七夜.最初から始めよう


外に出ると相変わらず雪は降り続いていた。風もまた少し強まって来たようで、時折粉雪が煽られ、宙に舞う。そのせいで前方が白く煙って視界がかなり悪くなる。半間は自身の荷物から持って来た懐中電灯を点けた。夜でもバイクをいじれるよう、逃亡中に手に入れたものだ。それでも視界全てを照らしてくれるわけじゃない。

(こんな時に襲われたらたまったもんじゃねえな…)

吹きつけて来る雪から顔を守るよう手をかざしながら、半間は視界を左右へ走らせた。今のところ野犬が近くにいる気配はない。

「凄い雪だ…!」

マサルが顔をしかめながら叫ぶ。見た感じ、どこかのお坊ちゃんといった雰囲気だ。こんなことがなければ半間とは一生、無縁の人間だっただろう。

「マサル、だっけ。オマエ、車のあるとこ知ってんの?」
「あー管理人室の裏側に止めたって竹本先生が言ってたかな」
「管理人室…」

別荘へ来る前、自分が忍び込んだ建物だと気づいた。そしてそこには弾薬があることを思い出す。

(ついでにもっと散弾銃の弾を調達しておくか…?)

あの時は状況も分からず、手に取れるだけの弾薬しかポケットに入れて来なかった。しかし野犬を直に見たことで、半間もさっき以上に警戒心を持っている。今後何があるか分からないのだから手に入れられるうちに調達しておいたほうがいい。

「ああ、あそこが管理人室だよ」
「おう」

半間は応えながらも「ちょっとトイレ行って来てもいいか?」と声をかけた。

「どーぞどーぞ。オレは車、取って来るんで」
「ひとりで大丈夫かよ」
「すぐ裏だし、ここまで来れば平気かな」

マサルは素直な性格なのか、笑顔で裏へ歩いて行く。その背中に声をかけて、半間は持っていた懐中電灯をマサルへ放り投げた。

「それ貸してやる。辺り確認しながら行けよ」
「あ、ありがとう、修二くん」

マサルは上手にキャッチすると嬉しそうに手を振って来た。気休め程度の明かりでも、真っ暗闇よりはマシだろう。マサルはそのまま裏の方へ姿を消した。それを見届けてから半間は管理人室へ入ると、今度は堂々と電気のスイッチを押した。明るくなった部屋はさっき来た時よりも印象が違って見える。別荘よりは狭いものの、リビングなどには暖炉があり、テーブルやソファといったものも高級そうだ。猟友会というだけあり、壁には狩猟をした時の戦利品なのか、鹿の頭が飾られてて、半間は思わず吹き出した。

「マジでこういうの飾るヤツいんだな」

あんなもの映画やドラマでしかお目にかかったことがないとばかりに、鹿の顏を見つめた。その隣にはライセンスが飾られている。

「もしかしたら銃もこれだけじゃねえかもな…」

テーブルを見れば散乱した弾薬があった。半間は弾薬の入った箱と散らばった弾を全て拾うと、すぐ傍にあった布袋の中にそれをしまった。続いて奥にある扉を開けると、そこには階段がある。迷うことなく上がって行くと、寝室らしい部屋と倉庫のような部屋、バスルームなどが設置されていた。

「一応、住めるようになってるってわけか」

一つ一つ部屋を確かめながら、半間は倉庫の中へ入った。すると案の定、壁にはいくつかの銃が飾られている。いわゆる狙撃銃と言われているスナイパーライフルだ。狙撃銃は精度が高く命中率が良い小銃でスコープ付きのこれは遠距離からでも的確に獲物を狙える代物だ。ただし、扱いはそれなりに難しい。

「へえ…かっけー。持っていきてーなぁ」

別荘の部屋から野犬が見えた時、これがあれば仕留められたのに、と半間は思った。近距離で戦うより、遠距離で攻撃出来る方が断然有利ではある。半間は壁に飾られている銃のうち、一つを手に取ってみた。ズシリと重たい感触。なかなか扱いは大変そうだとも思う。今持っているショットガンのような銃ならそれほどリコイルを気にしなくても近距離であれば確実に当たるが、遠距離武器はそうもいかない。重力や空気抵抗を考えながら狙う必要がある為、かなりの訓練が必要になる。

「まあ、でもないよりマシか」

半間は棚の上にあったスリングを小銃に装着し、肩から下げると、弾の並んでいる棚から目当てのものだけを布袋の中に突っ込んだ。その時、裏手で車のエンジンがかかる音がした。

「どうやら見つけたようだな」

半間はすぐに倉庫を出ると、階下に戻って電気を消してから外へ出た。ちょうど白いBMWが目の前に停車する。

「はっ…BMのセダンかよ、あのオッサン」
「修二くん、車あったよ。乗って」

マサルが助手席のロックを外す。半間はドアを開けながらも辺りに視線を走らせてから車内に滑り込んだ。

「ガソリンも結構入ってるから、これなら何往復しても持ちそうだよ」
「ふーん。オマエ、雪道の運転慣れてんの?」
「いや…そんなには。でも安全運転で行けば大丈夫だと思う」
「そ?ならサッサと別荘戻ろうぜ。マジさみーわ」
「りょーかい」

マサルはすぐにアクセルを踏み込むと、元来た道をライトで照らしながら走り出す。マサルは半間が担いでいる銃へ視線を向けながら「それは矢口さんの?」と訊いて来た。

「ああ。一応、武器になりそうなもんは持って来た。いざって時に役に立つ」
「そっか…修二くんは凄いな。そんな銃の扱い、どこで覚えたんだ?」
「前にちょっとだけ撃ったことがある程度。まあ、こういうのはモデルガンと操作はだいたい同じだからどうにかなんだよ」

半間の説明にマサルは感心しきりのようだった。あまり人を疑ったことのない素直な性格のようだ。半間の知らない、平和な世界の住人。それを別に羨んだこともない。半間のいた世界は刺激的だった。だがそれもすぐ飽きた頃、ひとりの男に出会った。ふと狡猾な瞳を思い出し、軽く首を振った。もう何もかも、過去の話だ。

「んでー?どういう感じで先行すんの?」

これから別荘に戻り、枇々木や竹本らを乗せていくことになる。この車なら他に二人乗れるのだから、大学生の仲間を先に運ぶはずだと半間は思った。

「ああ、えっとまずは竹本先生とあの秘書の人、あとオレのツレを二人乗せて病院とホテルに送ってから、またここに戻って来る感じかな」
「じゃあホテルのスタッフも連れてくりゃいいんじゃねーの?ホテルなら車も何台かあんだろ。何台かで迎えに来れば他の奴ら全員乗せられんだろ」
「あ、そーか!うん、じゃあホテルのスタッフに言ってみるよ」

素直に頷いたマサルは前方を真っすぐ見ながら小さく息を吐いた。さっきよりは落ち着いたようだが、やはり友人を目の前で失ったことが尾を引いているのか、少し疲れた顔をしている。

「修二くんは…」
「あ?」
「こういったトラブルに慣れてるの?」
「…いや、さすがにオレも初めてだわ」
「でも結構慣れてる感じだったよね。飯田の死体を見ても特に驚かなかったし…」
「飯田…?ああ…エントランスで死んでたオマエのツレか…」

マサルは無言のまま頷いた。

「別に…死体見んのは初めてじゃねーから」
「え…そうなんだ」
「まあ…オレもツレが死んだ姿、目の前で見たことあっからオマエの気持ち、少しは分かるわ」
「…修二くんも…?そっか…」

マサルはそれ以上、何も言わなかった。半間は何でコイツにこんな話をしてんだと内心苦笑しながらも、あの雪の日の交差点を思い出す。道路の真ん中に転がっていた稀咲の死にざまはすさまじく、遺体の損傷も激しかった。ついさっきまで生きていた人間が、一瞬の間に死んでいた。半間を楽しませてくれた男は、もうこの世にはいない。あの瞬間から、どこか胸の奥にぽっかりと穴が開いたような、そんな空しさが続いている。このまま逃げ続けたとしても、この先あの頃ような楽しさを見いだせるのかどうかも分からない。

「ふう、無事についた」

車が止まり、半間はふと我に返った。見れば別荘のエントランス前に停車している。

「オマエ、大丈夫か?そんなんで病院まで運転できんのかよ」

管理人の家からこの別荘までの数分、ちょっと運転しただけでマサルは額に汗をかいている。慣れない雪道は思ったよりもハンドル操作の感覚が違ったようだ。

「安全運転で行くよ」
「気をつけろよ?事故っても助けなんかこねーぞ。電話も通じない今はオマエらが途中で立ち往生したとしてもオレ達には分かんねえんだから」
「そ…そう、だよね」

現実を突きつけられ、マサルは顔が引きつった。思っていた以上に大変な仕事を頼まれたのだと自覚したようだ。

(大丈夫か?コイツ…)

半間は溜息を吐きながら車を降りると、エンジン音で気づいたのか、ちょうどドアが開いてが顔を出した。

「お帰りなさい」
「おう。何とか車は動くみたいだな。まあ、アイツの運転は少し頼りねえけど」

半間の言葉には僅かに眉間を寄せ、未だ運転席にいるマサルへ視線を向けた。

「とにかく中へ。ここは危険だし…怪我人に肩を貸してもらえますか」
「言われなくても。おい、マサル。今、怪我人運ぶからオマエはそこで待ってろ」
「わ、分かった」

マサルは運転席側の窓を少し開けて応えた。弱まっていた風が、また少し強くなって来たのか、地面の雪が再び舞い上がっている。

「早くしねえと視界が悪くなるな…」

辺りを見渡し、半間は小さく呟くと、の後から中へと戻った。そこにはすでにグッタリとした枇々木に肩を貸している竹本、大学生の女二人がジャンパーを着て待機している。舞衣子は仏頂面のまま、そっぽを向いていた。

「おい、オマエの姉さん、どうやって説得したんだよ」

ふと気になって尋ねた。さっきまでは自分が先に行くと言い張っていた舞衣子が、今は先行するのを諦めているように見える。

「舞衣子ちゃんは人一倍、人の目を気にするの。大学生をないがしろにしたら、後々何を暴露されるか分からないって言ったら渋々残るって言ってくれた」
「へえ。自己中なお嬢様も世間体は気になるのか。ウケる」

半間が笑うと、ジロリと睨まれた。怖ぇ女、と内心苦笑しながら、半間はグッタリしている枇々木の反対側の腕を自分の肩へ回した。

「コイツは後部座席だな。オッサンも後ろだろ?」
「ああ。私は彼の容態を診ている必要がある」

枇々木は殆ど意識のない状態だった。人間に噛まれただけで、ここまでダメージを受けるものか?と半間は首を傾げる。少し疑問に思いながらも、どうにか後部座席へ枇々木を押し込んだ。その隣に竹本も乗り込む。

「オッサン。病院とスキー場のホテルって近いのか?」
「ああ。目と鼻の先だ」
「なら安心か」
「君は?いつ移動する気だ?」
「オレ?オレは別に最後でいいよ。どうせ部外者だし」

肩を竦めて笑う半間を見上げ、おかしな男だと竹本は思う。どう見ても善人には見えず、こういう時真っ先に乗せろと言って来そうなのにそれをしない。に何か交換条件を出したらしいが、特別それに固執しているようにも見えなかった。何故ならが大学生達に同じ頼み事をしたにも関わらず、半間は何を言うでもなく、頼まれたわけでもないのに普通に協力していたからだ。そもそも武器を持っているのだから脅して言うことを聞かせようと思えば簡単に出来るはずなのに、それをしてこない。竹本は半間を見つめながら、「…では、さん達を頼む」と言った。

「彼女たちは最後まで残るだろうから守ってあげて欲しい」
「それって命令?」

半間の眉が僅かに上がり、竹本は苦笑いを零した。

「いや…お願いだよ」
「ふーん。まあ、どうせ一緒に行くことになるだろうからいいけど」
「ありがとう」

竹本は別荘に戻っていく半間の背中に、そう声をかけた。




* * *



「最悪…」

マサルの運転で、枇々木、竹本、大学生の女二名を乗せた車が遠ざかっていくのを見ながら、舞衣子が呟いた。自分の思い通りにいかなかったことで未だイライラしているようだ。

「わたし、部屋にいるから。次の迎えが来たら呼んでね、
「…舞衣子ちゃん。わたし達は最後だよ」
「はあ?残ってるのは大学生ふたりでしょ?わたしに使用人より後に乗れって言うの?」

この別荘にはシェフを入れた五人のスタッフがいる。全てスキー場近くのホテルで働くことになっている者達だ。いわば財閥に雇われている者であり、舞衣子にとっては使用人と何ら変わらない。ゲスト以上に気遣う必要がない存在だった。

「スタッフの安全を考えるのもわたし達雇い主の義務だよ、舞衣子ちゃん…。おじい様にそう教わったでしょ」
「何を偉そうに…こんな状況で安全も何もないじゃない。わたしは自分の身を守りたいだけ。枇々木さんのことも心配だし。だから私は次の迎えで乗って行くわ」
「舞衣子ちゃん…っ」

こうなると舞衣子は手が付けられない。は困ってしまった。その時、半間が軽く吹き出した。

「へえ、財閥の娘ってやっぱ絵に描いたように我がままなんだな」
「はあ?どういう意味よ!」
「そのままの意味だけど。甘やかされ過ぎじゃねーの、オマエ」
「な…失礼ね!助けてやったのに何様?!」
「オマエこそ、何様だよ。それにオレはオマエに助けられたなんて思ってねえ」

舞衣子のヒステリックな態度を見ても平然としている半間を見て、は慌てて「止めて下さい」と仲裁に入った。舞衣子はイライラが頂点に達したのか、そのままリビングを出て行く。それを見送りながら、は溜息を吐いた。

「もう…あまり舞衣子ちゃんを刺激しないで」
「…知るか。オレはああいう女、大嫌いなんだよ。自分で何も出来ねえくせに勘違いしてるヤツはな」
「……だからわたしにもあんな条件を?」

吐き捨てるように言った半間の言葉を聞いて、はふと顔を上げた。危険だと分かっていて半間に無理なお願いをしたことで、とんでもない条件を出されたことを思い出す。半間の視線が動き、に向けられた時、「半間さん」とひとこと呟く。半間は表情も変えずにを見つめていたが、不意に笑い出した。

「…な~んだ。バレてたのか」
「申し訳ないと思ったけど…あなたの荷物を調べさせてもらった」
「荷物?へえ…意外とそういうことするタイプだったんか…失敗したなー」

半間は悪びれた様子もなく、笑いながらソファに座った。偽名がバレても平然としている半間を見て、指摘したは少なからず動揺した。この男にとって正体がバレるということは、大して重要な問題ではないということだからだ。不敵な笑みを浮かべる半間を見下ろし、はどうしようかと小さな迷いを感じた。

「どうして…偽名を?」
「別に。大した意味はないけど?知らねえヤツに名乗る義理もねえしな」
「……他意はないってこと?」

警戒したように尋ねると、半間は楽しげに笑いだした。

「そもそもさぁ。オレは偶然通りかかっただけで頭のおかしなヤツに殺されかかってんだよ。普通、状況がハッキリするまでは警戒くらいすんだろ」

半間の言うことにも一理ある。確かに普通じゃない状況に放り込まれ、命さえ危うかった場合、自分でも出会った人間を警戒するだろう。

「分かった…ごめんなさい」
「別に謝ることはねえけど。いきなり飛び込みでオレみたいな男が来たら、そっちだって警戒すんのは分かるし。まあ、オレはコレも持ってるからな」
「…そっちの銃は?矢口さんのとこから持ち出したの?」

半間の手にある小銃を見てが尋ねた。

「まあな。言ったろ?すぐそこに野犬がいたって。だから念の為、遠距離でも撃てる銃を借りて来た」
「…そんなものも扱えるの?」
「いや、まさか。こんなもん撃ったこともねえけど…後で持ってくりゃ良かったって後悔するよりいいかと思っただけ」

そういう場面が来ないに越したことはねえけどな、と半間は苦笑した。こんな状況の中、冷静に次のことを考えているのか、とは感心した。ただオロオロするだけの自分達とは違う。明確にそういった状況を想像し、考え、対策を練っている。自分よりも年下の男が、こんな経験したこともない出来事に直面しているにも関わらず、次に起こることを想定して動いてると分かった時、の中で半間に対する畏怖の念が少し和らいだ。さっきはとんでもない条件を出されて危険な男だと思ったが、車を取りに行く際も決して強引な手段は取らず、きちんと協力をしてくれたことも、最初の印象を変えるキッカケになった。

「…じゃあ今から…半間くん、でいい?」
「修二でいいつったじゃん」
「じゃあ…修二くん」
「くん付けかよ」

苦笑する半間の隣に座ると、は手を差し出した。

「改めて、宜しく」
「…握手って…オレ的にはキスの方が嬉しーんだけど」
「…ちょ、」

差し出した手を強引に引っ張られて、半間の方に倒れ込んだは慌てて顔を上げた。覗き込んで来る鋭い瞳と見つめ合う形になり、初めて半間の顔をハッキリと視界にとらえた。整った綺麗な目鼻立ちをしているとは思っていたが、それ以上に妖しい独特のムードがある。その視線に身も心も絡めとられそうな気がして、抱き寄せられた羞恥とは別に、心がざわめいて落ち着かなくなった。

「キ、キスなんてするはずないでしょ…」

半間の硬い胸元を手で押し返すようにして言い返したものの、思ったより弱々しい声が出て自分でも驚く。あり得ない。こんな時に何を考えてるんだと自分に言い聞かせながら立ち上がる。半間は「残念」と笑って言いながら同じく立ち上がると「じゃあスタッフにすぐ出られるよう言って来い」と言った。

「え?」
「次はスタッフ達を乗せるんだろ?サッサと言って来い。この雪じゃいつ迎えの車が来るか分かんねえけどな」
「あ、うん…そうだね」

きちんとスタッフのことを考えてくれていたことに驚きながらも、はすぐにキッチンへと向かう。ますます半間のことが分からなくなった。

「……変な人。舞衣子ちゃんみたいに先に乗せろって言ってこないし…」

悪い人なのか、いい人なのか、さっぱり分からない。それでも最初の頃よりは半間を信じてもいいのかもしれない、と思い始めていた。