
15.Night & Day❷
「ホントにごめんなさい!」
待ち合わせ場所だったカフェに来て、はもう一度、万次郎に頭を下げて謝った。
まさか風俗店から妹と腕を組んで出て来るとは思わない。
てっきり万次郎が風俗嬢とそういう関係だと誤解してしまったのだ。
「いや…確かにあの状況じゃ誤解されてもおかしくねーし…」
と言いつつ、万次郎は向かい側でニコニコしている妹のエマを睨む。
その隣には流れ上、ついて来る事になったドラケンもいる。
「エマ…オマエがベタベタすっからだぞ?」
「だからごめんってば…。ちゃんもごめんね?」
「え?あ…ううん。龍宮寺くんの家があるビルとは思わなくて…」
「その事、話しておけば良かったな」
ドラケンも苦笑気味に頭をかく。
ただ自分の悲惨な境遇は、万次郎の彼女にわざわざ話す内容でもない。
だから特にその辺の事は何も言っていなかったが、そのせいでまさかこんな誤解を生むとは思わなかった。
「でもウチと同じ歳の彼女なら嬉しいなー!仲良くしてね、ちゃん」
「うん。宜しくね、エマちゃん」
「兄ともども宜しくー!でもホント、眼鏡取ったらめっちゃ美少女なんだもん。びっくりした」
「え…そ、そんな事は…」
「えーあるよー!眼鏡しなきゃいいのに」
「それはダメ」
つかさずマイキーが口を挟む。
今はよく知っているドラケンやエマしかいないので眼鏡を取るのはOKした万次郎だが、やはり普段から外すと言う選択肢はない。
自身がどうしても外したいなら考えるかもしれないが、本人が特にコンタクトにする意思がなさそうなので、なら万次郎としても心配事を増やしたくはなかった。
ただ今日はデートという事でも髪は縛らず下ろしている為、眼鏡を取ってしまうと余計に目立つ4人組になっている。
「あ、ここのカフェ凄くケーキ美味しいの!何食べる?」
「うわー凄い種類あるしデザインも可愛いケーキばっかりだね」
「味も美味しいんだよー」
「楽しみ」
とエマはすぐに打ち解けたらしく、次第に女子特有のキャピキャピトークになっていくのを、万次郎だけが不満そうに眺めている。
二人きりのデートだったはずが、案の定エマに邪魔されてるからだ。
「何が遠くから見守ってる、だよ…」
「悪ぃな、マイキー」
不機嫌そうな万次郎に、ドラケンも苦笑するしかない。
そもそもに変な誤解をされ、最悪振られていたかもしれない事も万次郎の気持ちが落ちている理由の一つだろう。
「でも良かっただろ。すぐに誤解は解けたんだし」
「それはな…。でも見ろよ、ケンチン。何かエマが友達とお茶してるとこに居合わせてる兄貴的な光景になって来てる…」
隣に座るはエマと楽しくメニューを見ながらケーキを選んでいる。
盛り上がっている女子トークは、さすがの万次郎も割り込む隙がない。
「エマちゃん、ネイル可愛い」
「ほんと?これ自分でやったの。あ、ちゃんも後でやってあげる。今日ウチに泊るんでしょ?」
「いいの?嬉しい。私、こういうの疎くて…マニキュアも塗った事ないの」
「えー!もったいないよー!ちゃん、爪の形が凄く綺麗だからマニキュア塗るだけでもいい感じになると思うな」
何で女子が二人以上集まると、お洒落の話に花が咲くんだろう?と万次郎は溜息をつく。
特にはこれまで出来なかったお洒落が最近好きになったらしく、エマの話を興味津々で聞いている。
「おい、エマ…。家に帰ってまで邪魔する気…?」
「そ、そんな事はないけどさ…。いいでしょ?ネイルやってあげるくらい」
すっかりという味方を得た気でいるのか、エマは強気で言い返してくる。
も万次郎の様子を伺うように顔を覗き込むと、
「佐野くん、ダメ?ネイルやってもらうだけ」
「…いやダメじゃないけど…さ。、そんなもん塗らなくても綺麗な爪なのに」
「…え」
万次郎がの手を握って指先に軽く口付けると、の頬がすぐに赤くなる。
それを見ていたエマが「うわ、マイキーがちゅーしてる!」と騒ぎ出し、ドラケンが「あんま騒ぐなって…」と溜息をつく。
万次郎じゃないが、どうして女子が二人になっただけで、こうも賑やかな空間に変わるのか、と言いたげだ。
「さ、佐野くん…」
カフェ、それもオープンテラスの席でそんな事をされたは、恥ずかしさのあまり握られた手を慌てて引こうとした。
でも万次郎は握る手に力を入れると、また自分の方へ引き寄せる。
そして今度は指にキスをしながら、意味深な笑みを浮かべてを見た。
万次郎のいたずらっ子のような顔に気づき、は更に頬が熱くなっていく。
「、すーぐ赤くなる」
「だ…だ…って…」
「そういうとこ、ホント可愛いし好きだけどね、俺」
照れて俯いてしまったを見て、万次郎は満足そうな笑顔を浮かべた。
そして向かい側で一部始終を見ていたエマは、甘い言葉を吐いている兄の姿に驚いた様子で、口をポカンと開けて暫し固まっている。
「あ、あのマイキーが…女の子に……か、可愛いって言ってる…っこ、怖い!」
「バカ、エマ…!余計な事は言うな…」
ムっとした顔で睨んで来る万次郎に気づいたドラケンは、慌ててエマの口を手で塞ぐ。
ただでさえ今日は二人きりのデートだったのに、邪魔な虫が二匹も目の前にいるせいで、万次郎の機嫌はあまり良くないのだ。
これ以上刺激したくはない、とドラケンは思う。
エマもドラケンの言いたい事を理解したのか、すぐにメニューを開き「ど、どのケーキにする?」としか見ていない兄に尋ねた。
だがが荷物と一緒に持って来ていた紙袋を大事そうに膝の上に置いているのに気づき「そう言えば、それ何?ちゃん」と身を乗り出す。
「ずっと大事そうに抱えてるけど…」
「え?あ、これ?これは…前に佐野くんと約束してたどら焼きとたい焼きを作って来たの」
「えっ!!そ、それって自分で作れるの?!」
の言葉に驚愕したエマだったが、驚いている人物がもう一人いた。の隣にいる万次郎だ。
「え、それって…」
「ああ、ほら。前に作るって約束したでしょ?だから今日に合わせて作ったの。あ、エマちゃんと万作さんの分も」
「マジで?!」
万次郎はの言葉を聞いて感激したように瞳を輝かせている。
紙袋の中には大きなタッパーウェアが二つ入っていて、中には見た事のある魚の形が見える。
「うっわーすごーい!ちゃん、天才?」
たまにお菓子作りをするエマも万次郎同様に瞳を輝かせている。
「あ、でも結構簡単だよ?レシピ教える?」
「うん、お願い!爺ちゃんとマイキー大好きだから助かる」
「え、俺、が焼いたのしかいらねーけど」
「何よーマイキー!人がせっかく作ってあげようと思ったのにっ」
兄の素っ気ない一言にエマも唇を尖らせたが、彼女が出来れば妹よりもそっちを優先されるのは仕方がないのも分かっている。
エマは隣で苦笑しているドラケンをチラっと見ると、
「じゃあ……ドラケン、私がたい焼き作ったら…その…食べる?」
「え?あ…お、おう…」
頬を赤くしながら訊いてくるエマに、ドラケンの頬もかすかに赤くなる。
それに気づいたは以前、万次郎から二人は付き合ってはいないものの両想いだと聞いたのを思い出した。
両想いなのに何故付き合わないのか訊くと、ドラケンも今はチームの事で頭がいっぱいらしい、と万次郎が話していたのだ。
※要するに万次郎が必要以上に手がかかる為、今はドラケンもチーム優先にしているのだが、当の本人はそんな副総長の気持ちに気づいていない。
「あ、俺はケーキいらないから」
とりあえず皆で何を頼むか決めて、エマが注文するのにウエイターを呼んだ時、万次郎が笑顔を見せた。
「え、何で?」
「帰ってからこれ食うから」
そう言って大事そうに紙袋を持ち上げた万次郎に、も驚いている。
「え、佐野くん、ケーキいらないの?この店の好きなんでしょ?」
「俺はが作ったやつ食べたいの。あ、は好きなケーキ食べろよ。んで食べたらすぐ帰ろ」
万次郎は早くたい焼きとどら焼きを食べたい様子で、ソワソワしている。
それに気づいたドラケンは軽く吹き出すと、エマに「こりゃ早く食った方が良さそうだぞ」とコッソリ言っておく。
あの様子じゃ夕飯もいらないとか言い出しそうだ。
「そうだね。じゃあ急いで食べて帰ろう」
「ああ、そうしてやって」
「でもドラケンの話してた通りだね」
「ん?」
「マイキーってばちゃんといると幸せそうだもん。あんなマイキー見た事ない」
「だろ?ま、俺も最初は驚いたけど…はいい子だし、がマイキーの傍にいる事はチームにとってもいい事なんだよ」
「え、どういう事…?」
「ま、エマもそのうち気づくよ」
ドラケンはそう言って笑みを浮かべると、楽しそうにと話している万次郎を見た。
こんな風に大切な人たちと穏やかな時間を過ごす事が、万次郎にとって必要だとドラケンは気づいている。
の存在が、万次郎のブレーキ的な存在になっているという事も。
「あ、そうだ」
その時、不意にが何かを思いだしたように声を上げた。
「あのね、幼馴染の愛子に頼まれた事があって…」
と万次郎を見る。
「愛子ってお隣さんだったっけ。え、頼みって、俺に?」
「うん。実は…」
そこでは愛子から聞いた話も含め、場地を紹介してくれるように、万次郎へ頼んでみた。
「…え、場地がひったくり犯捕まえた?」
「あーあったな、そんなこと」
驚く万次郎と、知っていた様子のドラケン。
「ほら、マイキーはの家にいたし、その後に下着ドロ捕まえて警察呼んだりしてたから話すの忘れてたけど、あの日確かに場地がマンションの人を助けたって言ってたんだよ」
「へえ~!え?で、それがキッカケでその愛子って幼馴染が場地を紹介して欲しいって?」
「う、うん。ダメかな…?何かその話を聞いて顔も知らないのに紹介して欲しいって言ってきて…。あ、ほら場地くん、前に彼女はいないって話してたしいいかなと思って…」
「あーまあ俺はいいけど…の幼馴染だろ?場地で大丈夫かな」
万次郎はそう言いながら、あの暴れん坊が大事なの幼馴染を危ない事に巻き込まないか、とその辺が心配だった。
そもそも万次郎も場地の事を言えた義理ではないのだが、そこは自分じゃ気づいていないようだ、と話を聞いていたドラケンは思う。
「大丈夫って…?」
「あ、いや…場地は前にも話したけどさ…。手が早い方だから―――」
「…えっ」
「え?あ、いや!ソッチじゃなくて!ケンカッ早いってこと!」
僅かにの頬が赤くなったのを見た万次郎は、彼女が言葉の意味を取り違えてる事に気づき、慌てて言い直した。
これで誤解を生んでしまえば場地に何を言われるか分かったものじゃない。
も自分の勘違いだと気づいたのか「あ、ケンカ…」と呟き、ホっと息を吐き出した。
「いいじゃん、マイキー。面白そうだから場地にお見合いさせちゃおうよ」
「…楽しむなよ、エマ。の幼馴染なんだから遊びで会わせるわけにはいかねーっつーの」
「まあ、そうだよねぇ…。でも場地はバカだけど女の子を泣かすような男じゃないじゃん。それ言ったら東卍の皆もそうだし」
「あ、で、でも場地くんが彼女欲しいとか思ってるんだったらって事だから、もしそうじゃないなら無理に頼まなくていいし…」
はふとそこを考えて場地はどうなんだろうと慌ててそう言ったが、ドラケンが「あ」と声を上げた。
「そういやアイツ、この前彼女欲しくなって来たって言ってたな…」
「え、マジ?」
「ほら、それこそのマンションの屋上で見張りしてた時にさ。がアレコレ差し入れしてくれたろ。あれで切実にそう思ったらしい」
「は?は俺んだし」
「……ッ?」
「いや、そこは分かってるから。あれで彼女が欲しくなったって話ね」
いきなり仏頂面で"俺んだ"発言をかます万次郎に、は恥ずかしそうに俯き、ドラケンは苦笑した。
「まあ、今度会った時に俺がそれとなく話しておいてやるよ。マイキーが話したんじゃややこしくなりそうだし」
「あ?どういう意味だよ、ケンチン」
「さっきみたに絡んでまた殴り合いとかしそうだろ?オマエらは」
「……かもな」
いつものノリを思い出し、そこは万次郎も素直に頷く。
だいたい些細な事で言い合いに発展し、最後は殴り合って終わるのが万次郎と場地だった。
でも最近はそれも確実に減っている。
昔を思い出しながら、みんな大人になったもんだなぁと、ドラケンはシミジミ思っていた。
「お、お邪魔します…」
万次郎に案内されて、は緊張しながら部屋の中へと足を踏み入れた。
カフェでケーキを食べた後は約束通り、万次郎の家へとやって来た。
ドラケンは自分の家に帰り、万次郎と、エマの三人で戻って来たが、万次郎はエマに「部屋には来んなよ?」と念押しをして母屋に帰してしまった。
さっきの賑やかさから一転、いきなり万次郎と二人になった事で、も少しドキドキしてくる。
母屋の裏手にある万次郎の部屋は、以前亡くなった兄の真一郎が倉庫として使ってたそうで、よくここでバイクをいじっていたと聞いていた。
真一郎が亡くなった後は、そのまま万次郎が使っている。
「わぁ…素敵な部屋。やっぱりお兄さんが使ってただけあってシンプルで大人っぽいね」
室内を見渡し、は部屋のディスプレイを見て驚いた。
バイク関連の物は多いが、無駄なものは殆どない。
それに男の子の使う部屋にしては綺麗に片付いていた。
「床とかバイク置いてた名残でタイヤ痕とかあるけどねー」
言われてみればカーペットの下はコンクリートで、しっかりバイクのタイヤ痕が残っている。
だがそれがまたいい味を出していた。
「何かわざと描いたっぽくてアートみたいだよ?」
「そんないいもんじゃねーけど。あ、適当に座って」
万次郎は部屋の棚に設置したミニ冷蔵庫から飲み物を出してへと渡した。
「あ…ありがとう。あ、佐野くん」
「んー?」
「万作さん…佐野くんのお爺ちゃんに挨拶しなくて本当にいいの…?」
「あーいいのいいの。挨拶したところで、"なに一丁前に女の子連れ込んでんだ"ってゲンコツ喰らうだけだし」
「そ、そっか…」
の祖母の雪子と万次郎の祖父である万作が幼馴染と知って、一度挨拶をしたいと思っていただったが、確かに泊りに来たとは言いにくい。
雪子へ話されるのもにとっては少々恥ずかしかった。
孫の恋を応援してくれてはいるものの、男の子の家に泊るなんて聞けばそこは説教されるかもしれない。
その時、ノックの音がしてドアの向こうから「マイキー」とエマの声がした。
雑誌などを片付けていた万次郎は軽く舌打ちすると「来んなって言ったのに」とブツブツ言いながらドアを開けに行く。
「何だよ、エマ…」
「ご、ごめん。あのさ、ちょっと思ったんだけど、ちゃんのことウチの友達だって話して爺ちゃんに紹介したらどうかと思って」
「え、何で?」
「そしたらちゃんが泊りに来てもおかしくないし何も気兼ねなく母屋の方で一緒にご飯も食べられるし、堂々とお風呂とか入れるじゃない」
「あーそっか」
エマの提案に万次郎もポンと手を打った。
祖父の万作は寝るのが早いので、風呂などは寝た後で入ればいっか、くらいに思っていたが、今後の事を考えるとエマの友達だという事にしておいた方がいいかもしれないと思った。
「って事だけど、どーする?」
「あ、うん。私もその方が…。やっぱり何も挨拶しないっていうのも気が引けるし…」
「が雪子の孫だってバレるかもしんねーけど」
「うん、いいよ。ちょっと恥ずかしいけどおばあちゃんには今度私から話してみる」
「じゃあ決まり。後で紹介するよ、ウチの万作」
万次郎の言い方に軽く吹き出して、は「お願いします」と頭を下げた。
佐野家の母屋はどことなく祖母の雪子が住む家に雰囲気が似ていた。
庭先や縁側など、蚊取り線香の匂いに至るまで、昭和の時代を感じさせる独特の空気がある。
それはが幼い頃から慣れ親しんだもので、やはり何となく気分が落ち着く。
その空間の中で静かに座って新聞を読んでいた万次郎の祖父、万作は孫たちが連れて来た少女にふと目を向けた。
「お爺ちゃん、うちの友達でちゃん。今日泊まりに来たの」
「そうか。ゆっくりして行きなさい」
かけていた眼鏡をズラし、ニッコリと微笑む。
が、すぐに「…?」と何か思い当たったように、マジマジとの顔を眺めた。
「もしかして…君は雪ちゃんの…?」
「はい。雪子は私の祖母です」
「…ぉお…確かに雪ちゃんの若い頃にソックリだ…」
以前、雪子も万次郎を見て、万作の若い頃にソックリだと言っていたのを思い出し、万次郎は小さく吹き出した。
「雪ちゃんは元気かな?最近はワシも出歩かなくなったから顔を合わせる事も減ってしまってな」
「はい。凄く元気です」
「そうか。なら良かった。雪ちゃんは若い頃、君に似て器量良しでなぁ…。この辺でも有名だったんだよ」
「そ、そうなんですか…」
祖母の事を改めてそんな風に言われると照れ臭くなり、は笑って誤魔化した。
雪子の初恋が万作だと言うのは本人の為にも言わない方がいいかもしれない。
「まあ、ゆっくりして行きなさい。エマと仲良くしてやってくれ。この子は気が強いわりに寂しがり屋でね」
「もーお爺ちゃん、余計な事は言わなくていいから」
そこへ歩いて来たエマが頬を膨らませ、万作の前に淹れたてのお茶を置く。
「はいはい。若いもんの邪魔はせんから適当に寛いでもらえ」
万作は笑いながらエマの淹れたお茶を口へ運ぶと、再び新聞を開いている。
その姿を見ながら、万次郎はの腕をそっと引っ張った。
「戻ろっか」
「あ、うん。―――それじゃ失礼します」
「はいはい」
最後に万作へ丁寧に挨拶をするを見て、万次郎とエマもふと笑顔を見せた。
家族へのさりげない気遣いは、二人にとっても嬉しいものだ。
「ありがとう、エマちゃん」
「ううん。でもこれで爺ちゃんにも公認だから自由に出来るね!感謝してよねーマイキー」
「分かってるよ…」
ニヤっとして顔を覗き込んで来るエマに、万次郎も口を尖らせながらそっぽを向いている。
「じゃあ後でちゃんのネイル、部屋にやりに行ってい?」
「………仕方ねぇなぁ」
とてつもなく嫌そうな顔をしながらも、万次郎は渋々頷いた。
せっかくのお泊りデートで二人の時間を極力邪魔されたくはないが、ここは諦めて譲歩する事にした。
エマは「やったー」と両手を上げて喜んでいる。
「じゃあ後でネイルセット持って行くね、ちゃん」
「うん。楽しみにしてる」
も笑顔で応えているのを見て、万次郎は内心ガックリと項垂れた。
こういう女の子同士の結束には、男なんて入るスキがないというのを痛感させられる。
でも心なしかエマも楽しそうで、兄の彼女と仲良く出来るのは嬉しいようだった。
同じ歳というのも良かったのかもしれない。
今でこそなくなったが、万次郎の父と再婚した彼女の母が佐野家に幼いエマを預けて行った後、日本人ぽくない容姿と名前のせいで、周りから散々からかわれていた。
そのせいで特に親しい友達が出来る事もなく過ごしていたエマは、万作の道場で遊ぶ日々を過ごし、万次郎や道場に通っていた場地だけが気さくに話してくれる相手だった。
それでも時々寂しそうにしているエマに、万次郎は「今日から俺、マイキーになる」と突然宣言し、俺がマイキーならオマエがエマって名前でもおかしくない、と言い切った。
あの時の照れ臭そうなエマの笑顔を、そしてその瞳に涙が滲んでいたのを、万次郎は今でもよく覚えている。
あの日はエマと万次郎が本当の意味で、兄妹になった瞬間だったのかもしれない。
「エマと…」
「うん…?」
「仲良くしてやってよ」
離れに戻ってソファで寛いでいると、万次郎がふとそんな事を言って来た。
その兄らしい一言に、もすぐに笑顔になる。
「うん…もちろん」
「あ、でも」
と言葉を続けると、万次郎はの方へ体を向けて、そっと抱きよせる。
「俺の次にって事だから」
「…え?」
いきなり抱きしめられた事と、万次郎の放った一言にの頬がかすかに赤くなる。
まさか妹にまで嫉妬するとは思っていなかった。
「…佐野くんが一番なのは変わらないよ」
「良かった…」
恥ずかしいのを我慢してそう呟けば、万次郎が嬉しそうな笑顔を見せる。
そしてゆっくり身を屈めると、触れるだけのキスをの唇へと落とした。
「何か変な感じ…」
「え…?」
「が俺の部屋にいるのが…」
そう言って苦笑しながらも、の赤くなった頬へも口付ける。
「さ…佐野…くん…?」
「ん…?」
頬から目尻、そして額とキスをして来る万次郎に、の顏の熱も上がっていく。
「映画…観ないの…?」
顏中にキスをされ、恥ずかしくなった事で、映画を観る約束を思い出す。
だが万次郎は再び唇へちゅっとキスをしながら「今はにいっぱいキスしたい」との髪に指を通すと首の後ろへ腕を回した。
そうする事で、の体が万次郎の方へと傾く。
「え、あの……ひゃっ」
首筋や耳たぶにも軽くキスをされ、そのくすぐったさに思わず声が跳ねる。
悪戯にキスを仕掛けてくる万次郎に、の鼓動が次第に早くなって恥ずかしさで顔の熱が一気に上昇した気がした。
「ちょ、佐野くん…」
「まだ足りない」
「た、足りないって…」
「テスト期間は会えなかったからその分、キスする」
それまで毎日のように会っていたのに、テスト期間だからと言う理由で学校帰りの僅かな時間のデートすら出来なかったのが、万次郎からすると相当キツかったようだ。
会えなかった時間を埋めるかのようにキスをしながら、真っ赤になっていくを見ては万次郎の頬も緩んでいく。
「…、真っ赤で可愛い」
「か…からかってる…?」
「からかってない。ほんとに可愛いから困ってる」
万次郎は苦笑気味に呟くと、をソファに押し付けるようにしながら最後に唇を塞ぎ、角度を変えながら何度も優しく口付ける。
やっと今日一で甘い空気が流れ始め、万次郎は会えなかった時の寂しさを全てぶつけるようにの唇を堪能した。
「…ん」
密着しながら何度もキスを交わしていると、少しずつ互いの息も乱れて行く。
万次郎は一度ちゅっという音と共に名残惜しそうに唇を離しては、の恥ずかしそうに潤んでいる瞳を見つめた。
そして再びキスをしようと自分の唇を近づけた、その時―――。
コンコンっという軽快なノックの音がして、
「マイキー!入ってもいーいー?」
早速ネイルセットを持ってきたであろうエマの、明るい声が響き渡り、キスを中断された万次郎は深い溜息と共にガックリと項垂れる。
佐野家の夜は、まだこれから―――。