22.色づく心



とりあえずドラケンとのケンカもおさまり、その後はとも甘い時間を過ごしてご満悦だった万次郎は、再びエマが部屋に来たことで不機嫌そうにドアを開けた。

「何の用だよ」
「ちょっとちゃんに確認したいことがあって…」
「…何を?」
「明後日のお祭り、浴衣着てくのかなぁって…」
「…………浴衣?!」

その言葉に万次郎が反応し、目を輝かせた。






「あ、浴衣…そうだね。着て行こうかな」

エマの提案にも笑顔になった。最近は浴衣を着る機会と言えば、お祭りとか花火大会といった催しくらいしかない。これまで行くとしても女同士ということもあり、わざわざ手間のかかる浴衣を着ることがなかったこともあり、久しぶりに着たいと思った。着付けは祖母から習ったので自分で着れる。そしてもうひとり浴衣を着るというので嬉しそうにしている人物がいた。

の浴衣、ちょー楽しみ♡」
「何よ、マイキー。さっきまで不機嫌そうだったのにニヤニヤしちゃって。ウチに感謝してよね!」

が浴衣を着るキッカケを作ったのは自分だと言わんばかりに、エマがどや顔をする。いつもならここで万次郎も言い返すところだが、浴衣の話を持って来たのはエマなので、そこだけは褒めてやりたいと満面の笑顔で「明日、焼きそば買ってやるよ」と普段ならありえないことを言いだした。

「やったー!ついでにタコ焼きも」
「それはケンチンに買ってもらえ」

二つ目のご褒美はつかさず却下する万次郎に、エマの口が思い切り尖った。

「えー。あ、でも今から着付けの予約取れるかなあ…。髪は自分で出来るけど浴衣は着れないし予約取れなかったら困るー」

エマはそう言いながらケータイを開いている。だがそこでが「私が着せてあげるよ」と言い出した。

「えっ!ちゃん、浴衣自分で着れるの?!」
「うん。お祖母ちゃんに教わったから大丈夫。あ、でも私、髪のセットは出来ないから、そこはエマちゃんにお願いしてもいい?」
「もっちろーん!さすがちゃん!あ~楽しみだなぁ、お祭り♡」

エマはすでに心が明後日へと飛んでいるようで、ウキウキしている。しかし目の前で「さすが俺の」と彼女の頬にキスをしている兄に、一瞬で目を細めた。先ほど思い切ってドラケンを誘ったというに聞いてもらえなかった憤りが未だに燻っているようだ。兄だけラブラブでズルいという目つきでふたりを眺めている。その呪いのような視線を感じた万次郎が「何だよ…」とエマを睨む。

「つーか、ケンチンはどーしたよ」
「…帰った。何か電話が来て、雑用頼まれたんだって。店の人に」
「あ~なるほどね」

不満げに口を尖らせているエマを見て、万次郎は苦笑した。風俗店に住み込んでいるドラケンは、時々店の雑用をやらされているようで、そういう連絡が入ると律儀に帰っていく。前に万次郎が「めんどくさくねえの?」と聞いた時、「ガキの頃から世話になってるからな」とドラケンらしいことを言っていた。

「あ、じゃあ安心したところでウチ、お風呂入って来ようかな」
「入って来い入って来い」

腰を浮かせたエマを見た万次郎がすぐに手でシッシとやっている。まるで邪魔者は消えろと言わんばかりの兄に、エマは頬を膨らませた。

「何よ、マイキー。ウチがいなくなったらちゃん襲う気じゃないでしょーね」
「うるせえな…んなことしねえっつーの!も明日は塾だし、もう送らねえと」

万次郎は時間を確認するとバイクのキーを手にした。もエマの発言に頬を赤くしながら「じゃあ、エマちゃん、明後日ね」と言って立ち上がる。すでに外は暗くなり、夕飯時になっていた。

「えーウチでご飯一緒に食べてけばいいのにー」
「あ、でも今夜はお父さんから連絡来るの。わざと家の電話にかけてくるから家にいないといけなくて」
「あ、そうなんだ。ちゃんのパパって厳しいんだっけ」
「うん、まあ。夏休み中はだらけた生活してないか心配みたい」
「まあ離れて暮らしてるし心配するよねー。じゃあ仕方ないかー。マイキーちゃんと送ってよ?」
「言われなくても分かってんだよ」

万次郎は出かける準備をしながら徐に口を突き出す。本当はもう少し一緒にいたかったが、父親から電話が来ると言われれば送っていくしかない。

「じゃあ、明後日ねー。マイキーは安全運転しなよ?」
「…いちいちうるさい」

3人で離れを出ると、エマはそんなことを言いながら母屋へと戻って行く。万次郎はいつものようにをバイクへ乗せて彼女の頭にヘルメットをかぶせようとした。だがその前に素早く唇を重ねる。その不意打ちにの頬が赤くなった。

んちのマンション前じゃ出来ねえし」
「…う、うん」

万が一近所の人に見られでもしたら変な噂が立つかもしれない、と万次郎が心配しているのだ。近所でもは優等生で通っているのは知っているので、万次郎なりの気遣いなのだが、はそこまで気にしなくてもいいのに、とすら思ってしまう。でも反面ニューヨークにいる父にバレたら、という心配は常にあった。

「じゃあシッカリ掴まってて」

万次郎はにそう声をかけると、勢いよくバイクを発進させた。いつものように万次郎の腰へ腕を回し、背中にしがみつく。この瞬間がは好きだった。景色が流れていく様も、風が髪をさらっていく気持ち良さも、今ではすっかり馴染んでいる。そして万次郎の体温を感じながら見るキラキラした街灯りは、にとって幸せな時間だ。ずっとこうしていたい。そう思いながらも、いつか父にバレて別れることになるんじゃないかという不安はずっと心の奥にある。そうなった時のことを想像するだけで胸が軋むように痛むのだ。まだ大丈夫、と思いながら、いつか来るその時までに自分の答えを出さないといけない。万次郎の腰に回した手に、少しだけ力が入った。





「…あ、あの…お茶でも…飲んでく?」

マンションから少し離れた空き地にバイクを止め、万次郎がを下ろした時、不意にそう言われてドキっとした。の誘いに一瞬だけ心が揺らいだ万次郎だったが、そこはグっと我慢をしながら首を振った。

「もう少し一緒にいたいけど…やめとく。今、家に上がり込んだら俺の理性が危うい」
「…えっ」

その言葉にもドキっとした。ふと顔を上げれば、万次郎が照れ臭そうに視線を反らしている。

「いや…こうして会うのも久しぶりだし…さっきも危うかったからさ」
「……そ、そっか…」

恥ずかしさと寂しさが入り混じって、少しだけ複雑な気持ちにはなったものの、万次郎が自分の為を思って言ってくれてるのが嬉しくては頷いた。大事にしたいと言ってくれた万次郎の気持ちは、にとって色々な不安を消し去ってくれる。

「あ、じゃあ…マンションの前まで送る」
「うん」

最近はバイクで送ってもらうことが増え、騒音などの苦情が出ないようマンションから少し離れた場所に止めるので、そこから歩くことになる。この時間がは好きだった。当たり前のように繋がれる手や、絡められた指先にドキドキしながら歩く道のりは、何とも言えない幸福感で満たされるのだ。好きな人と歩いているだけで、こんなにも心が温かくなるんだということを万次郎から教わった。指先から伝わる熱を感じながら、この手を絶対に離したくないと、少しだけ力が入る。すると万次郎もぎゅっと握り返してきた。思わず顔を上げると、優しい眼差しがを見下ろしていて。離したくない。万次郎もそう言ってくれているようで、また一つ、好きで心が赤く染まった。