
14.Night & Day❶
万次郎達を見送った後、教室へ入ろうとした時、「!」と呼ばれて振り向いた。
「愛子?」
追いかけて来たのか、後ろから慌てて走って来たのは幼馴染の愛子で、その顔は驚愕の色に染まっているように見える。
どうしたんだろう、とは思ったが、だいたい愛子は普段から些細な事で驚いては一人で大騒ぎする傾向にある為、は特に気にせず「どうしたの?」と笑顔を見せた。
「ちょ、ちょちょっと!さっきの何よ!」
「さっき…?」
「ほら!さっき玄関のところでマイキーくんやドラケンくんと一緒にいたじゃない!」
「……え?」
いきなり、それも愛子からその名前を出され、今度はが驚く番だった。
愛子はちょっと派手な今時の女の子というだけで、不良の世界とは無縁だ。
なのに何故その名前を知っているのか、とは驚いた。
「えっと…愛子、何で二人のこと知ってるの?」
「何でってこの辺じゃ東卍は有名じゃないの!しかも無敵のマイキーとドラケンくんは私でも名前は知ってるよ!」
「え、嘘…。だって愛子、不良は苦手じゃ…」
少し興奮気味に話す愛子を見て、は唖然とした。
「苦手とかそんな話じゃなくて彼らが有名だって話!私だって顔を見たのはさっき初めてだもん。しかもが一緒にいて仲良さげにしてるし驚くじゃない!」
あまりの迫力には押され気味になりながら、万次郎たちの知名度の高さに驚かされた。
武道やその仲間のような不良グループの中で有名なら、まだ分かる。
でも愛子のような、いわゆる不良に縁のない女子にまで名前が知られているのは何でなんだろうと首を傾げた。
「で、どういう関係?って、あぁぁ!」
愛子は一人で盛り上がり、いきなり大声を上げた。
「ま…まさかとは思うけど…公園のイケメンくんってもしや……」
更に驚愕した様子でを見る愛子は何かを察したようだ。
「の彼氏…ってマイキーくんだったり…?」
「……う、うん」
「マージーでぇー-?!」
「ちょ、声が大きい!」
一人でどんどんテンションを上げていく愛子に、さすがのも慌てて口を塞いだ。
これ以上騒がれたら他の生徒達にまでバレてしまう。
そうなればそのうち教師の耳に入り、確実に父親にも連絡をされるだろう。
は何よりそれが一番困るのだ。
「っもう大きな声出さないで…。一応、先生たちには従妹って事にしたんだから」
「あ…そ、そっか…ごめん!オジサンにチクられたら困るよね、…」
事情を知っている愛子は申し訳なさそうに手を合わせると、それでも未だ信じられないと呟いている。
「まさかの彼氏があのマイキーくんだなんて嘘みたい…」
「あのって…何よ」
「え?だから…恐ろしくケンカが強いって聞くし、無敵のマイキーの話なら普通に噂で聞いてたよ」
「そ、そう…なの?」
「もぉ…付き合ってるのに何も知らないの?そもそもこの一帯は東卍が仕切ってるから他の不良達が大人しくしてるって言うのに」
愛子は心底呆れたように溜息をつく。
「し、知らない…。だって佐野くん、そんな話しないもの…」
「佐野くんって…彼氏のこと苗字呼びしてる辺りらしい。だいたいその無敵のマイキーが優等生のを選ぶとかマジ信じられないし」
ケラケラ笑い出した愛子に、もさすがにムっと唇を尖らせる。
好きで優等生をやってるわけじゃないのに、と思いながら教室の中へ戻ろうとした。
が、すぐに腕を掴まれ「え、じゃあ前に紹介してって言った人も東卍なの?」と愛子が訊いて来る。
「そうだけど…まだ話してないし嫌なら―――」
「え、違う違う!絶対伝えてよ?東卍は一般人に手を出さない硬派なチームだって有名だし、やっぱり興味あるもん」
不良には興味なくてもミーハーな愛子はこんな時でも好奇心旺盛のようだ。
もそれには苦笑するしかない。
「…分かった。伝えてみる。でもこの話は他の人には内緒だよ?」
「分かってるってば。それにしてもがあのマイキーくんとねぇ…うわー何かまだ信じられない…」
愛子はブツブツ言いながら自分の教室に戻って行く。
それを見送りながらは溜息をついて、未だざわざわしている教室の中へと入って行った。
その頃、近くの河原でを待っていた万次郎は、学校から連れ去って来た武道を見て、ふと思い出し笑いをしていた。
「なーに笑ってんだよ、マイキー」
隣で河原の斜面に寝転んでいたドラケンが訝しげに上半身を起こす。
「いや…ケンチン覚えてる?俺が前にのクラスメートの男の話をしたの」
「クラスメートの男?って、ああ…まだマイキーとが付き合う前に言ってた金髪の…」
「そうそう!が心配して説教してるって聞いて、俺がぶん殴りに行こうかなって言ってたやつ」
「……??何の…話っスか?」
万次郎とドラケンの会話を聞いて、武道が首を傾げる。
明らかに二人が自分を見てニヤニヤしていたからだ。
「いや…の話してた"金髪のクラスメート"が、まさかタケミっちだったとはねーって話」
「い、いや…俺こそ驚きましたよ…。あのがまさかマイキーくんと付き合ってるなんて…」
「む…何がまさか?俺とが似合わないって言いてぇの?」
それまで機嫌の良かった万次郎が急に目を細め、不機嫌になったのを見て、武道は慌てて首を振った。
「い、いや!ちち違いますって!お、お似合いです」
「ぶはは…気を付けろよー?タケミっちー。の事になるとマイキーは更に短気で理不尽になるから」
「えっあ、は、はい…」
「うるせーな、ケンチン!ってか、遅くない~?」
武道が青ざめていると、万次郎は時計を見ながら更に不機嫌そうな顔のまま、その場で寝転びゴロゴロしている。
「はあ…やっぱ一緒に連れて来たら良かった…」
「でもにだって学校でのイメージってもんがあるんだから、そこはサボれねぇだろ」
「わーかってるけどさあ…」
万次郎はますます不機嫌になり、唇を尖らせている。
その駄々っ子のような姿はとても東卍のトップを張っている人物には見えない。
いや昨日、キヨマサを一撃で倒した万次郎と、今こうして駄々っ子のようになっている万次郎のギャップが凄すぎる。
それに、と武道は不機嫌そうにケータイで時計を確認しては溜息をついている万次郎を見た。
(俺が直人から聞いた12年後の東京卍會。賭博、詐欺、強姦、殺人。何でもアリの集団だ。でも…ケンカ賭博をしてたキヨマサにキレて下らねえと吐き捨ててた。そしてさっきは女に手を上げるわけないと当たり前のように言ってた。本当にこの人があの極悪トーマンの頭なのか?)
直人から聞いた話と今、目の前で好きな子が遅い事にイラだっている万次郎は全くイコールにならない、と武道は思った。
今もブツブツ言いながら「まだぁ?ケンチン」と寝転がりながらスネたように訊いている。
「うっせぇな、もう来るって。―――悪ぃな、タケミっち。マイキーはが傍にいないと毎度こうなる」
「え…」
「だーから余計なこと言うなって、ケンチン!」
ガバっと起き上がり、怒鳴っている万次郎の顏は赤い。
(マイキーくん…マジでのこと好きなんだな…。やっぱ意外だ…)
二人の出会いは先ほどドラケンから簡単に教えて貰ったものの、武道は未だに信じられなかった。
自分が知るは校内成績トップを誇る優等生であり、将来東大間違いなしと教師たちも認めているくらいの存在だ。
そのが東卍の、それも無敵のマイキーと目下交際中、なんて実際にこの目で見ていなければ到底信じられることではない。
ぶっちゃければ今もまだ半信半疑という気分だった。
(でも…これが事実なら直人に言われてた事を調べるのは簡単になるよな…。マイキーくんの恋人の情報知りたがってたし…)
誰か分からない状態で一から調べるのは大変でも、正体さえ分かってしまえば未来で調べるのは簡単だ。
名前さえ分かってしまえば警察組織は個人を調べるプロなのだから、色々と分かってくる事もあるだろう。
(でも…がマイキーくんを止められる唯一の存在なんだとしたら何で未来の東卍はあんな事になってんだ?あの正義感の強いが反社組織化した東卍を、いやそれを仕切るマイキーくんを許すはずがない…)
ふとそう思った時、そこに何か鍵があるのではないかと、考える。
その時、今まで不機嫌そうに寝転んでいた万次郎が勢いよく起き上がった。
「…!」
ハッと我に返った武道が振り向くと、学校の方向から走って来るが見える。
万次郎は目ざとく彼女を見つけ、嬉しそうな笑顔で手を振っていた。
(が来ただけでマイキーくんの機嫌があんなに左右されるのか…)
その豹変ぶりに驚きながら、武道は待ちきれずの方へ走っていく万次郎をボケっと観察していた。
「ご、ごめんね、佐野くん…帰り際、担任に色々聞かれちゃって…」
「あ…ごめん…。俺が乱入したから?授業終わってるもんだと思って」
「大丈夫。従妹って話は信じてたから。ただの従妹にしちゃ派手だなって言われたくらい」
「じゃあ今度地味なヅラでもかぶってこーか?」
「えっ?ヅラって!ちょっと見てみたいけど」
万次郎の言葉にが楽しそうに笑っている。
それは武道でも初めて見るの自然な笑顔で、彼女はこんな風に笑えたんだな、とやっぱり驚かされた。
そして本当に驚かされたのは、万次郎がいきなりを抱きよせ、彼女のその頬にキスをしたのを見た時だった。
だがは慌てたように離れて真っ赤になりながら小さな声で何かを言っている。
そしてふと武道が見ている事に気づいた時、驚いた顔で更に首まで赤くなってしまった。
「は…花垣くん…」
「え…あ…い、や…あの…」
クラスメートの、それも恋愛とは無縁だと思っていた優等生のラブラブな姿を見せられ、あげく照れた顔をされるのがこんなにも気まずいのか、と武道は言葉を詰まらせた。
万次郎は特に気にすることなくの手を引きながら、ドラケンと武道の所へ歩いて来ると、先ほどの不機嫌そうな顔はどこへやら。
ニコニコしながら「担任に捕まってたんだって」と、武道にとってはどうでもいい事をわざわざ告げて来た。
「は、はあ…」
武道は笑顔を引きつらせながら頷いたものの、未だ赤い顔で俯いているを見た。
普段、学校でしか話さない相手が自分の世界にいるこの状況は何となく気まずい。
その時、がふと顔を上げて武道を見た。
「花垣くん」
「え…っ?」
「明日の朝、職員室に来いと先生が言ってたからちゃんと行ってね」
「え…呼び出しってこと?」
「サボって帰ったのバレてたから」
「げ…」
いきなり学校で話すテンションで言われて驚いた。
だいたい、こんな感じでいつもに何やかんや言われているのだ。
でもまさかこの状況でも同じテンションで言ってくるとは思わなかった。
そしてその光景を隣で見ていた万次郎も、後ろで聞いていたドラケンも、不意に「ぷ…っ」と吹き出している。
「タケミっち、によく説教されてんだっけ?」
「え、あ、いや…まあ…」
「まーさか二人がクラスメートなんて驚いたけど、縁があるって事だな」
万次郎の言葉に武道は縁なんてあるんだろうか、と疑問に思う。
普通ならこの二人とこんな風に話せるような立場ではなかったのに。
(そうだ…そもそも何でマイキーくんは俺に声をかけてくれたんだ?)
途中からキヨマサとのタイマンを見ていたようだが、あの時の武道はただ一方的にやられていただけだ。
この二人が自分を友達に、と言い出した理由が見当たらない。
「あ、あの…」
「ん?」
「何で俺の事なんか気に入ったんスか…?」
「………」
ずっと気になっていた事を思い切って尋ねてみると、万次郎はジっと武道を見た後で、
「くっだらねー質問」
「ス…スミマセン…」
バッサリと斬り捨てられ、武道の頬が赤くなる。
だが不意に万次郎は笑みを浮かべて、川沿いに見えるオレンジ色の夕焼けを眺めた。
「俺、10コ上の兄貴がいてさ。死んじまったんだけどネ」
「え…」
「無鉄砲な人でさ。自分よりも全っ然、強ぇヤツにも平気でケンカ挑んじゃうの」
「へー。かっけぇ人だったんスね」
「タケミっち、兄貴に似てる」
「…へ?」
ふと万次郎が武道を見てにこっと微笑んだ。
今聞いた話で、素直にカッコいいと思った人に似てると言われ、頬が赤くなる。
「そ、そんなカッコよくねぇっスよ!どこをどう見たら―――」
「あははは…!確かにタケミっちみたくダサくはねーな」
「……それはヒドイっス」
「ははは」
万次郎は楽しそうに声を上げて笑うと、の手を引いて川の向こうに沈み始めた太陽を眩しそうに見つめている。
「今って不良がダセーって言われる時代だろ?兄貴の世代はさ、この辺りもすっげー暴走族がいてさ。その辺をチョッカンコール鳴らして走ってた」
「…チョッカンコール?」
「あーは知らないよな。バイクの直管マフラーでコールを切ること。こうブォンブォンって連続で鳴らしながら走ってるの聞いた事ない?」
「あ…ある、かも」
「それそれ。上手い人のコールはマジで鳥肌もんだから。ある意味名曲って感じ」
「へぇ―聴いてみたい」
万次郎の説明には真剣に聞き入り、素直に感動している。
そんなに万次郎も嬉しそうに顔を綻ばせていて、こうして話している二人を見ていると、意外にちゃんとカップルに見えて来るから不思議だ、と武道は思った。
(へえ…もマイキーくんのこと本当に好きなんだな…。学校じゃ見た事ないよ、あんな顔…)
これまでは絶対に興味がなかっただろうバイクの話を、楽しそうに聞いているを見て、ふと笑みが零れる。
「その頃はみんな肩肘張ってさー。喧嘩ばっかして。でも自分のケツは自分で拭いて。そんな奴らが何でダセーんだ?」
ふとマイキーが真剣な顔で呟いた。
何故この世界に不良と呼ばれる人たちが現れたのか。
それは親だったり、学校や教師だったり、そういう人や場所から弾かれた者達が自分の居場所を探しながら集い出したのが始まりなんじゃないか、とは思った。
肩肘張るのが自分を表現する方法だったなら、それも"個性"と言える。
「だから俺が不良の時代を創ってやる」
万次郎はそう言って武道の方へ振り返った。
「オマエもついてこい」
「……え」
「俺はオマエが気に入った。花垣武道」
万次郎の真っすぐ揺るぎない強い視線を受け止め、武道は心臓がドキドキするのを感じた。
自分より遥かに強い男にそこまで言われて、嬉しくないはずがない。
だが何故、そこまで自分が気に入られたのかが分からない。
さっきは兄に似ている、と話していたが、自分はそんな男ではなく、一度仲間と彼女を捨てて逃げた過去があるただの弱い男だ。
なのに何故万次郎はそこまで言ってくれるんだろう、と武道は不思議でならなかった。
そんな思いを察したのか、不意にドラケンが口を開いた。
「喧嘩強ぇヤツなんていくらでもいんだよ。でもな…"譲れねえモン"の為ならどんなヤツにでも楯突ける。オマエみたいな奴はそーいねぇ」
ドラケンは「考えとけよ。タケミっち」とニヤリと笑みを浮かべた。
(ああ、そうか…佐野くんも龍宮寺くんも、きっと昨日の花垣くんのそういう強さを気に入ったんだ…)
三人のやり取りを見ていたは、ふと昨日の武道の姿を思い出した。
明らかに自分よりも強いキヨマサに、どんなに殴られても引かなかった。
ケンカで勝てなくても、心が負けていなかった。
誤解して万次郎がに何かするんじゃないかと思ったであろう武道が、守ろうとしてくれた事には気づいていた。
以前の口ばかりが達者だった武道なら考えられない行動だと思う。
何故、急にこれほど強くなったんだろう、とは少し不思議に感じていた。
「じゃあ、帰ろっか、」
「え?あ…うん」
万次郎に手を繋がれ、ハッと我に返る。
「じゃーな、タケミっち。またなー」
「え…帰る…んスか?」
唐突に別れを告げられた武道はキョトンとした顔で立ち止まると、万次郎は満面の笑みで振り返った。
「だって俺、これからとデート♡」
「は?(俺はヒナとのデートを断ってきたのに?!)」
「邪魔すんなよ?タケミっち」
「ちょ、ちょっと佐野くん…」
堂々と言い切る万次郎に、が恥ずかしそうに頬を赤らめている。
やはりクラスメートの前では色々照れ臭いようだ。
だが武道は内心(それはあまりに理不尽すぎやしませんか…?)と思ったが、万次郎はすでにしか見ていない。
万次郎とは仲良く手を繋いで歩きだし、二人の後をドラケンがからかいながらついて行く。
それを一人寂しく見送った武道は、盛大な溜息を吐き出した。
「何故…?」
少しだけ、鼻と涙腺が緩んだ武道だった。
期末テストも無事に終えた今日、万次郎と久しぶりにデートをする約束をしていたは以前、行けなかったカフェで待ち合わせをしようと言われ渋谷へ来ていた。
万次郎がに初めて告白をしたあの場所だ。
前とは違って今日は夕方の為、風俗店が並ぶ一画にはネオンがチラホラつき始めている。
何度来てもこの通りを歩くのは恥ずかしい、と思いながら、は足早に目的地へと向かっていた。
今日はテスト明けの週末という事もあり、そのカフェでケーキを食べた後は初めて万次郎の部屋へ行く約束だった。
それも泊りで―――。
テスト期間中はデートが出来ない、と言った時、あまりに万次郎が落ち込むので、終わったらすぐに夏休みだし毎日会えると言ったところ。
テスト期間中に会うのを我慢する最初の交換条件として、週末は万次郎の家に泊りに来て欲しいと言われたのだ。
「とずっと一緒にいたいから…ダメ?」
と、可愛く言われてしまうと、も断り切れなかった。
いや、も万次郎と一緒にいたいのは同じだが、これまで一度も外泊をした事がない上に、相手がいきなり万次郎というのはハードルが高すぎた。
約束をした日から今日まで延々と緊張状態が続いている。
ただ、そんな状態で何とかテストを乗り切れたのもその約束があったからだ。
何だかんだも万次郎と長い時間を一緒に過ごせるのは嬉しい事だった。
そんなこんなで今日は着替えや必要な物をバッグに詰めてやって来た。
「夜は遅くまで一緒に映画を観て、起きたらバイクでどこかに遠出しよう」
が泊まりに行くのを了承すると、万次郎は想像以上に喜んでそんな事を言っていた。
(でも…泊りに行くって事は…寝る時どうしたらいいんだろう…。まさか一緒に寝るなんて事は…)
あらぬ想像をしてしまい、は顔が熱くなるのを感じ、慌てて首を振った。
(そ、そんなはずはないよね…。まだ付き合い始めて間もないし…別々に寝るはずだよ)
優等生とは言っても付き合っている男女にアレコレある事は知っている。
恋愛映画やドラマなどでもそんなシーンは沢山見るし、実際にはどんな事をするのか中身は知らなくても漠然としたものは分かるのだ。
でもそれが現実に自分の身に起こるのは想像すら出来ない。
ただ、前に万次郎が下着泥棒を捕まえるのにの家に泊まり込んでいた時、
"だとさ…。そういう気持ちになっちゃうんだよね"
と言われた事がある。
あの朝は触れたくなるとまで言われてドキドキしたが、今もそれは同じなんだろうか、とふと思う。
そしてその時の事を鮮明に思い出し、顏から火を噴いたかと思うほどに赤くなった。
(な、何考えてんの、私ってば…!恥ずかしすぎる…っ)
初めて人を好きになり、幸運なことに好きな相手も自分を好きになってくれるなんて、本当なら奇跡に近い。
だからこそ最近は少し暴走気味かな、とは思う。どんどん万次郎を好きになっていく自分が怖い。
今はまだ父の手前、これまでの自分を保とうとしているが、万次郎と一緒にいると時々他の事はどうでも良いと思ってしまう事もあるのだ。
"恋の病"とはよくいったものだ、と内心苦笑する。
恋愛は人を狂わせる何かがあるというのは、経験してみて分かった事だ。
万次郎と出会う前の自分は、一日をどうやって過ごしていたんだろう、と分からなくなるほどに。
「…早く大人になりたいな」
ふと零れ落ちた本音。
親の目も気にせず、全ての責任を自分で取れるくらいの、大人になりたい、とは思った。
この時、万次郎は前と同様、待ち合わせの時間が来るまでドラケンの部屋で時間を潰させてもらっていた。
今か今かとその時間が来るのを待ちながら、今日はAVを見る事もなく万次郎はベッドに寄り掛かり大人しくパーちんが借してくれたという雑誌を読んでいる。
いつもならとデートの時はやれ「今日はどこ行こう」とか「何食べに行こう」などとうるさいのに、やけに静かだ。
そのあまりの大人しさが逆に気になったドラケンは、ベッドで寝転がりながらバイク雑誌を眺めていたが、ふと万次郎に視線を向けて真剣に読んでいる雑誌を覗き込んだ。
「えーなになに?"女の子を自然にベッドへ誘う為の秘訣。男ならこう攻めろ"って…何じゃそりゃ!」
「み、見んなよ、ケンチン!」
ギョっとしたように振り返った万次郎は慌てて雑誌を閉じた。
その反応にドラケンは思わず吹き出した。
「マイキーが…女の攻略本とか…マジか…ぶはははっ」
「笑いすぎ!つーかコレ、俺が頼んだわけじゃねーから!パーがいきなり貸してやるって言って勝手に持ってきたんだよッ」
ベッドで笑い転げているドラケンを睨みつつ、万次郎の顏が赤くなっていく。
それでも笑いが止まらず、ひーひー言いながらドラケンは泣き笑い状態だ。
「い、いやだってオマエ、めちゃくちゃ真剣に読んでたぞ?」
「うるせーな…!ちょっと参考までに読んでただけじゃん…」
「何の参考だよ?あ、やっぱ、マイキー下心あって今日泊まりに来いなんて言い出したんか」
「バ…っ。ち、ちげーよ!俺はただといつもより多く過ごす時間が欲しかっただけで―――」
「わーった、わーった」
読んでいた雑誌を放り投げ、ムキになる万次郎を宥めるように、ドラケンは苦笑いを浮かべながらホールドアップをした。
毎日会っているとはいえ、学校が終わった後の少しの時間では物足りないと、いつもボヤいているのは知っている。
「ったく…そーんなにと一緒にいたいのかよ」
「……当たり前じゃん。テスト期間中は地獄だったしね」
「あぁ~周りに八つ当たりしまくってたからなぁ…。それでパーがそんなもん貸して来たんだな、きっと」
ドラケンは笑いながらマイキーの放り投げた雑誌を手に取った。
「明日久しぶりにちゃんに会うんだろ?いいもん貸してやるよ」とパーちんがニヤニヤしながらマイキーに雑誌を渡してたのは昨日の集会での事だ。
ドラケンもその光景をこっそり見ていたが、まさかこんな内容の雑誌だったとは思わない。
「ま、でも参考になるなら読んどけば?がそういうつもりで泊りに来るわきゃねーだろうけど男と女なんて何がどうなるか分かんねーし」
「いーよ、別に。そこまで焦ってねぇし…」
「へえ、そうなの?」
「いや、色々したい気持ちはあるけどさ…」
「ぶはは!素直じゃん。まあ好きな子といりゃ、そういう欲求が出て来るのは正常だ、マイキー」
ドラケンが笑うと、万次郎は頬を赤くしつつもジトっとした目で睨んで来る。
他人事だと思いやがって、と言いたげだ。
「でも俺…を大事にしたい方が強いから」
「そりゃ分かるけど、そんなに好きな子が泊まりに来て我慢できんの?」
「………するよ。別にエッチ目的で泊りに来てって言ったわけじゃねーし」
万次郎はただ純粋にと少しでも長く一緒にいたいと思ったから、そんな条件を出してまで泊りに来てと言ったんだろう事はドラケンも分かっていた。
ただそこは男だけに良からぬ気持ちが多少なりとも出てしまうのは仕方のない事だ。
「まあ、その辺の事は俺にどうこう言う権利もねーし。マイキーが大事だと思う事を貫けばいいんじゃねーの」
ポンと万次郎の頭に手を乗せれば、その大きな目が僅かに細められた。
「でもさ…」
「ん?」
「…我慢できなくなったらどうしたらいいの」
「そりゃ……」
唇を尖らせ、恥ずかしそうに視線を反らす万次郎に、さすがのドラケンも言葉に詰まる。
同じ男だから分かるが、あの欲求を我慢するというのは男にとって、かなり地獄なのだ。
それも傍に好きな子がいる状況なら尚更、その地獄が更に増幅するだろう事は容易に想像できる。
「…………まあ…アレだろ」
「あれ?」
「そこはオマエ…トイレ行けよ」
「………ッ!!」
その意味を理解した万次郎が徐に顔をしかめた。
「が傍にいんのに出来るわけねーだろっ」
「あ?バレなきゃいーだろ」
「やだよ!変態っぽいだろーが!」
「男なんてだいたいそんなもんだろーが!」
「俺は違うし!」
「あーっそ!だったらが隣で寝てても我慢できるんだな?」
「……で…出来るよ?」
「って、目が泳いでんじゃねーか!」
そんな男子あるある的な会話を繰り広げていると、不意にドアがノックされた。
「ケン坊」
「あ?!」
「友達の妹さん、来てるよ」
「…は?!」
風俗店の店長の言葉に、ドラケンと万次郎は互いに顔を見合わせた。
「「エマ?」」
そこでドラケンが慌ててベッドから飛び降りる。
「な、何でエマが来んだよ?」
「は?俺が知るか。ここがケンチンの家ってのは知ってるんだし遊びに来たんじゃねーの?」
「…ぐっ」
急にニヤニヤしだした万次郎に、ドラケンの顏も赤くなる。
ドラケンが妹のエマの事を好きなのは前に訊いて知っている。
「ああ、俺は時間だから行くけど、別にエマをここに連れ込んでもいーよ?兄貴の俺が許す」
「つ、連れ込むわきゃねーだろ!ここは女禁制だ!」
「はいはい。んじゃー俺行くから。エマのこと宜しく」
「は?お、おい、待てってマイキー!」
万次郎がサッサと部屋を出て行くのを見て、ドラケンも慌てて追いかける。
すると受付のところにいたエマが「あ、マイキー」と笑顔で手を振っていた。
「やっぱドラケンのとこにいた」
「オマエ、何しに来たの?」
「暇だから遊びに来たの。3人でケーキ食べにいかない?そこのカフェに」
「今日はダメ」
エマの言葉に万次郎は「俺はそこでデートなの」と言いながらエレベーターのボタンを押す。
「え、嘘!彼女と?じゃあウチにも紹介してよ!いい機会だし」
「は?やだよ…エマはケンチンと遊んでりゃいーだろ」
「え~!マイキーの彼女に会いたい」
「後で家に連れてくから、その時でいーだろ?」
「え、家に来るの?ほんとに?」
エマが驚いたようにドラケンを見上げる。
「ああ、しかも泊りらしいぞ」
「嘘!泊まりに来るの?って、待ってよ、マイキー。ウチも行くってば」
到着したエレベーターにサッサと乗り込む万次郎を見て、エマも慌てて乗り込んだ。
ついでにドラケンも「俺も行くわ」と言い出し、万次郎はの目がこれでもかというくらいに細くなった。
「人のデート邪魔しに来るなよ」
「いいだろ、別に。俺とエマで行く分には」
「え、ドラケン、いいの?」
「ああ、まあたまにはな」
そう言ってドラケンもエレベーターに乗ると、万次郎が心底嫌そうな顔をした。
「マジで邪魔なんだけど…」
「いいじゃない。邪魔しないように遠くから見守ってるから」
エマは万次郎の腕に自分の腕を絡ませると、ウキウキした顔で鼻歌を歌いだした。
棚ぼたの如く、ドラケンと一緒にカフェでデートみたいな形になったのが嬉しくてたまらないといった顔だ。
「はあ…すでに邪魔なんだよなあ」
エレベーターが一階に到着し、万次郎は溜息交じりで外へと出た。
エマも腕を組んだまま「邪魔しないってば」と念を押す。
「つーか、ベタベタすんなって…暑ぃから…」
「いーじゃん。これくらい」
「………」
「マイキー?」
ふいに立ち止まった万次郎に、エマがふと顔を上げた。
すると、万次郎がある一定方向を見ている事に気づく。
エマもそちらへ顔を向けると、そこにはエマと同じくらいの髪の綺麗な女の子が立っていた。
「?!」
「さ、佐野くん…何してるの?」
驚愕した表情のを見て、万次郎は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
「…え?今からカフェに行こうと―――」
「そ、そのお店、行ってたの…?」
「店?って、ち、違うっ!ここは―――」
そこでやっと意味が分かった。
万次郎が風俗店から出て来た事を、は驚いているのだ。
そして激しく誤解されている事に気づいた万次郎は慌てて首を振った。
「そういうんじゃなくて、ここはケンチンの―――」
「……その子は?」
「え?ああ、コイツは…」
と言いかけて、未だ腕を組んでいるエマを見て、軽い眩暈がした。
風俗店から出て来た→女の子と腕を組んでいる。
これでは誰でも誤解をする状況だ。
の考えている事を全て理解して、万次郎は焦りに焦った。
「ち、違うって、…コイツは妹―――」
と言いかけた時、が踵を翻し、駅の方へと走っていく。
それを見た万次郎はエマの腕を外すと、すぐにの後を追いかけた。
「待てって!誤解だよ、!」
「は…放して…っ」
「やだよ」
暴れるの腕を引き寄せ、自分の腕の中へと収める。
その強い力にもがきながら、は涙が溢れて来るのを感じた。
自分が見た光景が信じられず、少し混乱している。
だが万次郎はもう一度、
「誤解だって…」
「……ご、誤解ってでも店から―――」
と言いながら顔を上げると、困ったような顔の万次郎がふと笑みを浮かべた。
「アイツは妹のエマだよ」
「……っ?」
万次郎の言葉に、は少しだけその場で固まった。