみー…」

外はさっき以上に吹雪いていた。数歩先すら白く舞い上がる雪で見えない。だが自分の足元を見た時、半間はギョっとしたように後ずさった。

「血…」

白く降り積もる雪に交じり、大きな赤いシミが広がっていた。どうやらここで管理人の男が倒れていたらしい。そして奥へと続く足跡もまだ薄っすら残っていた。当然、男が流した血も点々と続いている。

「これ辿って行けばアイツらがいる別荘に行けるか」

こうなれば正直に話して救助が来るまで居させてもらうしかない。手配犯とバレたらバレたでこっちには銃があるしどうとでもなる。半分開き直った半間はポケットに入れたままの警官の銃を手で確認した。散弾銃だけでも脅しには使えるが、すぐに撃てるのはこの回転式の方が半間にとっては慣れている。稀咲がイザナを撃った銃を何度か遊びで撃たせてもらったことがあるからだ。

「あの遊びがここにきて役立つとはな…」

苦笑交じりで呟くと、半間は歩き出した。その時、かすかな悲鳴が聞こえてふと立ち止まる。今日はよく悲鳴を聞く夜だなと思いつつ、こうも続けばさすがにおかしい。さっきよりも警戒心は強くなった。そっとポケットに手を入れながら、銃に触れる。

(いや…待てよ…?この銃の弾は五発しかないんだったよなァ…)

ふと手にしている散弾銃を見下ろした。ショットガンのモデルガンしか触ったことはないが要は同じだ。カートリッジを見れば弾は一発入っている。そう言えば警官に発砲してたな、と思い出し、半間は弾を込めたカートリッジを下からマガジンチューブに詰め込んで、ポンプアクションでチャンバーに装填しておいた。ジャキンという小気味いい音が鳴る。モデルガンと似たような構造ならこれで引き金を引けば撃てるはずだ。

(ま…撃つのは最終手段だけどな…)

さすがに普通の人間を撃とうとは半間も思わない。だがさっきのような頭のイカレた警官なら躊躇いもなく殺れる。それに野犬らしきものがいるなら、武器は必要だ。そう言い聞かせながら再び足を進める。だが吹雪に交じって前方から何かが近づいて来るのが分かった。

(またさっきの奴らか…?)

雪吹雪きで視界の悪い中、銃を隠すか構えるか迷った。だが不気味な唸り声が風と共に聞こえて来た時、半間は咄嗟に散弾銃を構えた。

「止まれ…!」

前方から向かって来る影は走っているようだった。それが半間の背筋を寒くさせる。

「止まれって言ってんだろ!」

強風に負けないくらいの声で叫ぶ。だが前から向かって来る影は止まる素振りすら見せず、凄い勢いで走って来た。そしてその人物を視界にとらえた時、半間は躊躇うことなく引き金を引いた。物凄い爆音と共に走って来た男が後ろへ吹き飛ぶ。反動で手が痺れていたが、半間は再び倒れた男に銃を向けた。それほどまでに、走って来た男の姿が異様だった。

「…クソ…何なんだ…コイツら!」

半間に向かって来るのが大柄の男で、それが先ほど運ばれて行った管理人だと気づいた時、その表情の異様さに全身が総毛だった。目は血走り、大きく開けた口は血とよだれにまみれ、それがダラダラと顎から垂れていたのだ。

「さっきの警官と同じなら……起きて来るだろ…?」

銃を構えながら、少しずつ近づく。すると本当に倒れていた男が突然立ち上がった。

「ぐあぁぁぁっ」

奇声を上げながら走って来る管理人の男の姿に、半間はゾっとした。

「…チッ!マジでゾンビかよ…!」

やはり普通ではない。そう判断した半間は、銃口を今度は男の頭に向けてもう一度発砲する。ドーンという爆音が静かな夜に響き渡った。