
21-1.不協和音の結末は―その後
「オレが悪かったよ、マイキー」
「ううん。オレの方こそゴメン」
武道が髪を洗った後、皆で合流した公園。ドラケンが謝罪を口にすると、万次郎も素直に非を認めて謝った。その姿に、武道は何故二人がケンカをすることになったのかが気になっていた。
しかしドラケンも万次郎も忘れたとしか答えない。けれど、そんな二人を見ていたら何となく分かったような気がした。万次郎はパーを無罪にしたかった。たとえそれが悪いことだと分かっていても。
友達として、パーを助けたかった万次郎と、パーの自首した覚悟を大事にしたドラケン。
どちらも曲げられないものがあるから、ケンカになったんだろうと、武道は感じていた。それはの表情からも見て取れる。「正しいのはケンチンだ」と寂しそうに呟いた万次郎に寄りそうように傍にいるは、万次郎の気持ちに気づきながらも敢えて知らないフリをしているように見えた。
「パーが出て来たら、いっぱいお祝いしような」
笑顔で言う万次郎に、も柔らかい笑顔を向けて頷いた。
武道や千堂、山岸らと公園でサッカーをした後、万次郎は途中でやってきたエマやドラケンと共に、を連れて自宅へと戻って来た。ここ数日はまともに会っていなかったこともあり、もう少し一緒にいたいと我がままを言ったのだ。
「つーか何でオマエらもいんの?」
佐野家の離れである万次郎の自室。そこにだけじゃなくドラケンとエマが居座っているのを見て、早速万次郎が不満げに口を尖らせた。ドラケンはエマに「寄ってってよ」と強請られ、ケンカのことで心配かけたことを自覚していたからこそ、たまには好きな子の言うことを聞こうと思っただけだ。
エマはエマで大好きなドラケンと一緒にいたいので、皆に飲みものを持って来たという理由付けをして、部屋にやって来た。今はドラケンの隣を陣取って、嬉しそうにジュースを飲んでいる。兄の不満は分かっていたが、こんな機会は早々ないし明後日のお祭りのことも話し合いたかったので知らんふりをしていた。
「オレ、と話したいことあんだけど」
「だからお祭りの話でしょ?ならウチとドラケンも行くんだし一緒に決めようよ」
エマは武道の彼女の日向とも親しくなり、日向が武道と一緒にお祭りに行きたがっていたので、あの公園まで彼女を連れて来たらしいが、その後ちゃっかり自分もドラケンを誘ってOKを貰っていた。
その武蔵祭りは以前、が万次郎と一緒に行こうと約束をしていたものだ。しかし抗争の話が持ち上がった時に行けないだろうな、と諦めていたが、結果的に抗争はなくなったことでと万次郎もエマやドラケンと一緒に行く流れになったのだ。
「その話じゃねえし」
「えー?じゃあ何の話よ」
「エマには関係ねえだろ。早く出てけよ」
「やだ」
エマは万次郎に「べえー」と舌を出してドラケンの後ろに隠れている。その妹の愚行に万次郎の目が思い切り細くなったが、が「な、何の話?」と万次郎の袖を引っ張った。
途端に万次郎の顏がデレたのを見て、今度はドラケンとエマの目が細くなる。
「いや…会ってない時には何してたのかなーって…」
「え…?」
「何よ、大した話じゃないじゃん」
「うるせぇな、エマは!今はと話してんだよっ。邪魔すんなら追い出すぞ?」
「…む」
再び怖い顔で睨んで来る万次郎に、エマは口を尖らせたが、ドラケンに「邪魔しない方がいーぞー」と苦笑され、そこは素直に頷いた。
「えっと…特に何もしてないよ?塾に行ったり、図書館で勉強したり…それくらいで」
兄と妹の不穏な空気を気にしながらも、は笑顔で応えた。つい口にしてしまいそうになった名前は口止めのことを思い出したのでどうにか言わずに済んだ。
万次郎は「そっか…」と少しホっとしながらも、ふと思い出したのか「あっ」と声を上げる。
「そういやこの前は聞き忘れたんだけどさ…」
「この前…?」
「ほら、パーのことがあった日。オレ、迎えに行けなくて三ツ谷に頼んだじゃん」
「あ…うん。それが…?」
あの日はパーが逮捕されることになり、塾までを迎えに行けなくなった万次郎が急遽空いてる人間を探したらしい。パニくっていたのもあり、その作業に追われて直接に連絡するのを忘れていたのだ。結局その日、つかまったのは三ツ谷で、を迎えに行って欲しいと塾の住所を伝えた。しかし三ツ谷には言い忘れたことがあったのだ。
「オレ、あの日三ツ谷に迎えに行ってとは頼んだんだけど、バイクで行くなって言い忘れちゃってさ」
「え…そうなの?でも…何で?」
が不思議そうに首を傾げたのを見て、万次郎が明らかに不満そうな顔をした。
「何でって…そりゃ…を三ツ谷のバイクに乗せたくねえじゃん…」
「…?どうして?」
はキョトンとした顔で首を傾げたが、万次郎はさも当然だと言うように目を吊り上げた。
「だって密着すんだろ?、ひとりでバイク乗れねえんだし三ツ谷に抱えられて、んで落ちないように三ツ谷の腰に腕なんか回すことになんじゃん!」
「………え」
「あっ!その顔…やっぱ三ツ谷、バイクで迎えに行ったのかよ…」
まるであの場にいたかのように次々と三ツ谷からしてもらったことを挙げられ、の口元が僅かに引きつったのを万次郎が見逃すはずもなく。元々不機嫌そうだった目を更に細めて「アイツ、次会ったらシバくっ」と何とも理不尽なことを言いだした。
「え、な、何で?三ツ谷くんは佐野くんの代わりにわざわざ迎えに来てくれたのに…」
「だってはオレのなのに三ツ谷が触るなんてムカつくに決まってんじゃん。バイク置いてくことも出来るんだし」
「おいおい、マイキー…三ツ谷だって迎えに行けって言われたら普段通りバイクで行くに決まってんだろ。オマエだって迎えに来て貰ったりしてんだし」
困っているを見てさすがに可愛そうだと思ったのか、黙って聞いていたドラケンも苦笑交じりで口を挟む。
「でもあの日はオレじゃなくてを迎えに行くって分かってんだからバイクは置いて自転車で行くとか他に方法はあんだろっ」
万次郎はムキになりながら更に理不尽でおかしなことを言い始めた。そのせいでドラケンの脳内にふと自転車を必死にこいでいる三ツ谷が浮かび、軽く吹き出す。
「自転車って…だったら三ツ谷にバイクはやめろって言うべきだったなあ?それ言い忘れたマイキーが悪い」
「…ぬ…っ」
ドラケンにアッサリ言い切られ、しかもそれが正論すぎたので万次郎はぐうの音も出ない。
は自分のことでふたりがまたケンカにならないかと心配になったが、万次郎は突然へこんだように項垂れている。
「あ、あの…佐野くん?」
「…やっぱ乗せてもらったの?三ツ谷のインパルスに」
「……う…ぅん…」
にしたら答えたくない質問だが無視するわけにもいかず、そこは素直に頷いた。すると万次郎が僅かに顔を上げたが、何故か少し青ざめている。
「……三ツ谷に…つかまったりした?」
「…え…っと…そ…そう、かな」
落ちないように危ないから、と三ツ谷がの手を自分の腰に回した光景を思い出し、かすかに頬が熱を持つ。元々男に免疫など一切なかったのだから、相手が誰でも密着するのは恥ずかしい。万次郎はしばらく無言だった。もしかして怒らせてしまっただろうかとは不安になったが、こればかりはどうしようもない。そもそも三ツ谷に迎えに行くよう頼んだのは万次郎自身なのだ。
「あ、あの佐野くん。三ツ谷くんは悪くないし…」
と言いかけた時だった。万次郎がの腕をいきなり引き寄せ、強く抱きしめて来る。あまりに突然の抱擁には驚いて離れようとした。それを万次郎が許すはずもなく、ますます力を入れてを抱きしめた。
「さ…佐野くん…っ離して…ふたりもいるし、その…」
「やだ」
「え…っ」
間髪入れずに拒否され、が困っていると、万次郎は僅かに力を緩めての顔を見下ろした。
「つーか…ふたりなら出てったけど?」
「えっ?」
不意にニヤリと笑う万次郎の言葉に、は慌ててさっきまでふたりが座っていた場所へ目を向けた。だがそこにエマとドラケンの姿はない。いつの間に出て行ったんだと驚いて、もう一度万次郎を見上げる。
「ケンチン気を利かせて出てったっぽい。まあ、エマもケンチンとふたりで話したいだろうし母屋に行ったんだと思うけど」
「そ…そう、だったんだ…」
機嫌の悪い万次郎に気を取られていたせいか、全然気づかなかったは少しだけホっとした。前よりは万次郎のスキンシップにも慣れて来たとは言え、やはり人前でされるのは恥ずかしい。
「あの…まだ怒ってる…?」
恐る恐る尋ねながら万次郎を見上げる。抱きしめる力は多少緩んだものの、今も腕が背中や腰に回っていて身動きが取れないのだ。いくら他に人がいないからといって、これでは余計に恥ずかしさも上がってしまう。の頬が少しずつ色づいていくのを見て、万次郎はふと笑みを浮かべた。
「に怒ってるわけじゃねぇから」
「…み、三ツ谷くんは――」
「あー別に三ツ谷にも怒ってねえって。ただ…そこまで考えずに他のヤツに迎え頼んだ自分にイラっとはしてる」
「…佐野くん…」
万次郎は苦笑しながらも自分の額をの額にくっつけた。おかげでかけていた眼鏡が下へズレて、それだけで更にふたりの視線が近くなる。
「…ヤキモチ妬きでごめん」
「……う…ううん」
「つーか、自分がこんな嫉妬深いとか思ってなかったかも…」
これまで好きになった異性など皆無だった万次郎は、好きな相手が他の男と話したり、もしくは体に触れられたりするといったことがこれほど嫌な気分になるとは思ってもみなかった。その感情は想像以上に不快なもので、自分でもどうしていいのか分からなくなるほどにイラついてしまう。自分でも理不尽だと分かっていても、つい文句を言いたくなってしまうのだから嫌になる。別にの気持ちを疑うとかそういったことではなく、が自分以外の男に目を向けるとも思っていない。そんな女の子じゃないと信じている。そういうことではなく、分かっていても嫉妬してしまうのだから、嫉妬という感情は理屈じゃないんだな、と万次郎は経験して初めて分かった。
「ってことで…に責任とってもらおうかな…」
「…へ?」
何の?と思いながら視線を上げると、さっきまでの不機嫌な万次郎はいない代わりに、いたずらっ子のような視線と目が合う。万次郎はの眼鏡を外すと、それをそっとソファ横の棚へと置いた。
「さ…佐野くん…?」
眼鏡に意識が向いていたの頬へ万次郎が手を添える。
「キスしてい?」
「…えっ」
「そしたらこのイライラがおさまるかもしんない…」
万次郎の熱のこもった瞳に見つめられ、の心臓が一気に動き出す。でも嫌なわけではなく、むしろ会えなかった数日の寂しさを埋めて欲しくて、は応える代わりにゆっくり目を閉じた。頬に触れてた万次郎の手が撫でるように動いて、火照っている耳の輪郭をなぞり、首筋を指で触れながら優しく撫でられた。くすぐったくてが首を窄めた瞬間、項の辺りを勢いよく引き寄せられると、ふたりの唇が重なる。小さなリップ音がして僅かに離れた唇を再び塞がれては、また離れる。ゆっくり、何度も角度を変えながらキスを繰り返す万次郎は、唇だけじゃなく頬や耳にもキスを落としていく。万次郎に触れられた場所から熱が生まれ、いつものように自然と体が後退しそうになるのを腰に回された腕が許さないとでもいうように少し強引に抱き寄せてくる。なのに触れて来る唇が優しくて、その対照的なキスにの体がかすかに震えた。
「ん…く、くすぐったぃ…」
今度は首筋にも口付けられ、ゾクゾクっとしたものが項の辺りに走る。その時、至近距離で互いの目が合った。万次郎の色素の薄い虹彩はかすかに熱を孕んでいるように見える。どくんと大きく鼓動が鳴って、頬がカッと熱くなったのが分かった。
その時、万次郎がハッとしたように身体を離し「ヤバい、まただ」と呟く。
「え…?」
ドキっとしてが見上げると、万次郎は深い溜息を吐いて項垂れた。
「イライラはおさまったんだけど…」
「う…うん」
「ムラムラしてきた…」
「……っ?」
バカ正直につい本音を言えば、は耳まで茹でだこのように真っ赤になっている。そんなを見て万次郎もかすかに頬が赤くなった。
「そういう顔されると…余計に反応しちまうから、こっち見ないでくれると助かる」
「ご…ごめんなさい…」
は慌てて万次郎から離れるとすぐに背中を向ける。こういう空気になった時にどんな顔をしていいのかも分からず、ただ火照った頬を手で隠すことしか出来ない。その時、後ろから腕が伸びて来て、ふわりと抱きしめられた。
「さ…のくん…?」
「離れられると寂しいから…しばらくこうしてていい?」
耳のすぐ近くで万次郎の掠れた声が聞こえて、ドキドキしながらも頷く。男の生理現象は何となく分かってはいるものの、さっきからも変に身体が反応しているせいで恥ずかしくなった。大好きな万次郎に触れられて全身に甘い疼きが走る意味は、経験がなくても何となく分かる。
「…怖く、ない?」
「え…?」
「オレのこと」
「え、怖くないよ…」
万次郎が怖いどころか、もっと触れて欲しいと思っている自分の方が怖く感じた。自分が自分じゃなくなるようで、変わっていくようで、怖い。なのに溢れて来る想いがその恐怖さえ溶かしていくようだ。
「佐野くんのことが好きだから…怖くない」
まわされた万次郎の腕をぎゅっと掴みながら、今の気持ちを正直に言葉にすると、万次郎が肩越しに顔を埋めるのが分かった。
「…すっげー嬉しいんだけど、そんなこと言われたら暴走しそうんなるからダメ」
万次郎が顔を上げて苦笑気味に呟いたのと同時に、耳に軽く口付けられた。甘い刺激がそこからじわりとの身体を侵食していく。その時、万次郎の手が後ろからの顎を掴み、後ろを向かされたと同時に唇が重なる。触れるだけのキスにまたドキドキさせられて、このまま時間が止まってしまえばいいのに、と心の底から思った。
「聞こえる?」
「いや…何も聞こえなくなったな…」
万次郎の部屋のドアにへばりついているのは、母屋に戻ったと思われていたドラケンとエマだった。エマは単なる好奇心だったが、ドラケンは万次郎がまた発情してないかと心配して様子を見ていたのだ。
「まさか遂にマイキーがちゃんを押し倒したとか…?」
「いや…それはないだろ。この前は逃げ帰ったくらいだし」
「でもちゃんの方がOKしたらマイキーだって我慢できないんじゃない?」
「……それもそうだな。っつーかそっちは考えてなかったわ」
エマの言葉にドラケンも目から鱗状態になった。しかしあの免疫のないがいくら万次郎が好きだとはいえ、そう簡単に身体を許すとも思えない。でも…絶対ないとも言い切れない。
「うーん…もしそうならマイキーも我慢しなくて済むんだろうけどなー」
首を傾げつつドラケンが呟く。その後ろで何故かモジモジしだしたエマが「ウ、ウチはいつでもOKだし、ドラケンは全然我慢しなくていいよ…」と言いながら頬を染める。しかし離れの中のふたりが今どうなっているのかという方へ意識が向いていたドラケンには聞こえていなかったようで「あ、エマ。喉乾いたからコーラくれよ」と笑顔で振り向いた。
「………ッッ」
「あ?エマ、どーしたんだよ。顔赤ぇ――」
「ドラケンのバカァ!!!」
「ぶっ…」
何気に本気で言った言葉を全く聞いていなかったらしいドラケンに、エマの乙女心が激しく傷ついたのか、手に持っていたお盆をドラケンに投げつけ、母屋に走って帰ってしまった。お盆は見事に顔面に当たり、その場にしゃがみこんだドラケンは痛みでしばらく動けなかったそうな。
前回のオマケ的なその後のお話です笑。
三ツ谷にお迎えを頼んだはいいけどバイクのことを忘れていたマイキーが思い出して嫉妬をするという話まで書きたかったんですが、前回は長くなり過ぎたのでオマケに持ってきました笑✨
ある意味、女性陣が最強ですね笑