03.優しい悲劇


夕方、万次郎を尾行した後、一度特服に着替え集会場所に使っている神社へやって来たドラケンを出迎えたのは、その話を最初に聞いていた三ツ谷だった。
バイクから降りたドラケンの所へすっ飛んで来ると、周りに誰もいないか確認してから不安げな表情でドラケンを見る。

「どうだった?上手くいった?マイキーは一足先に来たけど何か様子がおかしくてさ」
「あーまあ…そうだろうな…」
「何、その煮え切らない感じ…まさか失敗したとか?」
「いや…」

興味津々といった様子の三ツ谷に、ドラケンはどう説明しようかと考えた。
まだ本人に直接何かを聞いたわけじゃない。
が、それも面倒になり、とりあえずドラケンは見たまんまの事を伝えた。
案の定、三ツ谷はドラケンの想像通りの顔をして、口を大きく開けたまま、固まった。

「嘘だろ?あのマイキーが……女とみ…みみ密会…」
「俺も最初はそう思ったけどよ…。なーんか楽しそうに喋ってたんだよなあ。しかも弁当なんか貰って食ってたし」
「え…まさかの餌付け?!」

三ツ谷もドラケンと同じ思考回路のようで食いしん坊の万次郎が餌に釣られたのかと思ったようだ。

「とにかく尾行したのはバレてっし、俺から直接聞いてみるわ」
「……そ、そうして。このままだと俺も落ち着かねーし…。ってかマイキーが女と公園デートって想像できねぇ…」

三ツ谷はブツブツ言いながら仲間の集まっている境内へフラフラ歩いて行く。
ドラケンもそれに続き、その後はいつもの集会が始まった。
万次郎はドラケンが来たのを見ても目を合わせようとはせず、どこかよそよそしい。
だが集会も終わり、解散となった頃、ドラケンの所へ万次郎が歩いて来た。

「ケンチン。ちょっと顔貸して」

その顔は怒っているようにも見えず、どちらかと言えば視線を泳がし、照れ臭いといった表情だ。
集会後にドラケンの方から声をかけようと思っていたので、丁度いいとばかりに万次郎について行く。
万次郎は人気のなくなった神社の階段に腰を下ろすと、後ろに突っ立ったままのドラケンを肩越しに振り返った。

「…何か言いたそうな顔だな、ケンチン」
「そりゃ…」
「つーか尾行してくるとか趣味悪すぎ」

万次郎は僅かに目を細めると不満げに唇を突き出した。
その顔を見る限り、ガキだった頃の面影を色濃く残していて、やはりさっき見たものは何かの間違いなんじゃないかとさえ思えて来る。

「オマエの様子が最近変だったからな。心配だったんだよ」
「…あ?変って何だよ」
「変だったろ。皆といても上の空、俺らの縄張りに他のチームが幅きかせてきても知らんぷり。集会開いてもテキトーに終わらせる。あげく…毎日どっかへ消えやがる。これで変じゃなきゃ何だってんだ?マイキー」

つらつらと苦情を並べ立てられた事で、万次郎の唇が更に突き出される。
だが自分でも分かってはいるのか、不意に目を伏せ「ごめん。ケンチン」と一言呟いた。
素直に謝った万次郎を見て、ドラケンも小さく息を吐き出すと、苦笑交じりで隣へと座った。

「んで?オマエの変な行動の理由はさっきの子って事でいいのか?」
「………」
「あんな真面目そうな子とどこで知り合ったんだよ」
「…公園」
「公園?って…さっきの公園か?」
「うん。先々週、雨が続いた日があったろ」
「あーあったな…」
「傘忘れた日の帰り、土砂降りになって少し落ち着くまであの公園で雨宿りしようと思ったんだ」
「雨宿りぃ?んなこと出来るもん、あの公園にあったか?」
「ゾウの形のトンネルがあんじゃん」
「あ、あれか」
「そこにさ。がいたの」
…?さっきの子か」
「うん」

淡々と話す万次郎の顏は殊の外、優しい。
隣に座りながらそんな万次郎を見て、ドラケンは内心驚きながらも、少女との間にあったという話を聞いていた。

「え、じゃあマイキーが壊した眼鏡の弁償をするのに次の日にもあの子に会った、と」
「うん」
「その後は…ただ公園で会ってるだけって事か?約束もしないで?」
「…そうだけど。悪い?」
「いや、悪かねーけど!俺はてっきり餌付けされたのかと…」
「餌付けぇ?俺は野良猫かっ」

猫扱いされた万次郎はムっとしたように言い返す。

「あれはがバアちゃん用に作って来た弁当で、でもバアちゃんが出前でご飯済ませてたからって俺にくれただけだし!」
「いや、でもその前にも何かもらったって言ってたろ」
「その前ぇ?ああ…カップケーキか…」
「そうそう」

万次郎は思い出したように呟くと、不意にニヤケた顔で、

「あれは家庭科の授業で作ったのを貰ったの」
「へえ……(嬉しそうな顔しやがって)」

隣でニヤける万次郎を見ながら、ドラケンは思わず口元が引きつった。
が、総合的に話をまとめると、二人は付き合ってると言うわけではなく。
単に顔見知りってだけの関係のようだ。

「んで何で俺らに隠してコソコソ会いに行ってんだよ」
「…それは…こんな風に根掘り葉掘り聞かれると思ったし…。つーか会わせろとか言うだろ」
「あ?何だよ。俺達があの子に会ったら何か問題あんの」
「あるよ!ケンチンみたいにイカつい奴が現れたら、がビビるだろーがっ」
「……あ?」

今では頬を膨らまし、そっぽを向いている万次郎を見て、ドラケンは訝しげに眉を寄せた。

「ひょっとして…オマエ、自分のこと何も話してない、とか…?」
「…ぐっ」
「マジ…?」

慌てたように言葉を詰まらせる万次郎に、ドラケンは更に口元を引きつらせ、溜息をついた。
それを聞いて納得した。
万次郎がコソコソしてたのは照れ臭いのもあっただろうが、一番は彼女に自分が東卍の総長だとバレたくないのだ。
そして、そんな事まで気にするのは万次郎が彼女に―――。

「マイキーあの子に惚れてんの」
「………っ」

ドキっとしたようにドラケンを見る万次郎の頬は赤い。
それにはドラケンも目を細めた。万次郎のこんな顔は初めて見た、といった顔だ。

「惚れてちゃ…わりぃかよ」

顔を赤くしながら、またしてもそっぽを向く万次郎の顏は意外にも真剣で。
さすがのドラケンも呆気に取られたが、あの、女にとことん淡泊だった万次郎が遂に目覚めたと思うと何故か笑えて来た。

「いーや、悪くねぇ。むしろいいんじゃねーの」
「…何笑ってんだよ」
「だってオマエ、これまで女とか興味なかったろ」
「……だから?」
「何であの子に惹かれたのかと思ってさ。言っちゃわりぃが、あの子はどう見ても俺らと住む世界が違うし」

はどこからどう見ても優等生、かたや暴走族グループの総長。
共通点など一つもないように見えた。
万次郎も分かっているのか、ふと真剣な顔で下方に見える町並みを黙って見つめている。

「別にどこがいい、とかねーよ」

暫しの沈黙の後、万次郎がふと呟いた。

「…え?ないの?」
「ただ…が傍にいると心が落ち着く」
「心が…落ち着く?」
「そ。俺らにとっては普通じゃない事を、は普通に頑張っててさ。何か芯が強いっていうか、凛としてて、こう…綺麗なんだよ」
「…綺麗…」

話を聞きながらもドラケンはの事を思い出していた。化粧っ気もなく見た目はどう見ても地味。
なのに万次郎は彼女を綺麗だと言う。そのギャップに、興味が沸いた。

「へえ…じゃ、本気なんだ」
「当然」
「なら告らねーの?」
「………」
「ああ、自分のことバレたくないんだっけ?もしかして嫌われるとか思ってんの」
「………」
「……(図星かよ)」

急にシュンとした感じで項垂れる万次郎を見て、ドラケンは内心苦笑した。
確かに彼女みたいな優等生に自分は東京卍會の総長だ、と告白するのは勇気のいる事かもしれない。
だがドラケンの目から見て、彼女の方も万次郎に対し、少なからず好意を持っているように見えた。
でなければ自分が作った物を食べさせたりしないだろうし、眼鏡の弁償をしてもらったなら、そこで関係を終わらせていたはずだ。

「オマエが惚れた子なら、そんな事で嫌いなったりはしないんじゃねーの」
「え?」
「俺の目から見て、向こうもマイキーにまんざらでもない様子に見えたしな」
「マジ?!」
「うぉっ」

ドラケンの言葉に喰いつき、万次郎が嬉しそうに立ち上がる。
それを見上げながら、ドラケンは苦笑いを浮かべた。

「案外あの子もマイキーに惚れてんじゃねーの?いくらバアちゃんの世話で近所まで来るからって、わざわざ寄り道はしねーじゃん、普通」
「そっか…そうだよな」
「おう」
「じゃあ俺、明日告ってみる!」
「おう」

つい応えてしまったドラケンだが、すぐに「って明日?!」と驚いたように立ち上がった。

「おい、マイキー」
「あ、もしもし。?俺。うん、遅くにごめんね?寝てた?あ、ほんと?」
「………(ちゃっかり番号は聞いてたのかよ)」

嬉しそうに電話をしながら階段を下りて行く万次郎の背中を見下ろしつつ、ドラケンは苦笑交じりで息を吐き出した。
万次郎の後からついて行くと、どうやら明日、会う約束を取り付けたようだ。

「うん、じゃあ明日。お休み、

デレた顔でそう言うと、万次郎は電話を切って、満面の笑みで振り向いた。

「明日、会う事になった!」
「ああ、聞いてたよ…。つーかケータイ番号、知ってんなら、いつでも誘えたんじゃねーの?」
「まあ、そうだけど…に電話したのって今が初めてだし…」
「は?何で?」
「何でって…改めてかけるのって恥ずいじゃん。用もないのに何話せばいーかわかんねーし」
「だって公園で普通に喋ってたろーが」
「会って話すのと電話で話すのって違くない?電話って変に緊張するし…」
「いや、今よくかけれたな、そんなんで!」

思ってた以上に奥手な万次郎に、ドラケンも突っ込まずにはいられない。
そもそもドラケンと初対面となる小学生の時に、顔を付き合わせて早々、四十八手の話を振って来た男が何を言ってるんだと言いたい。
男女のあれこれの知識があって ちゃっかり風俗嬢のサービスも受けるくらい早熟なクセに、何で電話の一つもかけられないのか、と聞きたくなった。

「いや今は明確な用があったし」
「あっそ……」

ドラケンはすでに疲れ果て深い溜息を吐きながら愛機にまたがった。

「マジで明日、告るわけ?」
「うん。っていうか、そろそろ言おうか迷ってたとこだったし」

万次郎も愛機のバブにまたがると、ドラケンに向かってニっと笑った。

「何で急に?電話もかけられなかったのに」
「いや、モタモタしてたら他の男に取られるかもしんねーじゃん。何かこの前クラスメートの男の話とかされて嫌な気分になったしさ」
「…いや、あの子に限って取られるとかはねーだろーよ」
「あ?どういう意味?」

ドラケンの言葉にムっとしたように目を細める万次郎。
その様子を見て、恋は盲目とはよく言ったもんだな、とドラケンは苦笑した。

「どう見てもあの子は優等生だし、何つーか地味だし心配するほど男が寄ってくるようには見えねぇ」
「何だよ、それ。がブスだって言いたいわけ?いくらケンチンでも許さねーよ?」
「……いや、ブスとは言ってねーだろ」
「でもそういうこと言いたいんだろ?」
「いや…」

真剣な顔で怒っている万次郎を見て、ドラケンは困ったように頭をかいた。

「わりぃ…。まあ人は見た目じゃねーっつーし―――」
「ケンチンは知らないだけだろ。はちょー美少女だから」
「は?美少女?あの子が?」
「ふん。ま、俺だけが知ってるから、それはそれでいいけど」

何故か得意げな顔をした万次郎は、「のクラスにさー。俺と同じように金髪の男がいるって言うんだよ…」と溜息をついた。

「ぶん殴りに行こーかな…」
「何で?!」

あまりに理不尽な事を言い出した万次郎に、ドラケンはこの日、何度目かの突っ込みを入れた。















次の日、は万次郎との待ち合わせ場所である渋谷に来ていた。
駅の近くのカフェで、と詳しい場所を教えて貰ったは、辺りをキョロキョロしながら歩いて行く。

「ほんとにコッチでいいのかな…」

普段は足を踏み入れた事もない場所に戸惑いつつ、近くのビルを見上げた。
そこは駅前とは違い、裏通りみたいな場所。
そして立ち並んでいるのはいわゆる風俗店といったものが入っているビルで、看板には肌を露出した女の子の写真がどーんと載っている。
はそれらを視界に捉えながら、頬が熱くなってくるのを感じ、早歩きで通り過ぎていく。

(佐野くんが言ってた店ってどこなんだろ…)

夕べ初めて万次郎から電話が来た時は本当に驚いた。
以前、新しい眼鏡を買ったら写メ送って、と万次郎に言われ、そこでメアドや番号を教え合ったはいいが、本当に弁償して貰った眼鏡の写メを送っただけで、その後の電話はもちろん、メールさえ来た事がなかったからだ。
なのに夕べは突然の電話で、「明日の日曜って暇?」と訊かれ、一気に心臓へ負担がかかった。

『美味しいケーキのあるカフェ見つけたんだけど行かない?、ケーキ好きだって言ってたじゃん』

万次郎からそんな誘いが来るとは思ってもみなかった事で、戸惑いはしたが、二つ返事でOKした。
そして驚きのあまり、その後で愛子へ電話をすると、それって確実にデートじゃん!と言われて、まさか、とは思ったが、二人で初めて公園以外で、それも休日に会うとなれば、愛子の言ってる事も違うとは言い切れず。
半信半疑でこうして指定された渋谷まで来てしまった。
愛子に「ちゃんとコンタクトにしてお洒落していきなよ?」とは言われたものの、いきなり普段と違う格好をするのも躊躇われ、いつもの眼鏡をかけている。
だが一応、日曜という事でお気に入りのワンピースを着て、靴もお出かけ用のミュールを履いて来た。
以前、愛子に選んでもらい買ったものだ。まだ一度も履いていなかった為、今日初めて外に履いて来た。

「髪くらいは下ろした方がいいかな…」

いつもは邪魔でつい一つにまとめてしまっているが、ただでさえ渋谷という街はお洒落な人たちが多く、少々気恥ずかしい。
とは言え、今が歩いている場所はそれほど人通りも多くない。
ビルの合間に小さな店があるが、それもスナックといった夜の店が多く、明るい時間帯は通りも閑散としていた。

「こんなとこにカフェなんかあるのかな…」

とりあえず言われた通りの道順で歩き、角を曲がる。
が、そこではドキっとして足を止めた。

「こ、これって…ホテル街…っ?」

目の前の通りには左右に世間で言うところのラブホテルが立ち並び、真昼間にも関わらず、たまにカップルらしき男女が入っていく。
それを見ていたは一気に顔が赤くなった。同時に、この前愛子に言われた事を思い出す。

"そのうち変なとこに連れ込まれて押し倒されちゃうかもしれないでしょ?だから警戒しときなって"

変なとこ、と言うなら今、目の前に立ち並んでいるホテルもその中に含まれるだろう。

「ま…まさか、ね…」

万次郎は角を曲がって真っすぐ、突き当りを右に入るとカフェがあると言っていた。
だからそんなはずはない、とは思い切り頭を振る。

(でも行ったところが実はカフェじゃなくてホテルだったら…)

なんて事も頭を過ぎる。
でもすぐにまさか、と変な想像を打ち消し、は歩き出した。
ホテル街を歩くと言うだけでも恥ずかしかったが、なるべく足早に通り過ぎていく。
そして言われた突き当りを曲がった時、そこは民家などもある普通の通りだった。

「何だ…ホテルってこの通りだけだったんだ」

少しばかりホっとして、カフェらしき店を探す。
辺りは古くからある床屋があったり、合間に民家、そしてまた飲み屋の入ったビルなどがあり、最近では隠家的な店がこういう場所に作られる事が多い。
万次郎が言っていたカフェもきっとそんな店なんだろう、と思いながら、は歩いて行った。
だが、その時、目の前のビルから出て来たチンピラ風の男達四人が、ちょうど前を歩いていた年配の女性にぶつかり、その女性が転倒するのが見えた。

「このババア!痛ぇーじゃねーか!」
「す、すみません…」
「すみませんじゃないでしょー?おばあちゃん、コイツ、怪我してるしー」
「あーあー。こりゃ治療費もらわねーとなあ?」

男達は転んだ女性を取り囲み、笑いながら脅している。
怪我をした、という男は大げさに腕を押さえながら、「骨折れたかもー」と、治療費として50万払えと言い出した。

「そ、そんなお金は…」
「嘘つけ。年金があるでしょー?」
「貯金もあんじゃねーの?その歳だともう使わないだろうから俺らが使ってやるよ」

大の男四人に囲まれ、女性は青い顔をして震えている。
それを見ていたは激しい怒りを感じ、拳を強く握りしめた。
その女性はの祖母と同じくらいの年齢だ。
あんなお年寄りを四人で寄ってたかって脅すなんて許せない、とは思った。

「ほらー早く財布出せよー」
「や、やめて下さい!」
「はあ?ぶつかって来たのはそっちだろーがっ」
「ぶつかったのはアンタ達でしょ!」

あまりに腹が立ち、は男達の方へ歩いて行くと、思い切り怒鳴った。

「あ?」

男達は突然背後から怒鳴られ、ギョっとしたように振り向く。
だがの姿を見て、一斉に笑い出した。

「何だ、オマエ?このババアの孫か?」
「違います!でも嘘ついて治療費取ろうなんて、アンタ達は最低よっ」

キッパリそう言うと、は倒れている女性の体を抱き起した。

「大丈夫ですか?」
「は、はい…。ありがとう御座います…」

幸い怪我はしていないようで、女性はに支えられ、何とか立ち上がった。
だが男達はイラっとしたのか、一人が「てめえ、何してんだよ!」とを思いきり突き飛ばす。

「きゃっ」

その力は強く、小柄なは地面へ思い切り転ばされた。
男達はその様子を見てなお、ゲラゲラと楽しそうに笑い出す。

「余計な事すんなよ、このブスが!」
「それともオマエが治療費、払ってくれるのかなあ?」
「払うわけないでしょっ?」

手は擦りむいたが、は気丈にも立ち上がると、向かって来る男を睨みつける。
それが癪に障ったのか、を突き飛ばした男が「生意気な女だな…」と、今度はの胸倉を掴んだ。

「その不細工な眼鏡ごとぶん殴ってやる」
「……っ」

大の男が女を殴る。こいつらは最低だ、とは思った。
そしてその気持ちのままに、男のスネを思い切り蹴とばした。

「ぎゃっ」

それにはたまらず男は悲鳴を上げると、から手を放し、その場に蹲る。
が、他の男たちが「このブス、何してんだ、こらぁ!」と怒りも露わにへ掴みかかって来た。
それでもはひるまない。

「いい大人の男がお年寄りや女に手を上げるなんて卑劣な真似するからよ!大嫌いなの!アンタ達みたいなのが一番!」
「このガキ!大人しくしてりゃいい気になりやがって―――」
「殴りたいなら殴ればいいでしょ?!」

の言葉に男がカッとした。

「お望み通り、殴ってやるよっ」

の顔面めがけて拳を振り上げる。
それを見たは覚悟を決めて思い切り目を瞑った。










「なーんで、ケンチンまでついて来るわけ?」
「別に一緒にケーキ食おうってんじゃねーよ。けど俺んちで時間潰させてやったんだから、ちょっとくらい覗きに行ってもいーだろが」

ドラケンはそう言いながら万次郎と共にエレベーターへ乗り込むと、一階のボタンを押した。
ドアが閉まる瞬間、馴染みの風俗嬢が「ケンカすんなよーケン坊!」と声をかけて来る。
子供の頃からこの店に世話になっているドラケンにとって、店の従業員は家族と同じ。
苦笑交じりで「しねーよ」と応えた瞬間、扉が閉まった。

「んで、マジ告んの?」

壁に寄り掛かりながらドラケンが尋ねると、万次郎は「当たり前だろ」と少し緊張した面持ちで応えた。
昔から飄々としてる万次郎が、ここまで緊張している姿はドラケンでも見た事がない。
本当に大丈夫か?と少し心配になって来た。

「で、告って上手くいった場合…全部話すのか?自分のこと」
「…うん」
「それで嫌われたらどーすんの」
「最初はそれが心配だったけど…よく考えたらはそんな事で人を嫌ったりしない。そんな子じゃない」
「会ったばっかだろ。わかんねーじゃん。だいたい優等生って奴は俺達みたいのは嫌いだろーよ」
は違うよ」
「…マイキー」

ふとドラケンを見上げ、万次郎が微笑んだ。

のクラスにさ。俺と同じ金髪の男がいるって言ったじゃん」
「ああ…」
「ソイツ、仲間と一緒に他校のヤツとケンカしては怪我して学校来るもんだからは心配で、いっつも説教してるんだって」
「説教…?」
「嫌いなら心配もしないし、ケンカやめろ、なんて説教もしないじゃん。にとったら不良なんて近づかないに越したことはないだろうし」
「まあ、そうだな」
「で、俺はがソイツの事を心配してる、なんて聞いてイラっとして殴りに行こうかななんて思ったけどさー。良く聞いたら、ソイツ彼女がいるらしくて」
「へえ」
「その彼女がいつもソイツの事で心配して悩んでるの見てるからも余計に心配して説教しちゃう、って言ってたんだよねー」

いい子だろ?と万次郎は嬉しそうな笑顔で言った。
まるで自分の事のように言う万次郎に、ドラケンの顏にもふと笑みが零れる。

(こうなったら何が何でも上手くいってもらいたいもんだな…)

エレベーターを降り、万次郎の後を歩きながら、ドラケンはそんな事を考える。
普段、万次郎は仲間に優しく、冗談も分かるノリのいいところもあるが、仲間以外の人間に対しては意外と冷淡な一面があるのをドラケンは知っていた。
そんな万次郎が初めて誰かを好きになったなら、少しは人を思いやる心を持てるんじゃないか、と思ったのだ。

「で、そのカフェってどこよ」
「あーここ真っすぐ、突き当り右に行ったとこ」

二人でホテル街を歩きながら、万次郎が前を指さす。
そして角を曲がった時、人の怒鳴り声が聞こえて来た。

「あ?何だ、あれ」

ドラケンがふと呟く。
前方に図体のデカい男四人が何やらモメている。

「このブス!何してんだ、こらぁ!」
「いい大人の男がお年寄りや女に手を上げるなんて卑劣な真似するからよ!大嫌いなの!アンタ達みたいなのが一番!」
「このガキ!大人しくしてりゃいい気になりやがって―――」
「殴りたいなら殴ればいいでしょ?!」

ドラケンはその光景を見て小さく息を呑んだ。
そして咄嗟に万次郎を見る。
が、その瞬間、万次郎はすでに走り出していた。

「マイキー!!」

前方を物凄い速さで走っていく万次郎を、ドラケンも追いかける。
そして男がに拳を振り上げた、その時、万次郎は地面を蹴って宙へと飛んだ。
そのまま飛び蹴りをするのかと思ったが、万次郎は空中で体を捻り、回し蹴りを男の眉間にヒットさせた。

「ぐぁ!!」

男は真横へ吹っ飛び壁に激突。呆気なくそのまま気を失った。
それを見た仲間の男達は青い顔で逃げて行く。

(あー目の前に彼女がいたから咄嗟に回し蹴りで横に飛ばしたのか…)

なるほどね、と相変わらずの万次郎の身体能力の高さにドラケンは苦笑いを浮かべ、ひとまず二人から距離を取って様子を伺った。

…!大丈夫?!」

万次郎が青い顔での顔を覗き込む。
だが今、まさに殴られそうになっていたは、目の前で起きた事が整理出来ないのか、放心状態で立っている。

「ケガは?!どこもケガはしてない?!」
「さ…佐野くん?」

両頬を手で包まれたは、顔面蒼白の万次郎に気づいて何度か瞬きをした。

…大丈夫かよ?!」
「あ……う、うん…私は…大丈夫」

何とかそう応えると、ズレた眼鏡を直す。そして後ろにいる女性に「大丈夫ですか?」と声をかけた。

「は、はい。私は大丈夫です。本当にありがとう御座いました」
「いえ、ケガがなくて良かったです」

はホッとしたように言って何度も頭を下げて帰っていく女性を見送ると、突然その場にへたりこんだ。

?!」
「ご、ごめ…ちょっと…気が抜けちゃって…」

万次郎が慌ててしゃがみ、の顔を覗き込む。
見ればの手が震えていて、その眼鏡の奥の瞳には薄っすら涙が浮かんでいる。
あんな風に男達を怒鳴っていても、本当は凄く怖かったんだ、と気づいた時、万次郎はを抱き寄せた。

「さ…佐野くん?あの―――」
「やめてくんない?」
「え…?」
「あんな奴らに一人で向って行くとか…危ねーだろっ?もう少しで殴られるとこだったじゃん…」
「ご…ごめん」
「俺の心臓、止める気かよ…」
「……あの…」

突然現れた万次郎にいきなり抱きしめられ、は頬を赤くして固まった。
その言葉の意味も分からず少しだけ体を離して顔を上げれば、酷く心配そうな万次郎と眼鏡越しに目が合う。
何故、万次郎がこんなにも自分の事を心配してくれてるのか分からない。

「ご、ごめんなさい…。でもお婆さんが脅されてて放っておけなくて…」
「だからって無謀でしょ。男四人相手に」
「ごめんなさい…」

万次郎に怖い顔で叱られたはシュンとしたように項垂れる。
その様子を見た万次郎は不意に頬を綻ばせ、もう一度を抱きしめた。

「さ、佐野く―――」
「でも…のそういうとこ、好きだよ」
「…え?」

驚いて聞き返すと、万次郎は少しだけ体を離し、の顔を覗き込んだ。

が大好きって言ったの」
「………っ」

何を言われたのか分からないと言った様子のに、万次郎はもう一度ハッキリ告げると、にっこり微笑んだ。

さん」
「は…はい…」
「俺と、付き合ってくれませんか」

万次郎、人生初の、告白だった。