
08.XOXO❸
万次郎たちがのマンションの見張りについた初日の夜は何事も起きなかった。
とりあえず朝になりそれぞれが学校へ行くのに一度家に戻った中、万次郎だけは家に戻らずドラケンの家に来ていた。
「マジでごめんて。マイキー」
ドラケンは笑いを噛み殺しつつ、自分のベッドへ横になった。
一晩中、外にいたせいで疲れがあるのか、どことなく体がギシギシとする感覚がある。
そして横になった途端、全身が重く感じるのは眠たいせいだ。
だが今はそれより何より、さっきからご機嫌斜めな総長の怒りを鎮めなければならない。
「別にわざとじゃねーだろ?俺はオマエを起こしに行こうと―――」
「俺は起きてたっつーの!もう少しで出来るとこだったのに邪魔しやがって…」
リビングを見張っていた万次郎と。
は途中までは起きていたようだが、気づけばソファで寝ていたようで。
万次郎はその後も一人で朝まで起きてベランダを見張っていたらしいのだが―――。
「あ、寝れなかったんだっけ。ああ~アレか。お気に入りのタオルケットがないから、とか?」
「は?違うし」
「じゃあやっぱアレだ。膝でが寝てるからムラムラして目がさえてたんだろ」
「………」
「図星かよ…」
冗談半分で言ったのが当たった事でドラケンが小さく吹き出した。
いつもならそこで「笑うな」と怒り出すはずなのだが、今回の万次郎はそれをスルーしてテレビ脇の棚の下段にあるボックスを何やらガサゴソ漁っている。
それを見ていたドラケンは上半身だけ起こして「何やってんだ?」と声をかけた。
万次郎が興味を示すものはあの箱にはなかったはずだ。
なのに万次郎はすでに怒りの方は収まって来たのか「ほら、アレ」と言いながら手を休める事なく振り向いた。
「確かここに隠してあったよな」
「は?何を」
「パーちんに借りたDVD」
「…DVD?」
ドラケンは訝しげに眉を寄せたが、万次郎は「あ、あった」とボックスから何かを探し当てると手にしたそれをDVDプレイヤーにセットした。
「おい、マイキー。何して―――」
『…あぁん…あん…っ…そこ……もっと…んん~…』
突然女の喘ぎ声が部屋中に響き渡り、ドラケンは何事だと思わず飛び起きた。
すると万次郎はテレビの前に座り込み、画面の中のAVをマジマジと観ている。
あまりにレアな光景に、さすがのドラケンも呆気に取られた。
「な、何してんだ、マイキー!!」
「何って確認?」
画面から目を離さず、万次郎が応える。
「はあ?何の確認だよ!」
「だから…こういうの観ても今朝みたいな感じになるのかどーか」
そう言って振り向く万次郎の顏は至って真剣で、どうやらふざけているわけでもないらしい。
だが万次郎は首を傾げつつ「やっぱ特に何も感じねーな、この手のやつは」とブツブツ言いながらチャプターを戻し、最初から再生しはじめた。
「やっぱ最初からじっくり観ると違うのか?」
腕を組み、あぐらをかきながら熱心に見入る万次郎。
これにはさすがのドラケンも白目になった。
一晩中外を見張り、たまに三ツ谷と交代で仮眠はとったものの、眠たい事には変わりない。
今日は学校もフケて夕方まで寝ようとした矢先、部屋中にアンアンと女の喘ぎ声が響き渡っていれば眠れるわけがない。
「おい、マイキー!観るなら貸してやっから自分ちで観ろよ!」
「え~?もう今から帰るのめんどい。眠たいし」
万次郎はアダルト映像を前にしても大欠伸をしながら観ている。
逆にドラケンはだんだん目がさえてきた。
ついでに聞きたくもない音声が耳から勝手に入って来て次第にエロい気分になってくる。(!)
特に男は眠たい時に限ってそういう欲求が強くなる変な生き物なのだ。
これはマズいと感じたドラケンはベッドから立ち上がり、DVDを止めようと万次郎の手から「貸せ!」とリモコンを奪う。
だが…。
「……すぴー…すぴー…」
「って寝てんのかよ!!」
座ったままの状態で寝てしまった万次郎に思わず突っ込む。
こういう所は前と全く変わっていない。
どんなエロい動画を見せても、最後にはこうして寝落ちするのが万次郎だ。
「ったく…マイキーのヤツ、にしか反応しないってどんなけ?」
溜息交じりでDVDを停止すると、ドラケンは万次郎の無邪気な寝顔を見ながら「仕方ねーな…」と苦笑した。
座ったまま寝ている万次郎を抱え、そっとベッドへ寝かせると、自分も隣で横になる。
「狭いベッドに野郎二人で寝るのかよ」とボヤきつつ、ドラケンは隣で気持ちよさそうに眠る万次郎を見た。
ついこの前までは女に目もくれず、チームやバイクの事ばかり考えていた万次郎が、遂に目覚めて好きな子と付き合いだし、その事であれこれ悩んでいる姿にふと笑みが零れる。
「青春してんなぁ…マイキー」
何だかんだ彼女が出来ても万次郎の理不尽な所はあまり変わらない。
だが不器用な二人を見ていると微笑ましい気持ちになって来るのは確かで。
ここ最近の万次郎の幸せそうな顔を見ていると、ドラケンとしてもホっとするのだ。
最愛の兄貴を失ってからは、どこか心に重たい枷を自らはめているような気がしていた。
これ以上、万次郎が大切な人を失って傷つくことのないように、傍で見守って行こうと改めて思っていた。
本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた瞬間、は大きな欠伸をした。
「はい、今日はここまでー。明日は小テストをやるからなー。予習復習しとけよー」
先生がそう言いながらふと自分の方を見た気がして慌てて口を閉じたは、じわりと浮かんだ目尻の涙を眼鏡をズラして指で拭うと、今の授業でやったところまでをチェックし始める。
と言っても睡魔のせいで珍しく頭に入って来ない。
夕べは下着泥棒の件で万次郎やその仲間たちが見張りをしてくれた事もあり、自分が寝てはいけない、と遅くまで頑張って起きていた。
だが知らないうちに寝落ちしていたようで、朝起きた時はちゃっかりソファで眠り込んでしまっていた。
それも万次郎の膝の上で。
その光景を思い出したは教室だというのに一気に頬が熱くなって来た―――。
今朝、目が覚めた瞬間、自分の寝ている状況が一瞬分からなかった。
でもパっと目を開けた時に自分を見ろしている万次郎と目が合い、そこで昨夜の事を思い出した。
は慌てて体を起こすと、
「ご、ごめんね!私だけ寝ちゃって…重かったでしょ…?」
「全然。重くはなかったけど…」
万次郎は少し困ったような顔で「理性の方がヤバかったかも」と苦笑いを浮かべた。
「俺も男だからやっぱ体が反応しちゃうしさ」
「え…?」
最初その意味が分からなかったが、万次郎がある部分を指さした事での顏が一瞬で真っ赤に染まる。
男性の体の仕組みは知識としてあるにはあったが、実際そんな場面に遭遇した事はない。
しかもその対象が自分、というのも初めてで、はどう応えていいのか分からず固まってしまった。
「あ、いや。別に何もしてねーから!ほんとに!」
の様子を見た万次郎は慌てたように言うと、気まずそうに「俺も誰かに対して自然にこんなんなったの初めてだし」と視線をそらした。
初めて、という言葉の意味が分からずが戸惑っていると、万次郎はガシガシと頭をかきつつ溜息をつく。
「俺、と出会うまでぶっちゃけ女とか興味なかったんだよね」
「え…そう、なの?」
「うん全く。だから変な話、女の裸とか見ても他のヤツみたいにはならなかったし、そんな俺の事を皆はおかしいみたいに言うしさ」
その話を聞いては少し意外な気がした。
暴走族とか不良と呼ばれている人達はだいたいが早熟で早いうちから彼氏や彼女なんてものがいる。
でも万次郎は付き合った相手も好きになった相手もが初めてだという。
といって男の性とそれとは、また少し違うものだと思っていた。
だって世の中には好きじゃない相手とも平気で深い関係になれる人は大勢いる。
「まあ二年前くらいは興味があって試した事もあったけど飽きたら全然だったし…」
「……?」
「あ、いい。今のなし!」
ハッとしたように万次郎は少し慌てたように言うと、の腕をそっと引っ張り自分の腕に収めた。
急に抱きしめられてドキっとしたが、万次郎は「何もしないから」と言って少しだけ腕を緩めると、の顔を見つめた。
万次郎の綺麗な顔が至近距離で見えて、それだけでも朝から心臓に悪い、とは思う。
「あーでも…だからさっきの話だけどだとさ…。そういう気持ちになっちゃうんだよね」
「そういう…?」
「キス、したいなあ、とか触れたいなあ、とか…?」
「………ッ」
「本音を言えば今もちょっと…いやだいぶ?ムラっとしてるというか…朝だし余計に反応するというか…が相手だとそういう気持ちが強くなるというか…」
「な…何…言って…」
困り顔で話している万次郎に、の顏の熱も上がっていく。
そこで愛子に言われた事を思い出した。
"彼氏がキスしたそうな素振りとかした事ないのかって聞いてんの"
あの時は"手を出してこないなんての事ほんとに好きなの?"と言われて軽く落ち込んだ。
だからこそ髪型を変えたり軽くメイクをした方がいいという愛子のアドバイスを素直に聞き入れたのだ。
でも今、万次郎が話してくれた事はその事への答えだったような気がして、恥ずかしい気持ちはあれどとしては嬉しい気持ちの方が強かった。
要するに、万次郎は他の女の子ではそういう気持ちにならないが、自分だとそういう事をしたくなる、と言っているんだと理解する。
そして理解したと同時にやっぱり心臓が痛くなるくらいにドキドキしてくるのを感じた。
「…は?」
「え?」
何とかうるさい心臓を静めようと小さく深呼吸をした瞬間そう訊かれ、はふと顔を上げた。
「は…俺とこうしてるとドキドキ、する?」
「………っ」
万次郎の問いに頬が赤くなりつつも小さく頷く。
「俺も」
素直に頷くを見て、万次郎は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「じゃあ…キス、したいなあとか思う?」
「…えっ?」
「俺はめちゃくちゃしたいんだけど…はどうなのかなぁって」
「……そ、それは…」
あまりにストレートすぎる質問に、は耳まで熱くなっていくのが分かった。
このままでは茹蛸どころの話ではない、と思う。
寝起きから刺激の強すぎる会話と抱擁に、先ほどからうるさい心臓がその内オーバーヒートで燃えるのでは、と心配になる。
「俺、こういう事初めてだからアレコレ考えたりしてたんだけど…夕べ無意識にに触れちゃったしヤバイなあと」
「ヤバい…?」
「俺、には制御効かないっぽいから。もしまたの気持ちを無視して暴走したらって思うと心配になった。だから…」
と万次郎はふと真面目な顔でを見つめた。
「の気持ちをちゃんと聞いてみようと思って」
「私の…気持ち…?」
「俺とキスしたいかどーか?」
「―――ッ」
「あ…やっぱダメ…だった?」
ギョっとしたような顔をするを見て、万次郎は不安げに眉を下げた。
「そっか…。やっぱダメか…」
「あ、あの佐野くん…」
急にシュンとした顔でを腕から解放した万次郎はガックリと肩を落として俯いてしまった。
それにはも焦ってしまった。
そもそもとて男の子と付き合うのは初めて。
そう言う行為すらした事がないのに、キスしたいかと聞かれても恥ずかしすぎて返事に困るというものだ。
ただも万次郎の事が好きで、一緒にいれば彼に触れたいと自然に思う事もあった。
万次郎のような男の子らしい欲求と違い、のそれは手を繋いで歩きたい、とか、こうして一緒にいればくっつきたいという女の子らしいものだ。
でもそう言う気持ちが生まれてくるのは、万次郎の事が好きだから。
好きだという心から相手に触れたいという思いが生まれて来るのなら、自分も万次郎と同じだと思った。
「あ、あの…佐野くん…」
万次郎の肩に触れ、俯いている顔を覗き込もうとは身を屈めた。
「ダメって…わけじゃなくて…」
「え、じゃあいいの?」
不意に顔を上げた万次郎の笑顔に、も思わず笑みが零れた。
こんな事で一喜一憂してくれるのは万次郎が自分の事を好きだと思ってくれてる証拠のような気がしたのだ。
「何で笑ってんの…?」
「だって…佐野くん、可愛いから」
「可愛い…って…嬉しくないんだけど」
少しスネたように目を細める万次郎を見て、は「ごめん…」と謝ったものの。
内心では唇を尖らせている万次郎の姿にやっぱり可愛いと思ってしまう。
ドラケンの送って来た"マイキー取り扱い説明書"でも"時々ガキに戻る"とあったのを思い出し、は何とか笑いを噛み殺した。
万次郎と出会うまで、こんな気持ちは知らなかった。
好き、と思うだけで、こんなにも胸の奥がぎゅっと何かに掴まれたように苦しくなる事も、触れられただけで全身が震えて、心が揺さぶられるような気持ちになる事も知らなかった。
「もー、笑いすぎだから」
万次郎は不満げにの顔を覗き込むと背中に腕を回して少しだけ力を入れる。
そうする事で二人の距離はゼロになり、互いの顏も近くなった。
「さ…佐野くん…?」
再び抱きしめられてドキっとしながら顔を上げれば、万次郎の漆黒の瞳と視線がぶつかる。
カーテンが開けっ放しのリビングに朝日が入り込み、その光を背に受けている万次郎の髪がキラキラと反射していてとても綺麗だ。
そう思ったら無意識にの手が、万次郎の髪へと触れる。
少しピンクがかったゴールドの髪はやわらかくて、簡単にの指を通していく。
「…俺のこと煽ってんの?」
「え…?」
不意に聞こえた万次郎の声にドキっとして、は手を止めた。
視線だけ上げれば、万次郎は更にスネたような顔をしていたが、その頬はほんのりと赤い。
「にそんな風に触られたら…マジで理性が危うい」
「……ご、ごめんっ」
不意に真顔で言う万次郎にドキっとした。
が、慌てて引っ込めようとしたその手を、強く握られた。
同時に、万次郎が僅かに顔を傾けたのが分かった。
ゆっくりとの顏に影が落ちて、互いの唇の距離が近くなる。
の目にはそれら全てがまるでスローモーションのように見えた。
ピンポーン
その時、静かな室内に突然チャイムの音が響き渡り、万次郎の動きが止まる。
次の瞬間ドアの開く音と共に「マイキー!起きてっか?」というドラケンの大きな声が玄関から聞こえて来た―――。
もしあの時、ドラケンが万次郎を迎えに来なければ、もしかしたら…と考えた途端、顏が一気に熱くなった。
同時にふと周りを見渡せば、すでにクラスメート達は帰った後で誰もいない。
先ほどまで他のクラスの仲間が迎えに来て騒いでいたこのクラスの問題児もとっくに帰ったようだった。
「いけない…私も帰らなきゃ…」
急いで帰る用意をしては椅子から立ち上がった。
今日も万次郎達が来てくれるというので帰りに夕飯の材料を買いにスーパーへ寄らなければならない。
「今日は何にしようかな…」
そんな事を考えながら学校を後にする。
だが先ほど思い出した光景がふと頭を過ぎると、また少しだけドキドキしてくるのを感じた。
今朝はドラケンの乱入で事なきを得たが――万次郎はかなりスネていた――今夜はどうなるか分からない。
(…あんな少女漫画みたいなことが私に起こるなんて…嘘みたい)
熱くなった頬に触れながら、今夜もし同じような事があればきっと私は拒めないんだろうな、と思う。
万次郎に触れて欲しい、なんてあの時、一瞬でも思ってしまったから。
(やだ…私ってこんなエッチだったっけ…?これって普通なのかな…。こんな気持ちになった事がないからわかんないよ…)
深い溜息をついて空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。
今夜も雨は大丈夫そうだな、と思いながらは駅前のスーパーまで歩き出した。
「はい、マイキー。買って来たよ」
「おぉーサンキュー。エマ」
渋谷道玄坂にあるカフェで待っていた万次郎は、妹のエマから"餌"の入った袋を受けとりニヤリと笑った。
「でもいちいち買わなくてもエマの貸したのに」
「あーいや…。それはちょっとね…」
万次郎は苦笑しながら後ろで怖い顔をしているドラケンを見た。
昨日、下着泥棒を見張っていたのはいいものの。うっかり"餌"を置いておくのを忘れた万次郎とドラケン。
と言っての下着を囮にするのは絶対嫌だった万次郎は、事情を話し女性物の下着を調達するのを妹のエマに頼んだのだ。
万次郎も最初はエマの下着を借りようとしたが、エマに惚れてるドラケンに怒られ、結局買って来て貰うという方法を選んだ。
「マイキーに彼女が出来たのは前に聞いたけどさー。彼女の為に下着泥棒を捕まえてあげようなんて優しいとこあるじゃん」
「そりゃ…怖い思いして欲しくねーし、俺以外の男がの下着触ってるかと思うとこう苛立ちが…!」
そう言いながらキレ気味にバキバキと指を鳴らす万次郎を見たエマはポカンとした顔になった。
「へえ~女の子に興味なかったマイキーがねえ。今度紹介してよね、ウチにも!」
「あ?やだよ」
「何でよー!」
「だってオマエ、余計なこと言いそうだし色々バラしそうじゃん」
万次郎はジトっとした目でエマを睨む。
エマとは幼い頃から仲が良かったが、その分万次郎が人に知られたくないネタをエマは色々と知っているのだ。
もしに会わせたとして、このお喋りな妹がポロっと兄の過去を話さないという保証はない。
「変なこと言わないし大人しくしてるから今度家に連れて来てよね!マイキーの初めての彼女なんだし会いたいもん」
「大丈夫だ、エマ。どーせそのうち家に連れて行くから。"お家デート"すんだろ?マイキー」
「……うるせーな、ケンチンは。早く行こうぜ。そろそろが学校から帰って来る」
照れ臭そうに目を細めた万次郎はすぐにカフェを出て、ドラケンの愛機であるゼファーが置いてある場所へと歩いて行く。
これからの家に戻り、エマに買ってきてもらった"餌"を仕込んだ後は昨夜同様見張りをする予定だった。
場地や三ツ谷といった昨夜の面々も今回は何故か協力的で、自ら「今夜は何時に行けばいい?」などと連絡をしてきたくらいだ。
「んじゃーエマ。今夜も帰らないからジイちゃんには上手く言っておいて」
ドラケンのバイクの後ろに乗ると、万次郎はエマに両手を合わせて頼み込む。
「うん。任せて!あ、その犯人捕まえたらボッコボコにしてよね!女の子の下着盗むとかサイテーだし!」
「バーカ。警察に突き出すんだから殴ったらマズいだろーよ」
「あ、そ、そっか」
エンジンをかけながら笑うドラケンに、エマもテヘへと笑って舌を出す。
だがドラケンのその言葉にいち早く万次郎が反応した。
「え!殴っちゃダメなの?!」
「……マイキー。過剰防衛はコッチも捕まる。例え犯人を捕まえてもオマエは手を出すな。相手を殺しかねねーからな」
「…チッ」
これでもかというほど唇を尖らせた万次郎はつまんななそうに舌打ちをした。
それを見ながらドラケンは苦笑いを浮かべ「じゃあエマ、またな」とバイクを発進させた。
エマも笑顔で手を振っているのをミラー越しに見ながら、ドラケンは小さく息を吐いた。
(ったく、マイキーのヤツ、ほんとにボコす気だったな…)
先ほど言った事は冗談でもなく何でもなく。
いくら下着泥棒とはいえ犯人が暴走族でもヤンキーでもない一般人だった場合、万次郎が殴れば大怪我どころの話では済まない。
普段から仲間を殴っているようなゲンコツならマシだが、万が一あの蹴りを喰らわせたものなら一発で事が済んでしまうだろう。
最悪、過剰防衛とみなされでもしたら万次郎まで逮捕される。
しかも暴走族の総長という正体がバレれば確実に不利になるはずだ。
出来れば犯人は自分が捕まえたい、とドラケンは思っていた。
(ただでさえの事になると熱くなるからな、マイキーは…)
内心苦笑しながら、ドラケンはのマンションまでバイクを飛ばした。
「―――あ、!」
マンション近くの目立たない路地にバイクを置き、のマンションまでやってきた二人は、丁度エントランスへ入っていくを見つけて声をかけた。
の両手には何やらスーパーの袋。学校帰りに買い物をしてきたようだった。
そして今日はいつもの眼鏡姿と髪型に戻っている。
「あ、佐野くん。龍宮寺くんも学校終わったの?」
「あーうん、まあ…(夕方まで寝てて行ってねーけど)」
「は買い物してきたんか、それ」
笑顔で誤魔化す万次郎を見て笑いを噛み殺しつつ、ドラケンが大量に食材の入った袋を見れば、は笑顔で頷いた。
「夕飯の買い物してきたの」
「え、今日はなになに?」
「オムライスにしようかなと思って」
「オムライス?!俺、オムライス大好物!」
「なら良かった」
喜ぶ万次郎にも嬉しそうな笑顔を見せる。
すっかり餌付けされた様子の万次郎は「俺が持つよ」との手から袋を奪い、足取りも軽くマンションの中へ入っていく。
その様子を後ろから見ていたドラケンはまるで新婚みたいだな、と笑みを浮かべた。
キラキラとした恋する瞳でを見ている万次郎は、さっきまでエロい動画を見ていた男にはとても見えない。
あの後、万次郎は目を覚ましてからもDVDの続きを見始め――ドラケンは喘ぎ声で起こされた――まるまる一本を観たようだ。
そして言った。「全然参考にならねぇ」と。
何の為に何を参考にしようとしてたのかは分からないが、ドラケンは同じ男としてさっぱり理解出来なかった。
結局のところ万次郎は好きな子じゃなければ体が反応しない、男としては非常に稀な特異体質なんだろう、という結論に至る。(!)
その特異体質にあのがどこまで応えられるのかはドラケンにとっても未知の世界だ。
その時、ケータイのメールを知らせる音が鳴り、ふと送信者を見ればからだった。
"龍宮寺くんに言われた通り旗を買っておきました"
という短い文と旗の写真が添付されている。
それを見てドラケンは小さく吹き出した。
とは知り合って少しした頃にメアドを交換をしてある。
それは何かトラブルが起きた時の万が一の措置という事で万次郎から言ってきたことだった。
大方自分の妹を好きなドラケンなら大丈夫、という安心もあったのかもしれない。
そしてドラケンは今回、泊まり込みになると決まった時点で万次郎について注意事項ならぬ"取り扱い説明書"なるものをへコッソリ送っておいた。
食べたらすぐ寝る事や寝起きが悪い事、好きな食べ物や嗜好品といったものまで細かく教えておいたのだ。
その中にお子様セットは旗が立っていないと不機嫌になる、とは書いたが、まさか旗を買って来るとは思わなかった。
(ほんとにマイキーの事が好きなんだな…いい子だよ、全く)
ドラケンは笑いながら"オムライスにそれ立ててやって"と返信しておく。
ならきっと万次郎を幸せにしてくれる、とそう思った。ただ―――。
「逆にマイキーがいつかを泣かせることになりそうで怖いな…」
今はまだ平和だからいい。
が、そのうちどこかのチームとモメたり、最悪抗争になった場合、万次郎は必ず受けて立つだろう。
そうなればは絶対に心配するだろうし、その事をどう受け止めるのかまではドラケンにも分からなかった。
東卍の事を話して納得はしてくれたものの、実際に万次郎たちがどんな事をしているのかまではも分からないはずだ。
ただ好きなバイクを乗り回しているだけと思っているかもしれない。
ドラケンはそこが少し心配だった。
「ま、まだ抗争にもなってないのに心配しても仕方ねーか…」
梅雨らしいどんよりとした空を見上げながら、ふと呟いた。
万次郎は目の前に出されたオムライスに旗が立っているのを見て、の想像以上に瞳を輝かせていた。
「おぉぉぉ!!旗がある!何で?!」
「え、えっと…乗ってた方が可愛いかなと思って…」
「可愛い!テンション上がる!」
万次郎は満面の笑みを見せてそう言うと、不意に立ち上がりの手を引き寄せた。
そして「んんーッ♡」という擬音を立てながらの頬に口付ける。
突然のその行為に「さ、佐野くんっ?」と飛び上がりそうなほど驚いたは、いつもの如く万次郎の腕の中から抜け出そうとジタバタもがく。
だが逃がさないというように抱きしめる腕に力を入れた万次郎は「が俺の好きなもの作ってくれるとすっげー嬉しい」と最後にもう一度頬へちゅとキスをした。
当然の頬が朱色に染まり、瞳が次第に潤んで来る。
幼い頃に父親から何度か頬にキスをされた事はあるが、それとは比べ物にならないくらいに照れ臭い。
いつものハグよりも、もう一歩踏み込んだスキンシップにの鼓動がドクドクとうるさくなってきた。
「あ、ごめん!ついテンション上がって」
真っ赤になっているに気づいた万次郎がパっとその体を解放する。
だがは軽く首を振って「喜んでもらえて良かった。佐野くんは食べててね」と笑顔で言うと、赤くなった頬を隠しながら慌ててキッチンへと戻って行く。
これから見張りについてくれている皆にもお弁当を作るのだ。
オムライスをそのまま、というのは無理なのでオムすびなる物を作ってみた。
チキンライスを丸い容器に入れ、ボール状にしたものに小さめに焼いた薄い玉子を巻いて行く。
その上にケチャップで文字を入れて行った。
「ん?、何してんの?」
「え?あ…皆のイニシャル入れて、誰のか分かりやすいようにしてるの」
「えー!じゃあ俺のオムライスにも書いてよ。まんじろーって」
とお皿を差し出す万次郎に、は軽く吹き出した。
「もう半分もないよ?」
「あ…」
言われて気づいたのか、自分の皿を見て万次郎も笑う。
あまりの美味しさにパクパク食べ過ぎて玉子の部分が殆ど残ってなかった。
「じゃあ今度作った時は書くね。まんじろーって」
「……うん」
が笑いながら言うと、万次郎は僅かにドキっとした顔で不意に笑みを漏らした。
「どうしたの?」
「いや…何か…新鮮で」
「え?」
「にまんじろーって言われるのがさ」
「あ…」
話の流れで自然に口から出たのだが、確かにそう呼ぶのは初めてだった。
「はいつも俺のこと"佐野くん"って呼ぶじゃん。それも…好きなんだけどね」
「…え、どうして?」
「今はそう呼ぶのってくらいだし、東卍のメンバーは全員マイキーだからさ」
「あ…そっか。確か妹さんの為なんだよね」
「うん」
少し前、何故皆が万次郎の事を"マイキー"と呼ぶのかには分からず、訊いた事があった。
その時に幼い頃名前でからかわれてた妹の為だったと聞いて、はそんな万次郎の優しさに心が暖かくなったのを思い出す。
普段はうるさいだの生意気だのと言ってはいるが、きっと妹の事を凄く大切に思ってるんだろう、と思った。
は一人っ子で兄弟というものがいないから、羨ましい気がした。
「ごちそーさまでした」
万次郎はオムライスをペロリと平らげ、乗っていた旗を指でつまんだ。
「これ、貰ってい?」
「え?あ、いいけど…どうするの、そんなの」
「別にどうもしないけど取っておきたくて」
「変な佐野くん」
「そお?が初めてオムライス作ってくれた記念にさ」
「そんな大げさだよ」
はちょっと笑うと、最後のお弁当を作り終えてホっと息をついた。
「出来た―。じゃ、これ皆に渡して―――」
「あー俺も行く!ってか、眼鏡忘れてる」
「あ、そうだった」
万次郎と二人の時は眼鏡を外すようになったが、他のメンバーに会う時はなるべく眼鏡をして欲しいと言われているのだ。
は万次郎から眼鏡を受けとり、素直にかける。
今思えばこの眼鏡は万次郎からもらったも同然で、は大切にしていた。
「でも皆、犯人を捕まえるまで見張りしてもらうなんて大変じゃない?」
お弁当を紙袋に詰めながら、ふと心配になった。
自分のせいで彼らの時間を無駄にしているのは申し訳ない、とは思う。
だが意外な事に万次郎は笑いながら「今日はアイツらの方から何時に行けばいいって聞いて来たんだよ」と言った。
「え、そう、なの?」
「アイツらものこと心配みたいでさ。今じゃ全員が絶対犯人捕まえるって張り切ってるし」
それを聞いては不思議な気持ちになった。
世間一般では"不良"と一括りにされてしまう彼らが、いくら総長の彼女だからと言って毎晩徹夜で犯人探しに付き合ってくれる。
普通の友達でさえ、そこまでしてはくれないだろう。
これまで関わった事のないような人達が、今では自分を受け入れて仲良く接してくれる事はにとっても嬉しい事だった。
「佐野くんは素敵な仲間に囲まれてるんだね」
「…え?」
「愛されてるなあと思って」
「…ああ、俺もアイツら愛してるから」
「うん、そうだね」
「もちろん…もね」
いきなり自分の事を言われ、ドキっとした。
愛してる、なんて台詞はドラマや映画でしか聞いた事がない。
「は?」
「え?」
「は俺のこと…愛してくれてる?」
不意に真剣な顔で訊いて来る万次郎に、更に心臓が音を立てる。
相変わらず万次郎は自分の気持ちをストレートにぶつけてくる。
ただ言葉に出すのは恥ずかしく、は万次郎のようにその言葉を口にする事は出来ずに小さく頷くに留まった。
それでも万次郎は嬉しそうに微笑んでくれる。
この歳で、愛なんてものを全て理解しているわけではない。
でも誰かを好きになって、その人の事が何より大切に感じて、ゆっくりと育まれていく想いに名前を付けるなら、それはやっぱり"愛"と呼ぶんだろう。