
10.XOXO➎
慣れ親しんだ日常の中に突然非日常が飛び込んできた場合、人は誰しもがそれを理解するのに時間がかかる。
例えそれが半分は期待していたものだとしても、人間の脳はそれを処理するのに多少の時間がかかる生き物だ。
心霊スポットに出かけて"幽霊が出るといいな"と期待しながらも、実際に現れたらまずは幻?と目の前で起きた事を疑う。
下着泥棒が罠にかかればいいな、と思っていた万次郎も同じだった。
愛しい彼女の為に犯人を捕まえたいと罠を張ったはいいが、突然目の前にソレが立っているのを見た時、幻か?と疑った。
と念願の初キスをしている最中という事もあり、普段より思考がだいぶ緩くなっていたかもしれない。
雷光に浮かんだその人物を視界に捉えても、万次郎はそれが自分達の探していた下着泥棒だと理解するのに数秒かかった。
「さ…佐野くん…」
の震える声が聞こえて、万次郎はハッと我に返った。
「あ、あれ…犯人…?」
「多分、いや…間違いないな」
ベランダにいる人物は先ほど仕掛けた囮の下着に手をかけ、それを次々に外していくと上着のポケットへ押し込んでいるようだ。
その時点で捕まえれば現行犯だが、万次郎は男がどこから来たのかが気になった。
屋上に現れたならドラケン達に見つかるはずだが、連絡が来ないところを見ると目の前の人物は別の場所からベランダへ忍び込んだことになる。
(という事は…同じ階、もしくは上か下か?)
薄暗くて顔は良く見えないが体つきは男だと分かる。
ひょろりとした体型で身長は三ツ谷と同じくらいに見えた。
今ここで捕まえる事も出来るがどうしようか、と万次郎は考える。
男は下着を一通りポケットに押し込むと、薄暗いリビングの中を伺っているようだ。
その間も雷のゴロゴロという音が響いているが、特に気にする様子もない。
逆には雷、そして見知らぬ人物が自宅のベランダに平気で入って来たのが怖いのだろう。
震えながら万次郎の手をぎゅっと握り締めて来た。
犯人に気が向いていた万次郎だったが、不意に握られた手にドキっとして隣にいるへ視線を戻す。
「…大丈夫。アイツは俺が必ず捕まえるから。はジっとしてて」
は泣きそうな顔で万次郎を見つめていたが、その言葉に安心したのか小さく頷くのが見えて万次郎は笑みを零した。
安心させるように握り締められた手を持ち上げるとの手に軽く口付け、再びベランダへと目を向ける。
男は少しの間リビングの方を伺っていたが窓が開いている事に気づいたようだ。
ゆっくりと足を進め、窓枠に手をかけた。
(入って来るか…?)
万次郎は一層息を潜め、男の様子を伺う。もし中へ入って来たらすぐにでも拘束する。
その際、一発くらい殴ってもドラケンの言うような過剰防衛にはならないだろう。
男は人気がない事を確認すると、忍び足でリビングの中へ一歩、足を踏み入れた。
(来た…!)
男が中へ入ったのを確認した万次郎はの手をそっと離すと、すぐに飛び出せるよう体勢を整えた。
その際、震えているを見て唇に人差し指を当てる。
それだけで伝わったのかは再び何度か頷くと身を屈めた。
ソファの後ろに隠れている二人には気づいていない男は、ゆっくりとした足取りでリビング内を歩き、すぐに玄関へ続くドアを静かに開けた。
廊下にはの父親の部屋、向かい側にの部屋がある。
(コイツ…何をする気だ…?)
下着泥棒じゃ飽き足らず、家の中まで侵入してきたと言う事は、何らかの意図を持って動いているような気がする。
金目当てか、それとも下着の持ち主狙い―――。
万次郎は怒りでブチ切れそうになるのを必死で堪えながら男の次の行動をジっと見張っていた。
すると男は躊躇う事なく廊下を進み、の部屋のドアを静かに開けるのが見えた。
その慣れた行動に万次郎は違和感を覚える。
今の動きはどう見てもこの家の内情を良く知っているように見えたからだ。
そして万次郎のイライラが頂点に達した。
自分でさえまだの部屋に入った事はないのに、という個人的な理由だ。
「はここで待ってて」
万次郎は小声で言うと、は「気をつけてね…」と心配そうに呟く。
「大丈夫。絶対捕まえる」
万次郎はそれだけ告げると音を立てないよう身を屈めながら廊下の方へ進んで行く。
男はの部屋へ侵入したようで、ドアが僅かに開いている。
(あの野郎…の部屋から直接盗む気か?それともが寝ていると思って乱暴しようと…?)
沸々と怒りが沸いてきた万次郎は拳を握り締めると、ここまで来ればコソコソする必要もない、とばかりに徐にの部屋のドアを開けた。
「そこで何してんだよ!」
「―――ッ?!」
万次郎がドアを開けた時、男はベッドの前に立っていた。
だが大きな声で怒鳴られた事で弾かれたように振り向く。
黒髪で細身、少し長めの前髪から覗く気の弱そうな目が、驚きで見開かれている。
「てめぇ…何しようとしたんだよ…」
「…クソっ」
男は焦ったのか、ポケットから小型のナイフを取り出して万次郎の方へ向かって来た。
「どけえ!」
ナイフを振り回し、万次郎をひるませようとしたようだが、そんなものが東卍の総長に効果があるはずもなく。
男の攻撃をひょいっとかわした万次郎は蹴りではなく、固めた拳を男の腹へめり込ませた。
「…ぅっ」
低い唸り声をあげた男はたまらずその場に両ひざをつくと、頭が床へくっつくほどに項垂れて「ぅぉああ」と悶え苦しんでいる。
それでも万次郎の気は晴れない。
男の髪を掴んで顔を上げさせると「てめえ、誰だよ」と凄みながら拳で頬を一発殴った。
「ぎゃ!…や、やめろ…!オ、オマエこそ誰だ…っ」
「あ?俺はの―――」
と言いかけた時、室内の明かりがパっと点いた。
「さ…坂本先生?!」
その声に驚いた万次郎が顔を上げると、ドアの所に驚愕の表情で立っているがいた。
そして更に驚いたのは、目の前で蹲っている男が「……ちゃん…」と彼女の名を口にした事だった。
「は?」
状況が飲み込めず、万次郎は掴んでいた男の髪を離すと僅かに目を細めた。
「な…何で坂本先生が…」
「ち、違うんだ!僕は一人暮らしのちゃんが心配で―――」
「嘘つけ!さっき下着盗んでただろうが!」
カッとなった万次郎が男の頭をゲンコツでシバくと、またしても「ぎゃっ」と悲鳴を上げる。
「…誰?コイツ…知り合い?」
不満げな顔で万次郎が尋ねると、は真っ青な顔で頷いた。
「坂本先生は…私の…家庭教師なの…」
「はあ?家庭教師?!」
それには万次郎も驚いた。
という事はこの男は自分の生徒の家に忍びこんで下着を盗んでいた事になる。
「てめぇ…やっぱ狙いかよ?つーかオマエ、何歳?随分と年上に見えるけど」
「坂本先生は大学生なの…。この階の一番端の部屋に住んでて…」
「つー事はベランダ伝いで来たって事か…。恥ずかしくねーの?大学生にもなって下着泥棒って」
「うううるさい!ぼ、僕は前からちゃんが好きだったんだ…!オマエこそ誰だ!こんな遅い時間に彼女の家に上がり込むなんて―――」
と坂本が怒鳴った瞬間、万次郎はもう一発だけ頭をシバいた。
「黙れよ、ロリコン!は俺の彼女なの。手ぇ出したら殺すよ?」
「なっ…嘘だ!ちゃんがオマエみたいな不良と付き合うなんて―――」
「は?」
「ま、待って、佐野くん…!もう殴らないで!」
キレた万次郎が坂本の胸倉を掴んだのを見て、は慌ててそれを止めた。
「何で庇うの?コイツ、部屋まで入ってを襲おうとしてたのに」
「庇ってるんじゃないの…!これ以上、殴ったら佐野くんも悪者になっちゃう…それは嫌だから」
「……」
瞳に涙を浮かべながら腕にしがみつくを見て、万次郎のイライラがゆっくりと解消していく。
心配そうに自分を見つめるに笑みを浮かべた万次郎は、掴んでいた坂本を離すと代わりにを抱き寄せた。
「あぁぁっ?」
その光景に坂本がショックを受けたような叫び声を上げたが、この際スルーしておいた。
「ごめん、…」
「ううん…捕まえてくれて…ありがとう」
が嬉しそうに微笑むと、万次郎もやっと笑顔になる。
もしあのままが止めてくれなければ怒りのまま坂本を殴り続けて大怪我をさせていただろう。
そうなればドラケンの言ってたように過剰防衛とみなされて捕まっていたかもしれない。
逮捕されれば拘留される=その間、に会えなくなる、とそこまで考えた万次郎は止めてくれて良かった、と安堵の息を漏らした。
「んじゃーまずはケンチン達に報告して、後は警察に通報しよっか」
「うん」
が頷くのを見て、万次郎はケータイを取り出すとドラケン達に犯人確保の一報を伝えた。
すると数分後には全員がの家のリビングに集まり、犯人の坂本を囲んでいた。
「コイツか…!よくもの下着盗んでくれたな、おい!」(場)
「東大生だって?バカな事したなーアンタ」(三)
「おい、ドラケン。俺も一発シバいていい?」(パ)
「やめとけって。すでにマイキーから何発か喰らってんだから――って、おいペーやん!目の前で威嚇すんな」
正座させられてる坂本の前で、ペーやんはウンコ座りをしながら首を90度曲げて思い切りメンチを切っている。
坂本はすでに息も絶え絶えで自分を囲む不良達に、心底ビビっているようだ。
話を聞いてみると、この坂本はと同じ階に住む東大生で、その頭の良さを見込んだの父親が娘の家庭教師を頼んだらしい。
家庭教師ともなれば当然の素顔を見る機会があったようで、元々ロリコンの気があった坂本はに一目ぼれ。
それ以来、密かに想い続けていたが最近になりの祖母がケガをした事で学校帰りに世話をしに行くから家庭教師は暫く休ませて欲しいと言われた。
急にと会えなくなった坂本は悶々として今回の犯行を思いついたようだ。
「お隣もいい迷惑だな」
とドラケンが苦笑した。
の幼馴染の家からも下着を盗んだのはカモフラージュだったようで、の家のみを狙った事をバレないようにと考えたらしい。
あげく今日は窓が開いているのをいい事に、の寝顔を一目見ようと部屋にまで侵入したというから呆れる。
さすがのもそれを聞いて怖くなったのか、青い顔で万次郎の後ろに隠れながら坂本を見ていた。
もし自分一人だったら、と思うだけで足が震えて来る。
「た、頼む…。警察だけは勘弁してくれ…」
項垂れていた坂本が不意に顔を上げ、哀願するように目の前の万次郎を見上げた。
「あ?」
「こ、こんな事がバレたら僕の人生は終わりだ…。せっかく東大に入ったのに逮捕されれば退学になってしまう…」
「オマエ、何言ってんの?そういうの自業自得っつーんじゃね?東大行くくらい頭いーなら分かんだろ、それくらい」
ドラケンがイラっとしたようにペーやんの隣にしゃがむ。
一番いかついドラケンに睨まれ、坂本は「ひっ」と更に青ざめた。
「んじゃマイキー。110番すっぞ」
ケータイを出して立ち上がると、ドラケンは万次郎を見た。
万次郎は後ろでしがみつくようにくっついているを見ると、
「警察、呼んでもいい?」
「………」
万次郎に問われ、は一瞬坂本を見た。
坂本の言うように警察に逮捕されれば大学は最悪退学になり、彼の人生はこれまでのようにはいかないだろう。
そこまでしていいものかとの中で少し迷いがあった。
だが坂本がやった事はれっきとした犯罪行為だ。下着を盗んだだけじゃなく不法侵入まで犯している。
このまま一度でも許してしまえば、また誰かに同じ事をする可能性すらあるのだ。
新しい被害者を出さない為にも、ここで見逃してはいけない気がした。
「ちゃん…」
坂本は遂ににまで哀願するような目を向けたが、は「坂本先生のした事は犯罪です…。通報します」と言った。
「そんな…」
にまで見放され、坂本は今度こそ観念したかのように項垂れた。
その後はが自ら通報して、坂本は駆けつけた制服警官に連行されて行った。
何もしていないとはいえ、全員がいれば何かと面倒な事になると思った万次郎は、とりあえず自分以外のメンバーを先に帰らせると、と二人で警官に対応した。
下着泥棒とはいえ不法侵入をされたという事でその後は鑑識が入り、坂本の侵入経路や指紋などを調べ、全ての作業が終わったのは明け方4時近くだった。
「では事情聴取は後日という事でコチラからご連絡させて頂きます。ご協力ありがとう御座いました」
最後に挨拶をして帰って行った警官を見送ると、は大きく息を吐き出しながらドアを閉めた。
まさかこんなに大ごとになるとは思ってもみなかったのだ。
どれほど小さな事件でも警察が介入すると、あそこまでキッチリ調べるんだとは感心した。
(でもこれでお父さんにバレるのは時間の問題だ…)
ふと危惧していた事が頭を過ぎり、小さな溜息が漏れる。
未成年がかかわった事件は被害者であろうと当然の事ながら保護者にも連絡がいく。
少し憂鬱な気分になりながら、はリビングに戻った。
「あ、。アイツら帰った?」
「うん」
「そっか。は~疲れた」
万次郎も警察官に囲まれていると落ち着かなかったのか、ホっとしたように腕を伸ばすと、ついでに大きな欠伸をした。
「ごめんね…結局こんな時間になっちゃって…」
「いいよ。今日休みだし」
「あ…そっか」
学校があると思っていたは今日休みだと気づいてホっと胸を撫でおろした。
一睡もしないで学校に行くのはキツイと思っていたのだ。
「あ…じゃあ朝ご飯でも作る?佐野くん、お腹空いたでしょ。あ、でも眠たいよね…少し寝てく?」
休みと聞いた途端、気が楽になったはすぐにキッチンへ行きかけた。
だが万次郎は「いいからココ来て」とソファに座って隣をポンポンと叩く。
その動作にはドキっとした。ついでに坂本の件で一瞬忘れていたものの。
夕べ万次郎と初めてキスをした事を思い出し、頬の熱が一気に戻って来た。
(そ、そうだった…。私、佐野くんと…)
一度思い出したらその時の光景、同時に唇が触れ合った時の感触まで思い出し、頬だけじゃなく顔の熱が更に上がる。
心臓までがあの時の再現をするかのように速くなり、ドクドクとうるさい音を立てている。
(ダメだ…まともに顔を見れない…)
ソファの方へ行きながらも万次郎を直視する事が出来ず、は俯いたまま歩いていた。
目が悪い上に俯いていたせいで少しだけ方向がそれてしまった。
おかげでソファの前にあるテーブルの脚に自分の足の小指をゴツンとぶつけ、激痛で思わず「痛ーいッ」と大きな声を上げて蹲る。
人生の中で誰でも一度は経験した事があるだろうが、足の指…特に小指をぶつけた時の痛みは尋常じゃないくらい、痛い。
例外なく、この時のも我慢の出来ない激痛に足の小指を手で押さえたまま動けなくなった。
その光景に万次郎もギョっとした。
「、大丈夫?!」
と慌てての前にしゃがむと俯いたままの顔を覗き込む。
「だ…大丈夫…」
「でも涙浮かんでるし…っ」
僅かに顔を上げたの瞳が潤んでいるのを見て、万次郎はオロオロとしながらぶつけたという指先へ手を伸ばす。
「ケガしてない?まだ痛い?」
「…う、うん…少し痛みは引いて来た…」
ジンジンと疼くような痛みが次第に引いて行くのを感じながら、は「ふう…」と軽く息を吐きだす。
痛みで体が一気に硬直したが幸い爪も割れず、打撲のみで済んだようだ。
そして目の前で慌てている万次郎を見て、ふと笑みが零れた。
「佐野くんがそんなに慌てなくてもいいのに」
「え?いや、があまりに痛がってるから…心配じゃん…。泣くくらい痛いのかと思ったら」
「う…い、痛かったけど…」
(っていうか佐野くんの前で、こんなドジするなんて…恥ずかしい…)
普段は何でもテキパキ出来る方だが、目が悪い分、足元が疎かになりがちな事が多々ある。
眼鏡をしていても下の方は見えにくい為、学校の階段から足を踏み外したのだって一度や二度の事ではない。
クラスメートは「何でも完璧なさんがドジなのは安心する」と笑ってくれるからいいが、好きな人の前でこういう姿を見せるのはとしても恥ずかしかった。
「、もう大丈夫?」
「うん…」
痛みもなくなり、が頷いて立とうとした時、ふわりと万次郎の腕が背中に回され、ドキっとした時には抱きしめられていた。
「良かった」
「さ、佐野くん…?」
「ん?」
「眠く…ないの…?」
「んー。ちょっと眠たいかな」
を抱く腕に力を入れながら万次郎は苦笑した。
普段は一日の大半を寝て過ごしているだけに、逆の生活だったここ二日は殆ど寝ていない。
無事に犯人も捕まえ、こうしてを抱きしめている安心感から、ゆっくりと睡魔が近づいてきてるのを感じた。
「じゃあ…寝ていいよ?」
「え、やだよ」
「な、何で?」
まさかの返しに驚いて顔を上げると、万次郎が不満げに目を細めている。
「せっかくと二人きりでいるのに寝るのもったいないじゃん。今日休みだしさ」
「だ、だけど…」
「あ、それとも一緒に寝る?で、起きたらどっか行こうか。俺、バブ取って来るし…あ、いっそも一緒に来ればいんじゃね?」
万次郎の提案にドキっとしたが二人で出かける、それもバイクでと聞くとも笑顔になった。
一度でいいから万次郎が大事にしているという愛機を見てみたかったのだ。
そう思って頷くと、万次郎も嬉しそうな笑みを浮かべた。
「じゃー決まり!今は朝の5時前だから…昼まで寝て午後は出かけよ」
「う、うん」
と返事をしたものの、ふと我に返る。
バイクでデート、というのは嬉しい。
嬉しいがその前に一緒に寝る、というワードを思い出した。
(ねね…寝るってどういう事なんだろ…まさかホントに一緒に寝る、とか…?)
チラっと振り返れば万次郎は開け放したままの窓を閉めつつ、どんよりとした空を見上げている。
昨夜、雷は鳴ったものの雨はパラついた程度で止み、今は雲が空を覆っていた。
「天気持つかなあ…」
万次郎は心配そうな顔で窓の外を眺めていたが、不意に振り向いた。
「あ、は部屋で寝て。俺、ソファ借りるから」
「え?で、でも…疲れない?お父さんのベッド使っても…」
「大丈夫。俺どこでも寝れるし」
欠伸をしながらソファに座る万次郎を見て、は「じゃあタオルケットだけでも」と言って自分の部屋へ向かう。
それを見た万次郎は「え、いいよ」と言いながら追いかけて来た。
「暑いからそのままで寝れるし」
「でも湿度高いからクーラー入れないと。そしたら体は冷えるから」
はそう言いながらクローゼットを開けると予備のタオルケットを取り出した。
「これ私のだから色はピンクなんだけど…」
「ほんと、可愛いね、これ」
の取り出したタオルケットは縁が女の子らしいふわっとしたデザインになっていて、それを受けとった万次郎が恥ずかしそうに笑った。
「俺のなんてガキの頃からずーっと使ってるヤツだから、もうボロボロ。エマに捨てなよって言われるんだけど俺はそれじゃなきゃ眠れなくてさ」
思い出したように笑う万次郎に、は「え?分かる!」と驚いたように言った。
「私も子供の頃から使ってるのじゃなきゃ落ちつかなくて。お父さんが新しいのに変えなよってソレ買ってくれたんだけど結局いつもの使っちゃってるの」
「マジ?俺と同じじゃん」
がベッドのタオルケットを指さすと、
「あーほんとだ。使い込んでる」
と、万次郎はのベッドに腰を掛けながらタオルケットを手に取って笑った。
こういう些細な共通点があるだけで嬉しくなる。
周りから見れば不良と優等生。
だけどこうして話してみれば似た部分は意外とあるもんだな、と万次郎は思った。
「何か俺とって似てる」
「え…?」
隣に座ったを見て、万次郎が微笑んだ。
「変なもんに拘るとことか」
「ほんとだね。甘い物も大好きだし」
「そうそう」
「食べたらすぐ眠くなるとことかね」
も子供の頃から満腹になるとその場で眠ってしまう所があった。
今はだいぶ気を付けてはいるが、一人の時はテーブルで寝落ちしてしまう事も多々あるのだ。
だがのその言葉に、万次郎は不思議そうに首を傾げた。
「俺、そんなこと話したっけ」
「えっ?あ、あの…前に龍宮寺くんに聞いて…」
「あー何だ。ってかケンチン余計なことを…」
と万次郎はスネたように唇を尖らせたが、はドラケンから届いた取説の事がバレなくて良かった、とホっと胸を撫でおろした。
一応その事は「絶対怒るからマイキーに内緒ね」と言われている。
「でもさっきも思ったけど…の部屋ってほんと余計な物ないよね」
改めての部屋を見渡した万次郎は綺麗に片付けられた机や本棚を見て感心している。
本棚には漫画の類は一切なく、参考書や難しい辞典などが並べられており、娯楽品と言えば推理小説くらいだ。
「ウチはお父さんが厳しかったから好きな趣味とかに時間割くなら勉強しろって言われる」
「そっかー。放任主義のウチとは大違いだな…。の趣味って何?」
「お母さんが生きてた頃はやっぱりお菓子作りかな。後は一緒に映画を観に行ったりしてた」
「今は?」
「お菓子作りは続けてるけど、映画とかは時間もなくて観に行けなくなっちゃった。だからもっぱらレンタル」
「あ、じゃあ今度一緒に映画観に行く?」
ふと思いついて万次郎が提案すると、は殊の外嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いいの?」
「もちろん。じゃあ、約束」
万次郎が小指を差し出すと、は少し驚いたように顔を上げた。
「約束…?」
「うん。あ、ガキっぽい?」
「ううん…嬉しい」
差し出された小指にも小指を絡めると、万次郎は嬉しそうに微笑んだ。
そして絡めた指を少しだけ引き寄せると、の体が万次郎の方へと傾く。
そのまま屈むとの唇へちゅっと軽く口付けた。
まさかの不意打ちに心臓がドクンと音を立て、すぐに頬が熱くなる。
「、真っ赤…」
頬に手を添え、万次郎はもう一度唇を寄せると「好きだよ…」と呟き、今度は優しく唇を重ねる。
は固まったまま動けず、ただ万次郎の唇を受け止めるだけで精一杯だ。
角度を変えながら触れ合うだけのキスを交わしていると、恥ずかしさでの体が引きぎみになり、少しずつ後ろへ傾いて行く。
「…わ…」
「あ、あぶな…」
何度目かのキスを受けた次の瞬間、重心が後ろに行き過ぎたせいでの体がベッドの上に倒れ込んだ。
「大丈夫?」
万次郎がかろうじての頭を受け止めた。
まさかのキスの最中に倒れてしまうという失態に、は恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら頷いた。
「ご、ごめんなさい…」
と言ったものの、万次郎が見下ろしてくる今の体勢も何気にエッチで恥ずかしい。
(こ、この体勢はマズいんじゃ…)
の頭を手で支えてくれているせいで、万次郎の顏が地味に近い。
近いと言うよりすぐ目の前にある。
その大きくて切れ長の瞳に見つめられると、また心臓がうるさい音を立て始めた。
(そ、そんな綺麗な顔で見つめないで欲しい…)
カーテンの閉め切った薄暗い部屋で、男女がベッドの上にいるという少し大人なシチュエーションは初めての彼氏が出来たばかりのには刺激が強すぎた。
万次郎の瞳が少しずつ閉じて、唇が近づいて来たのを見たは思わずぎゅっと目を瞑る。
だが次に刺激が来たのは首筋だった。
万次郎が肩の辺りに顔を埋めたのに気づき、顏が一気に熱くなる。
「あ、あの…佐野くん…?」
首筋に万次郎の吐息がかかったのを感じてビクっと肩が跳ねた。
だが万次郎は応えず、体もに覆いかぶさったまま動かない。
あれ?と思った時、の耳にかすかな寝息の音が聞こえて来た。
「嘘…寝ちゃった…?」
何とか体を動かし、万次郎の体を押してみると案の定コロンと隣に転がった。
「寝てる…」
さっきまでドキドキしていたものの、まさかの寝落ちだと気づいては小さく吹き出した。
きっと犯人も捕まえて気が抜けたんだろう。寝不足で限界だったのかもしれない。
明るいリビングから薄暗い部屋に来たのもキッカケになったようだ。
は寝ている万次郎に愛用のタオルケットをかけながら、体を横に向けて暫く寝顔を見ていた。
寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ている姿を見ていると、とても暴走族の総長をやっているようには見えない。
柔らかい髪へそっと指を通しながら、ふと万次郎の唇に目がいった。
先ほどのキスを思い出し勝手に心臓が速くなっていく。
こうしていると本当に万次郎とファーストキスをしたんだ、という実感が沸いて来て胸の奥が苦しくなった。
出逢った時よりも今はもっと想いが強くなっている。
「佐野くん…大好き」
起きている時、なかなか本人には言えない言葉を呟き、は万次郎の手をぎゅっと握り締めた。