
三夜.二度と戻らない時間-01
静かな別荘地に銃声が響き渡ったのを聞き、その場にいた全員が固まった。銃声が聞こえたということは外に人がいるということだ。はすぐにドアの方へ歩いて行った。だが竹本は「開けちゃダメだ」と静かな声で言った。
「で、でも…人がいるなら放っておけません…矢口さんがまた誰かを襲うようなことがあれば――」
「銃声がしたならきっと矢口さんの仲間だろう…」
「仲間…?」
「ああ…矢口さんは猟友会に所属していてね…。スキー場が出来るに当たって近辺の野生動物を狩るのに数人派遣されたうちの一人なんだ」
竹本は祖父からその話を聞いていたようだ。
「野生動物って…」
「野犬とは別に他にもまだ危険な動物はいるからね。別荘地やスキー場に来た人達を襲わないように依頼したんだよ」
「じゃあ今の銃声は猟友会の…」
「多分な。猟銃や散弾銃を扱えるのは彼らくらいさ」
竹本はそう言っているが今の銃声が動物を撃ったものかどうかまでは分からない。矢口が出て行ってすぐ銃声がしたとなると、その人物は矢口に襲われかけて撃ったのかもしれない。
「やっぱり確認しないと…もしその人が危険な目に合っていたら――」
「あ…警官…」
ふと放心状態だった大学生の男が呟いた。
「さっき…管理人のおっさん運んでた時に話してたんだ…。仲間一人と、他に高木って警官ふたりいたけど途中で野犬に襲われて逃げる際にはぐれたって…」
「高木さんだって…?」
「竹本さん、知ってるんですか?」
が尋ねると、竹本は「スキー場のホテル近くに交番がある。そこの警官の一人だ」と説明した。
「参ったな…これじゃ怪我人がどれだけ出るか…」
「あ、あの…病院に連絡は…」
「いやそれが…途中で切れてしまってね…まあその途中で矢口さんのことがあったし、そのままだったな…」
「切れたって…」
は嫌な予感がした。その時、エントランスのドアをドンドンと叩く音が響いてビクリと肩を揺らした。
「おい…!そこに誰かいるのか?」
外から男の声が聞こえる。が竹本を見た。
「もしかして矢口さんの仲間の方か警官の方じゃ…」
「いや…しかし聞いたことのない声の気もするが…」
「とにかく開けます。野犬がうろついてるなら危ないわ」
はすぐにドアノブへ手をかけた。その時、今まで黙っていた大学生達が階段の上から「ほっとけよ!」と口々に叫びだしたが、は無視してドアを押し開く。
「さっみー!」
「……っ?」
開けた途端、中に飛び込んで来たのは若い男だった。思わず竹本の方へ振り返ったが、竹本は知らないというように首を振った。よく見れば男はその手に散弾銃を抱えている。さすがに驚いては慌てたように「あなたは誰ですか?その銃はどこで…」と声をかけた。
「あ?ただの通りすがりだよ。これはそこで拾った」
「拾った…?」
ということは矢口のものか、とは思った。先ほど大学生が矢口の傍に銃が落ちてたと話していた。男は肩に積もった雪を払いながらその場にいる全員を楽しげに見渡した。
「ひゃは…♡ やっとまともに話せる人間に会えたわ」
「あ、あの…」
「しかも可愛い女の子付き♡」
「…は?」
の方を見てニヤリと笑う男に少々呆気に取られる。男はと同じような歳くらいに見えたが、持っている雰囲気は普通じゃなかった。床に倒れている飯田という大学生の死体をチラリと見て「ってか、また死体かよ」と笑ったのだ。男の反応にや竹本は心底驚かされた。普通の人間ならば死体を見れば少なからず驚くはずだ。なのに男はそんな素振りさえ見せない。
「あ、あなたは…どうしてこの別荘地に?」
「言ったろ。ただの通りすがり。まあ新しく建設されたスキー場をちょっと見てから東京に帰ろうと思ったんだけどさぁ。この雪だし諦めて戻ろうとしたら途中のトンネルが土砂で埋まっちまって――」
「えぇ?!トンネルって…ここへ来る途中のあの?」
「ああ」
男の言葉にその場にいた全員が一斉に顔を見合わせた。
「ウソだろ…」
「やべーじゃん、どーすんだよっ電話も通じないのに」
「もうやだあ…帰りたい…!」
大学生達がそれぞれ騒ぎ出し、その場にしゃがみ込む。出来ればも同じように嘆きたかった。でもそう言うわけにはいかない。自分は財閥の代表としてこの場に来ているのだ。ゲストを危険にさらすわけにもいかない。予想外のトラブルが起きたのだ。しっかりしなくては、と気持ちを奮い立たせた。こういう場合、秘書の枇々木が率先して動いてくれるのだが、彼はケガをしている。酒を飲んでいた舞衣子もアテには出来ない。そもそも舞衣子にトラブル処理をする技量はないのだ。
「あれ…やっぱここもヤバい状況?」
目の前の惨劇や土砂崩れといった絶望的な話を聞き、その場はシーンと静まり返ったのを見て、男は苦笑を零した。
「ってかさぁ。そこの死体もそーだけど…外ウロついてたヤク中みたいなゾンビ人間とか、ここで何が起きてんだよ」
「…ゾンビ…人間って…」
「あ?知らねーの?アイツら動ける状態じゃねえのに襲って来るんだよ」
「……っ?」
「だからこれ使って撃退したけど、アレでもしまだ動くようならマジでゾンビかもな」
担いだ散弾銃を持ち上げながら笑う男の言葉を聞き、は竹本の方を見た。撃退したというのは矢口のことだろう。それを察した竹本も顔面蒼白だった。この状況をどう判断していいのかすら考えられない。唯一落ち着いているのは来たばかりの男だけだった。
「と、とりあえず銃は危ないから下げておいてくれ」
ふと気づいたように竹本が言った。
「別に普通の人間を撃とうとか思ってねえよ。でもまあ…護身用ってことでコレは渡さねえけど。どうせアンタらもショットガンなんて扱えねえだろ?」
「………」
男が軽く肩を竦めながらと竹本を交互に見た。身も知らぬ男が銃と言う武器を持っているのはあまりいい気分ではないが、男の言うことも一理あるとばかりに竹本が頷いた。今のところ男に敵対するような態度は見られない。
「き、君…名前は?」
「……名前?」
「見たところ…君は度胸もあるようだ。ここは力を貸してくれると助かる」
「………マジ?」
竹本の提案に男は顔をしかめつつ「まあ…何か喰うもんと、あと風呂貸してくれたら手を貸してやってもいーけど」と言って笑みを浮かべた。
「もちろん、それくらいならお安い御用だ。いいよね?さん」
「は、はい…もちろん」
本当なら得体のしれない男の手を借りたくはない。しかし今は動ける人材が欲しいと思った。竹本は年齢的に外へ行かせるのは難しい。枇々木もあのケガでは無理も出来ないだろう。ゲストの大学生は泣きわめいてばかりで無理なのは空気で伝わって来た。今はとにかく冷静に動ける人間が欲しい。
「あのお名前は…なんて呼べばいいですか?」
もう一度、今度はが男に尋ねた。
「オレは…稀咲。稀咲修二」
「…稀咲…さん。私はといいます。宜しくお願いします」
は稀咲と名乗った男に頭を下げた。まずは寒そうにしている稀咲を部屋に案内して言われた通り風呂と食事を用意する。その後に現状説明をして、どうするか考えるのはそれからだと思った。
「あ…では空いてるお部屋に案内します。そこでまずはお風呂に入って下さい」
「マジ?助かるわー」
稀咲という男はホっとしたように笑顔を見せた。その笑顔はあまりに無邪気で思わず毒気を抜かれそうになる。
「皆さんは部屋にいて下さい。竹本さんは枇々木さんのケガの治療をお願いします」
「分かった」
は大学生と竹本に声をかけてから稀咲を連れて一度リビングへ向かった。気は乗らないが一応舞衣子にも知らない人間を別荘へ入れる許可を取らなければならない。だがリビングのドアを開けた瞬間「!」と舞衣子の鋭い声が飛んで来る。
「何なの?矢口さんが彼にケガさせたんですって?」
「うん…」
酒に酔った舞衣子はケガをした枇々木に寄り添うようにしながらへキツい視線を向けて来る。あまり状況を把握していないのか「アイツ、おじい様に言ってクビにしてやるわ」などと怒りを露わにしている。きっと混乱させないよう枇々木がさっき起きたことを舞衣子に説明してないんだろうとは思った。
「あら…その人は?」
舞衣子が目ざとくの後ろから入って来た稀咲という男に視線を向けた。
「あ…彼は稀咲修二さん。スキー場に向かう途中で道に迷ったらしくて…。だから少しの間、ここで色々手伝ってもらおうかと思うの。枇々木さんもケガをしてるし無理は出来ないでしょ?」
「それは構わないけど…」
舞衣子は興味津々といった目つきで稀咲を見ている。そこへ竹本が医療鞄を持って戻って来た。
「枇々木さん、大丈夫かい?」
「…まあ…僕は腕を噛みつかれただけですよ」
タオルを傷口に当てて苦笑しているが、顔色はあまり良くない。舞衣子の前では情けない姿を見せられないのか、相当我慢はしているだろうなと思った。
「あ、稀咲さん。彼女は私の姉で舞衣子。彼は私達の祖父の秘書で枇々木さん、あとスキー場近くの病院で院長をしている竹本さんです」
「…どーも」
会釈する枇々木に稀咲も軽く頭を下げた。一通り挨拶を済ませ、は稀咲を促し、ゲストルームのある二階へ案内した。そこには大学生達の部屋もある。二人で静かになった廊下を歩いて行きながら、はふと稀咲を見上げた。ひょろりとした体型の稀咲は160以上あるでも見上げるほどに身長がある。興味津々でキョロキョロしている表情はあどけない印象を受けるが、さっきは死体を見て笑みを浮かべていたのだ。どういう人間なのか分からない分、も少し警戒していた。
「あ、この部屋です」
言いながらは部屋のドアを開けた。そこはこれから来るゲストが泊まるはずだったのだが、トンネルが塞がれてはそれも無理なのでここを稀咲に使ってもらうことにした。
「暖房のリモコンはこれで、バスルームも部屋に設置されています。温泉やサウナも入りたければ地下にありますし――」
簡単に説明していただったが、不意に背後で気配を感じ、ハッとしたように振り向いた。すぐ後ろには稀咲が立っていて、さっきとは違う冷めた目でを見下ろしている。
「あ、あの…」
「…何が起こってる?」
「え…?」
「オレがここに来るまでの間…頭のイカレたヤツをふたり見かけた」
「き、稀咲…さん…?」
「修二…」
「え?」
「修二でいい。そっちの方が呼ばれ慣れてる」
稀咲と言う男は真顔で言って来た。どういう意味なのかは分からないが、よく考えれば密室に知らない男とふたりきりという状況だ。素直に頷いておく。
「で…何が起こってんだ?えっと……だっけ?」
稀咲はベッドに腰をかけながら再び尋ねて来た。
「…そ、それはきさ…修二さんがお風呂に入って体を温めてから説明します…あの雪の中歩いて来られたなら体も冷えたでしょうし風邪を引いてしまいます」
「………」
ふと沈黙があり、が顔を上げると、稀咲は口元を緩めて笑っていた。
「修二さんって…何かいーな。そそられる」
「……は?」
「今までそんな風に呼ぶ女いなかったし」
「……あの…」
「何ならがオレを暖めてくれてもいーけど?」
「…な…」
何を言ってるんだと思いながらもは戸惑った。この男の目的がよく分からない。通りすがりに立ち寄ったと話していたが、突発的に起きたトラブルにしては落ち着き過ぎている。
「ま…それは冗談として…ここはお言葉に甘えさせてもらうわ。マジで体が冷えてっし…」
「あ、はい。お食事は一階のダイニングにあります。今夜パーティの予定だったので料理だけは沢山あるので好きに食べて下さい」
「そうさせてもらうわ。ああ、でもきちんと説明はしてくれよな」
稀咲はそう言いながらバスルームへと消えて中から鍵をかける音がした。風呂に入る時も銃は手放さないようだ。は何となくホっと息を吐き出して部屋を出た。
「シッカリしなくちゃ…今やらなきゃいけないことを考えないと」
電話が途中で切れたと竹本は言っていたが、ならば電話線が切れた可能性もある。この辺の主電源は管理人室として作った建物の裏辺りにあったはずだ。
(まずは確認して本当に切れているならスキー場のホテルへ行けば電話は繋がるはず…それに病院も近くにあるし枇々木さんを連れていければちゃんとした治療も受けられる)
だがこの雪の中、素人が怪我人を連れてスキー場へ向かうのは至難の業だ。近いとは言っても車で15分はかかる。徒歩ともなれば更に時間がかかるだろう。吹雪いているので視界も悪い。道に迷わないとは言い切れないのだ。
「どうしよう…」
いきなり雪山で孤立した状態は、都会育ちのにとって未知の世界だ。しかも狂暴化した人間が数人出ている。野犬もいる。経験したことのない状況を改めて考えながら、は深い溜息をついた。