二夜.おなじ音を持つ異形ー前編




裂くようなエンジン音が静かな山の空気を震わせ、一台の派手なバイクが風を切って走っていた。陽が落ちて曇り模様だったことから辺りはだいぶ薄暗く、バイクのライトがチラチラと一本道を照らしている。

(…この辺りの道だっけか。さっきの奴らが言ってたのって)

道路端に建てられた大きな看板に視線を走らせ、半間修二はふと思った。全国に指名手配をされてから丸二年。半間が東京を離れてから随分と年月が経っていた。最初は逃亡者らしく関西の大都市へ行ったり、そこへ飽きたら東北へ流したりと色々な都市を逃げ回っていたものの、そろそろ逃亡するのにも飽きて来た頃、半間は東京に向かってバイクを走らせていた。だが途中のサービスエリアに立ち寄った時、大学生らしき数人の男女の会話が耳に入った。

"新しく出来たスキー場"
"別荘地"
"新しい観光スポット"

それらのワードに興味を引かれ、彼らがの乗った車が向かう方向を確かめると、半間も後を追うようにバイクを走らせたのだ。理由は単に新しい観光スポットへの興味だけだった。どうせ東京へ戻ったところで行く場所もなく暇を持て余している。ならば観光がてら新しいスキー場や周りの施設などを通りすがりに見物して行くのも悪くはない。行き先を変えた理由はそんな些細なものだった。

(へえ…スキー場の周りにはホテルや病院なんかも建てられたのか。携わったのは…財閥…?)

一度、看板の傍にバイクを止め、情報を確認する。財閥と言えば他にもホテルやレストラン、その他の商業施設など手掛けている大財閥で、半間でもその名前は聞いたことがある。

「こんな山ん中に観光スポットね…金持ちの考えることは分かんねー」

とは言え、暇つぶしにはなる。半間はヘルメットのシールドを下ろして再びバイクを走らせた。冬の山道はとにかく風が冷たい。目的地に着いたらホテルでもとってノンビリ風呂にでも入りたいと思いながら、スピードを上げていく。指名手配中とはいえ、二年も経つと警察の興味は他の事件へ移ったのか、普通に歩いていても職質されることすらなかった。殺人犯なら話は別だろうが、半間は何も直接手を下したわけでもない。殺人を犯した稀咲と行動を共にしていたというだけだ。そして実行犯である稀咲はすでに死んでいる。警察の本気度もその辺りで変化するようだ。

(…この先500メートル…トンネルの先か…)

一本道の大きなカーブを曲がると、再び看板、そして前方にトンネルが見えて来た。そこを抜けて少し走れば先ほど見た観光スポットの敷地へ入るようだ。半間は特に何も考えることなくトンネル内へとバイクを走らせた。この辺りまで来るとさすがに冷え込んで来るのが分かる。ハンドルを握る手の感覚が寒いから痛いに変わって来た時、半間は一瞬迷ったもののスピードを緩めた。それが功を奏したのかもしれない。トンネルを抜けた瞬間、ライトに照らされたのは真っ白な景色。タイヤが滑って軽くスリップしたのが分かった。

「うぉ…っ?」

思い切りハンドルを取られ、立て直すことも出来ないまま、バイクは横倒しに転倒、半間は雪道へと転がった。

「…ってぇ…」

邪魔なヘルメットを取り、軽く首を振った半間はカラカラと回っているバイクのタイヤへ視線を向けて溜息を吐いた。

「マジかよ…」

そりゃ向かってたのはスキー場なのだから雪があるのは当たり前だ。しかしトンネルを抜けてすぐこれほど積もっているとは思わなかった。幸い雪が積もっていたおかげで半間に怪我はない。ただ派手にスリップしたのでバイクの方が心配だった。半間はジャンパーについた雪を払いながら立ち上がると、すぐにバイクを起こして故障がないか調べた。

「…大丈夫そうだな」

見たところ傷もなく、エンジンもかかった。少しホっとしたところで改めて周りを見渡す。スキー場はまだこの先だからか、辺りは山の斜面と、片側は切りだった崖しかない。

「うわ、あのまま滑ってガードレール突き破ってたら真っ逆さまじゃん」

真っ暗な中、崖の方を覗き込むが見えるのは闇ばかり。半間はゾっとした顔でバイクへ戻ると、この先へ進むか引き返すか迷った。当然この雪道ではバイクに乗れない。進むならバイクをトンネル近くに止めていくしかなかった。ここまで来る間もバス停といった類は見かけなかったところを見ると、完全に自家用車か、送迎バスがあるならそれで来るしかないようだ。

「さすがに……そこまでして行くのもだりぃな…」

ガシガシと頭を掻きつつ溜息を吐く。簡単に計算してもスキー場まで徒歩で行くとなると一時間ほどはかかりそうだ。冬場とはいえ関西から移動してきた半間は雪山へ行くような装備も服装もしていない。こうしている間もかなり寒かった。

「…チッ。戻るか」

せっかく来たものの、スリップしたことでだいぶテンションも下がっていた。このまま素直に東京方面に向かおう。そう決めた半間はトンネル内までバイクを押していくと、中でエンジンをふかした。反響音がトンネル内に響き渡り、かなりの騒音だ。

「こえぇ~静かすぎるし何か不気味な山だよな…こんなとこマジで観光客なんか来んのかよ…」

後ろを振り返れば雪がはらはらと降っている。その先は完全に暗闇。それはどこか地獄への入り口のように見えて、半間はぶるりと身を震わせた。

(ここでスリップしたのはここで引き返せっていう暗示か何かだ。ここは素直に引き返そう)

別に神だとか宗教だとか信じてはいないが、半間は何となく嫌なものを感じていた。虫の知らせというやつだったのかもしれない。バイクを走らせ、元来た道を引き返す。少し進むと出口が見えてきたことで、半間は何故かホっと息を吐いた。このトンネルを抜けて二時間ほど走らせれば国道、そこへ入れば先ほど寄ったサービスエリアがある。24時間営業の食堂もあった。今夜はそこで夜を明かすのもいい。そんなことを考えながら更にスピードを出そうとしたその時だった。地鳴りのようなゴゴゴっという音と振動を感じ、半間は慌ててスピードを緩めた。

(この音と揺れ…地震か…?)

バイクを走らせても感じる振動はさすがにヤバい、とすぐにバイクを止めた。そうすることでより地面から足に大きな振動が伝わって来る。そして地鳴りのような不気味な音は少しずつ大きくなっていく気がした。

「な…何だよ…」

まさかトンネルが崩壊するんじゃ、という恐怖が襲う。しかし半間の目に映ったのは前方に見えていたトンネルの出口前。そこを塞ぐように落ちて来た大量の土砂だった。

「……は?」

物凄い揺れと音。次々に落ちて来た土砂はアッという間にトンネルの出口を塞いでしまった。薄暗いトンネル内はバイクのライトでかろうじて照らされているものの、半間は急に息苦しくなった気がしてフラリとバイクを降りた。

「…嘘だろ、おい…」

フラフラと出口に向かって歩いて行く。だがバイクに照らされて見えたのは、どう見ても土の壁だ。そっと触ってみたが見た目に反して硬い。湿った土が上からの重みで更に隙間なく壁として存在している。到底、手で掘り進めるはずもなかった。

「…やべぇ。これ通報レベル?」

と動揺した気持ちを静めるのに独り言ちる。だが半間はそこで我に返り、すぐにバイクへまたがった。新しく作られたトンネルだから大丈夫かもしれないが、万が一ということもある。崩壊されたら、それこそ生き埋めだ。

「結局戻るしかねえのかよ…」

半間はエンジンをふかすと、反対側の出口へ向かってバイクを走らせた。













「だりぃ~さみぃ~…まだかよ、スキー場…」

雪道をかれこれ一時間は歩いていた。あのトンネルからはしばらく一本道で平地が続いていたが、少しずつ高く連なる山々が視界に入って来た。雪は今も降り続き、気温もさっき以上に低く感じる。バイクをトンネル内に置き、荷物から一番厚手のセーターを取り出し、そこで素早く着替えてジャンパーもダウンへと変えた。それで少しはマシになる。足元は相変わらずバイクブーツだが、これは滑り止めもあり、防水加工もされているレザーなので比較的暖かい。蛇行した一本道を歩いて行くと、やがて開けた場所に出た。そこから分かれ道になっているようだ。傍にはスキー客用なのか、木造のロッジらしき建物がいくつも並んでいる。だがどの建物も真っ暗で明かりが点いているものはなかった。

「…人がいねえな。ほんとにスキー場なんてあんのかよ…」

建物があるのに人気がないほど不気味なものはない。半間はロッジが並ぶ前の道を進んでいく。もう一つの道は後で見に行こうと思っていた。

「最悪…窓ガラスでも割って侵入するか…?」

この寒さではそのうち凍えてしまう。電気は通っていないかもしれないが、それでも外よりだいぶマシだろう。もし電気が通っているなら風呂にも入れそうだ。そんなことを考えながら、次第に吹雪いて来た真っ白な景色に顔をしかめた。こんなことならヘルメットくらい被って来たら良かったと思う。重たくて煩わしいが多少の防寒には使えそうだ。しかしバイクと共にヘルメットはおいて来てしまった。

「チッ…前が見えねー…」

風が吹くと雪が舞い上がり、少し先さえ視界が悪くなる。これでは方向感覚が失われ、自分がどの辺りを歩いているか分からなくなりそうだと、半間は一度足を止めた。道はこの先も続いているが、看板らしきものが目に入り、半間はそこまで歩いて行った。

「なになに…この先…別荘地…?」

そこでサービスエリアにいた大学生風の集団を思い出した。

「あーアイツら別荘がどうの言ってたな…。ってことはこの先に向かったってわけか」

雪が降り積もり分かりにくいが、目を凝らして地面を見れば薄っすらタイヤ痕が見える。それを見た途端、半間はホっと息を吐き出した。こうも人気がないと、逆に人がいることに安心するのだ。

「あんま人に関わんねーようにしてたけど…行ってみるか…?」

そこなら間違いなく電気も通っているだろう。電話もあるかもしれない。電話が繋がれば土砂崩れが起きたことを通報出来る。とにかくトンネルを塞いでいる土砂を避けてもらわなければ、この雪山に隔離されたも同然だ。まずはそれをどうにかしたかった。別に大学生と顔を合わせたところで半間が指名手配犯と気づく者もいないだろう。半間の情報は警察庁のWEBサイトにある手配犯のページ隅に小さく載っているだけだ。それも16歳の時の写真であり、今とは髪型も違う。未成年と言うことで目元も隠してある。多少絡んだところでバレることはないだろう。

「問題は…タトゥーか」

両手の甲にあるタトゥーは一度でも目にしたことのある人間には印象に残りやすい。なので普段はテーピングをしていた。

「ま、これさえ外さなきゃいーか」

本来、細かいことは気にしない性格の半間は、とりあえず人のいそうな別荘地に向かうことにした。ロッジのあった場所から更に先、なだらかな斜面をひたすら歩いて行くと、コンビニがあった。今は電気もついていないところを見るとオープンはこれからなのだろう。よく見ると店先に日付が書かれていた。

「オープンって一週間後…?マジかよ…。じゃあスキー場もか?」

それならこんなに人がいないことも頷ける。だがサービスエリアにいた大学生風のグループは確実に別荘地へ向かったはずだ。何故オープン前に来ているのかは謎だった。半間は再び歩き出し、何度か蛇行した道を進むと、木々の合間に大きな建物がいくつも見えて来た。

「あれか…」

ここからでは良く見えないが、チラチラと光っているのは室内の明かりだろう。人工的なライトを見て、半間はやはりホっと息をつく。

(どうやら電気は通ってるみたいだな…後はあそこにいる奴らに土砂崩れのことを話して通報して貰えばいっか)

ついでに風呂を貸してもらえると助かるんだけど、と考えながらも、さっきよりは気持ちも明るくなって来た。歩く速度を速めながら、まずは暖かい室内に入りたいと思う。その時だった。静寂を劈くような悲鳴が辺りに響いた。

「……は?何だよ…」

さすがに半間も心臓が軽く跳ねた。足を止め、辺りを見渡す。すぐ傍の道路脇には太い電柱と小さな外灯があり、左右には大きな木々が広がるだけで、奥の方は暗くて良く見えない。だが確実に今の声は人間の声だった。すると、木々の合間から人影のようなものが半間の方へ向かって走って来るのが見えた。その後ろにもう一つの人影が見える。

「…あ?人…?」

目を凝らしてみてみると、森の方から逃げて来る男、そして追いかけてるのは制服を着た警官だった。半間は警官を見てすぐに電柱の陰に身を隠した。さすがに警官ともなると半間の顔を見れば手配犯だと気づくかもしれない。

(やべー…何でこんな雪山に警官がいんだよ…つーか追われてる男も犯罪者ってことか…?)

二人の様子を伺っていると、逃げてる男は何やら叫びながら雪の深い場所を走って逃げている。雪は男の膝上まで積もっていて、あれではスピードも出ずにすぐ捕まるだろうと思った。だが男が手に持っているものを見た時、半間は思わず息を飲んだ。

(散弾銃…?!何であんな物騒なもん持ってんだ…?この山で狩りでもしてたか…でも警官に追われてるとなると…凶悪犯とか…)

目の前の緊迫した光景を眺めつつ、半間はどうやってここから逃げ出すかを考えていた。警官に見つかれば閉鎖された山で逃げ場はない。例え運よく逃げられたとしても雪山で遭難、凍死するのが関の山だ。

「や、やめろ、高木さん!来るなぁぁ!!」

逃げて来た男が不意に叫んだ。半間は少し驚きながら、二人の様子を観察した。今の言葉から考えると、追われている男と追っている警官。二人はどうやら知り合いらしい。そして何故か武器を持っている男の方が必死に逃げ回っている。警官も武器は持っているはずだが、散弾銃を持った相手に対し手ぶらで追いかけているのはどう考えてもおかしい。

(…どっちにしろこっちに近づいて来てる。このままだと見つかるな)

そばには薄暗いものの外灯もある。見つかるのは時間の問題だと思った半間はその場から離れようとした。その時、二人の均衡が崩れた。逃げ回っていた男が雪に足を取られたのだろう。前のめりに身体が傾き、深い雪の中へ埋まった。しかしその後に起こったことは、半間の予想を遥かに超える惨劇だった。

「うぎゃっぁぁぁぅ…!」

警官はおかしな叫び声と共に、倒れた男に飛びかかったように見えた。揉みあう二人。その時、銃声がドーンっと響き渡り、半間の方に何かが吹っ飛んで来る。それは近くの電柱にぶつかり、半間の足元に落ちた。飛んで来たのは警官が携帯している警棒だった。一瞬、言葉を失う。

(つーか…撃った…?!警官を?)

襲われていた男が散弾銃で警官に発砲。辺りの雪が真っ赤に染まり、その光景はさすがの半間も驚いた。だが更に驚愕したのはこの後だった。警官は吹っ飛んだものの、再びその身体を起き上がらせた。肩に散弾銃がかすったのか、肉が抉られ骨が見えている。それでなお獣のような奇声を上げて男に襲い掛かる。

「マジかよ…」

半間は唖然としながらも得体のしれない恐怖と身の危険を感じ、足元に飛んで来た警棒をそっと拾った。

「警棒…って…どっかのカリスマ、思い出すなァ…」

ふとかつての仲間の顔を思い出し、苦笑する。その声に反応したのか、散弾銃の男に再び襲い掛かっていた警官が半間に気づいた。またしても奇声を発しながら走って来た警官の目は血走り、口からは真っ赤なよだれを垂らしている。その形相はとても人間とは思えなかった。