
23.仏滅の雨が降る⑴
2005年8月3日、仏滅――。
武蔵祭り当日の朝、はいつも通りの時間に起きて用意をし、塾へと向かった。いつもなら気にならない勉強が面倒に感じるのは今夜の約束のせいだ。今夜は万次郎、エマ、ドラケンと一緒にお祭りへ行く約束をしているので楽しみで仕方がない。気分的には塾を早く終わらせて、すぐにでも家に帰りたいくらいだった。そういう時に限って時間は長く感じるもので、は普段なら勉強中に滅多に見ない時計を何度も確認してしまった。それでも自然に時刻は過ぎていく。講習が終わった時にはもつい嬉しくて「終わったぁ…」と呟いてしまった。
「何だ、。約束でもあるのか?」
塾の講師がからかうように言って来る。いつもは黙々と講習を受けて、終わった後も静かに片付けて帰っていくが、珍しくウキウキしている様子を見て何か察したようだ。はハッとしたように「い、いえ」と笑って誤魔化したが、講師は「ああ、もしかしてお祭りに行くのかい?」と訊いて来た。
「え、えっと…まあ」
「そうか。まあもたまには息抜きしたいよな。楽しんで来いよ」
「はい。ありがとう御座います」
教科書やノートを鞄に詰め込むと、は講師にお礼を言って、すぐにエントランスへと向かった。するとすぐに聞こえて来るバイクの排気音に、の顏が自然と綻ぶ。窓から確認すると、塾から少し離れた場所に、万次郎がバイクを止めている姿が見えた。
「…佐野くんっ」
建物を出て万次郎の方へ走って行くと、万次郎も嬉しそうな笑顔で手を上げた。
「終わった?」
「うん」
「今日もお疲れ様ー♡」
万次郎は笑顔での頭を撫でると、いつものようにヘルメットをかぶせてあげた。
「エマが待ちきれない様子で待ってる」
「じゃあ急がないとね」
「ケンチンもまだ寝てるみてぇだから、そこまで急がなくてもいいって」
万次郎は笑いながらを抱えてバイクの後ろに乗せると、自分もすぐにバイクへまたがった。軽くエンジンを吹かせばブォンといい音が鳴り響く。
「じゃあシッカリ掴まってて」
「うん」
も慣れたもので、言われた通り万次郎のお腹に腕を回す。いつもは照れ臭い密着もバイクに乗る時だけは"危ないから"という理由付けの元、堂々としがみつけるのがには嬉しかった。万次郎はひとりの時のように飛ばすでもなく、を乗せている時は安全運転でバイクを走らせる。最近ではそれが少し物足りなく感じるほど、は万次郎のバイクに乗せてもらうのが大好きになっていた。ふたりはまずのマンションに向かい、が私服に着替えた後、必要な浴衣セットを手に、今度は万次郎の家に移動する。そこでエマに浴衣を着つけしてあげる約束だった。
「ちゃん、待ってたー!」
早速、万次郎の家についた途端、母屋からエマが飛び出して来た。すでに自分の髪は浴衣用にセットしていて、可愛らしくふんわりとしたアップスタイルにしている。
「エマちゃん、アップも可愛い。ほんと上手だね」
万次郎にバイクから下ろしてもらうと、はエマの髪型を見て瞳を輝かせた。
「ちゃんのも先にやってあげる。髪あげておいた方が浴衣着るのも楽でしょ?」
「うん、そうだね。じゃあお願いします」
とエマが女子トークで盛り上がっているのを、万次郎は面白くなさげに見ていた。いや、が楽しそうにしている姿を見るのは万次郎も嬉しい。でもエマが間にいると、ふたりはすぐに女子トークで盛り上がってしまう傾向になりつつある。にしてみれば今まで知らなかったお洒落な話を聞くのが楽しいだけなのだが、万次郎はエマに大事な彼女を盗られたような気分になるのだ。ふたりの話題はもっぱらメイク関連の話で、話に入ろうにも万次郎にはサッパリその辺のことは分からない。
「じゃあマイキー。ウチの部屋で着付けしてもらうから、ちょっとちゃん借りるね」
「…おー」
エマがウキウキしたようにの腕を引っ張って母屋へと歩いて行くのをジトっとした目で見送る万次郎に、が「すぐ戻るね。佐野くん」と声をかける。途端に笑顔で手を振る万次郎に、エマもジトっとした視線を送り返した。我が兄ながら変わり身の早い男だ、と内心思う。ふたりが母屋へ消えると、万次郎は自分の部屋へ入った。エマに盗られるのは気に入らないものの、の浴衣姿を見られるのは物凄く楽しみではある。きっとめちゃくちゃ可愛いに違いない。脳内で彼女の浴衣姿を想像すると、自然と万次郎の口元が緩む。
「あーお祭りサイコー♡」
ジワジワと上がって来たテンションのまま万次郎がベッドにダイヴをした、ちょうどその時。ポケットの中のケータイが鳴りだして、万次郎はふと顔を上げた。
「はい、出来た」
最後に帯のたれを真ん中で垂らすと、はゆっくりと立ち上がった。着物よりもかなり簡単な浴衣は数分もあれば着られるのだ。
「うわー凄い!ありがとう、ちゃん!こんな早く着られるものなんだねー!しかも帯の結び方、美容院の定番と違って可愛い!」
「慣れたら簡単なの」
「そっかー。去年までこの数分の為に美容室で高い着付け料を払ってたのかと思うともったいなくなっちゃうよー。エマも自分で覚えようかなあ」
「いつでも教えるよ。帯の結び方もまだまだ沢山あるし」
「ほんとー?やったねー」
エマは鏡で自分の姿を映しながら無邪気にはしゃいでいる。その姿を見ながらも自分の浴衣を出し慣れた手つきで着ていく。髪はエマに先ほどアップにしてもらった。のクセのない髪をアップにするのは大変なはずなのに、エマは器用にも上手くまとめてくれて襟足はわざと垂らしてあるのが大人っぽく見える。
「じゃあエマはヘアアレンジ教えてあげるよ」
「ほんと?私にも出来るかな」
「ちゃん手先が器用だからすぐ覚えられると思うよ」
そう言いながらエマはアクセサリーボックスの中から赤い玉のついた簪を取り出すと、の髪に挿してあげた。エマは可愛らしい青地に黄色の花が大きく描かれている浴衣だが、は真っ赤な生地に黒の花柄が施されている少し大人っぽい浴衣なので、エマの簪が良く似合っていた。何でも亡くなった母親の浴衣らしい。
「うわーありがとう、エマちゃん」
「やっぱその浴衣に合うと思ったんだー。それあげる」
「えっ?でも…」
「可愛くて買ったんだけど、エマに似合わないんだー。だからずっとしまったままだったの。だから貰ってくれると助かる」
思いがけないエマからのプレゼントに、は嬉しくて笑顔になった。
「ありがとう、エマちゃん」
「いいよ。ウチもこの帯飾り貰っちゃったし」
そう言って帯紐についている小さな花の形のアクセサリーを触る。それはの手づくりで今日の為にエマに作ってきたものだ。
「アクセサリーとか洋服限定みたいに思ってたけど和服でもこんな可愛いアクセサリーがあるんだね―!凄く気に入っちゃった」
「私もお母さんに教えて貰った時はワクワクしちゃって、着なくなった着物の生地を使って色んな小物とか作るようになったの」
「へえーっ。最高のリサイクルだ。じゃあその巾着も?」
「あ、うん。こういうのいっぱいあるから今度エマちゃんにもあげる」
「ほんと?やったー!」
エマが大喜びで両手を上げて喜んでいるのを見て、も笑顔になった。こんな風に好きな人の妹と仲良く出来るのが凄く幸せだと思う。
「でも今夜のダブルデート楽しみだねー」
「…ダブル…デート?」
エマの何気ない一言で、はドキっとした。でも確かに彼氏である万次郎と、その友人と妹の四人でお祭りに出かけるのだから世間一般ではそれをダブルデートと呼ぶだろう。もその単語だけは当然知っていたが、自分には縁のない世界の言葉という認識しかなかった。けれど父に内緒でコッソリ幼馴染に借りた少女漫画の中にそんなシーンがあり、漠然と憧れたことがあったのを思い出す。そのダブルデートを今夜、自分も体験するのかと思うとの中で感動にも近い喜びが湧いて来た。ほんの少し大人になったような気分でもある。
「ちゃん、どうしたの?目が潤んでる」
「えっ?あ、あの…何でもない…」
まさか憧れのダブルデートに感動してるとは言えず、笑って誤魔化す。自分より遥かに異性のことではませているエマにしたら、たかがダブルデートでと笑われてしまいそうだ。――その時、エマの部屋のドアがノックされ、廊下から「」と万次郎の声が聞こえた。
「あーさてはマイキー、ちゃんの浴衣姿が待ちきれずに自分から見に来たな?」
エマがニヤニヤしながらドアを開けると、万次郎が「何だ、エマかよ」と目を細める。その兄の無作法な態度にエマはカチンときた。一言くらい浴衣を誉めてもいいじゃないかと思いながらむっと口を尖らせる。
「ここはウチの部屋なんだからウチがいて当たり前だと思うけどっ?」
「はいはい。――おぉ?!、めちゃくちゃ可愛いじゃん!つーか綺麗!最っ高に似合ってる!」
入口を塞いでいる邪魔な妹を手で押しのけ、ずかずかと部屋に入って行く万次郎に、エマが一言文句を言ってやろうと思った瞬間、自分の彼女をべた褒めしだしたことで更にエマの目が吊り上がる。しかし万次郎に褒められたが真っ赤になり、その顔を見て更にデレ始めた兄を見て、エマの怒りも一瞬で萎んでいく。ラブラブカップルの前では可愛い妹さえ、ただのエキストラになり下がるのは世の常だ。
「あ、ありがとう…」
「やべー。テンション上がる♡」
その言葉通り、さっきよりもだいぶテンションの高い万次郎を見て、は照れ臭いながらも軽く吹き出した。お洒落したことを素直に喜んでくれるのが嬉しい。ただ今は眼鏡を外しているが、実際お祭りに行く時も外していいんだろうかと疑問に思う。すると万次郎がふと思い出したように「あーそうだ。忘れてた」と困ったように頭を掻きだした。
「今、ペーから相談あるって呼び出し電話が来てちょっとだけ行って来る。だからはエマと先に神社行っててくれる?」
「え…そうなんだ。うん、分かったよ」
「わりぃな。何かペーもパーちんのことで落ち込んでたし心配なんだ」
「うん、分かってる。私のことなら気にしないで。エマちゃん達もいるし」
万次郎と一緒に行けないのは寂しかったが、後で合流するというので、は快く了承した。しかしそれにはエマの方が黙っていられなかった。
「もぉー!彼女とのデートよりペーやん優先するとか信じらんなーいっ」
「うるせぇなぁ…。相談あるって言われちゃ無視できねぇだろ?アイツ、何か思い詰めてたっぽいし」
「でもちゃん楽しみにしてたのにーっ」
「誰も行かねえっつってねぇだろっ!ペーの話聞いたらすぐ行くし」
「もぉ~。一緒に行くのも大事なのにぃ…」
兄妹ゲンカが始まって、はオロオロしながら「私は平気だから」と間に入る。もちろん一緒に行くのを楽しみにはしていたが、仲間を大事にしている万次郎も好きなのだ。もしここでペーのことを無視できるような男ならも好きになっていない。
「そぉ?ちゃんがいいならウチはいいけどさぁ…」
「大丈夫だよ。でもありがとう、エマちゃん」
エマはきっとドラケンと自分のことがダブって見えたのかもしれないとは思った。前にエマも「ドラケンはバイクや仲間のことばっかりでウチのこと見てくれない」とボヤいてたことがある。きっと彼女よりも仲間を優先する万次郎に、ドラケンを重ねて見ていたのかもしれない。
「、ごめんな。なるべく早く行くから」
「うん。待ってる」
「……(可愛い♡)」
笑顔で頷いてくれるが可愛くて、万次郎は思わず抱きしめようと腕を伸ばした。しかし今は浴衣を着ている為、崩してはいけないとその腕を引っ込める。浴衣は最高に可愛いけれど、こういう時は困るかも、と万次郎は少し寂しく思った。
「じゃあ、絶対ケンチンとエマから離れんなよ?」
「うん。佐野くんも気をつけて行って来てね」
「あ…っ、眼鏡は忘れないよーに!浴衣な上に眼鏡外してたら変な男にナンパされるから」
エマの部屋を出て行きかけた万次郎が、慌てたように振り向く。は一瞬呆気に取られたものの、すぐに巾着の中から眼鏡を出して見せた。
「一応持って来たの」
「さすが俺のだわ」
「ちょーっとマイキー!別にお祭りの時くらい外して良くない?!」
「ダメに決まってんだろっ!浴衣だぞ?!」
相変わらずの万次郎にエマは盛大に溜息をついたが、はそれを受け入れているようでしっかり眼鏡をかけている。せっかく素敵な浴衣なのにとエマも思わず苦笑いが零れた。
「そもそもドラケンが一緒にいるんだから声かけてくるバカなんかいないってのに」
万次郎が出て行った後、エマがボソっと呟いたのを聞いて、は楽しそうに笑っていた。
万次郎が出かけた後、とエマは神社で待ち合せているドラケンと合流した。一緒に来るはずだった万次郎が来られない事情を説明すると、ドラケンも少しだけ心配そうにしていたが「マイキーが行ったなら大丈夫だろ」と言って神社の方へ歩いて行く。夏休み時期のお祭りということで人出も多く、出店のある通りは大勢の若者で溢れかえっている。
「うわー凄い人だねー。これじゃはぐれちゃいそう。あ、でもドラケン目印になるから大丈夫か。見失ったらドラケンに集合ね」
「人を待ち合わせ場所みたいに言うんじゃねえ」
エマの言葉にドラケンの目が半分まで細くなり、ついでに顎を突き出している。それを見てエマが楽しそうに笑っているのを、は後ろから微笑ましそうに眺めていた。本当なら隣にいるはずの万次郎がいないのは寂しかったが、必ず来てくれると分かっているので、は出店などを見ながら待つことにした。
「あ、金魚でも掬っちゃう?」
「バーカ。オマエ、もし掬えたとしても面倒なんか見ねえだろ」
「えーじゃあ、ヨーヨーとかさ」
「ガキじゃあるめえし」
「もぉーせっかくお祭り来たんだからお祭りらしいことしよーよー」
ことごとくドラケンに却下され、エマが不満げに文句を言っているのを眺めていると、後ろから「あれ?!?」という聞き覚えのある声が聞こえて、は振り向いた。
「あ…花垣くんと橘さん?」
後ろから歩いて来たのは、同級生の武道と彼女の橘日向だった。日向も可愛らしい浴衣を着ている。
「あ、あれ?ドラケンくんとエマちゃんも!、一緒に来たのか?」
「うん。花垣くんはデート?」
「ま、まあ…」
武道はデレデレとしながら頭を掻いている。は武道を見て、今日は大人の花垣くんだ、とふと思った。自分が良く知っている武道と、最近ちょっとシッカリしてきた時の武道は空気が違う気がするのだ。
「ってか、マイキーくんは?一緒なんだろ?もちろん」
「え、あ…佐野くんは少し遅れて来るの。林くんに呼び出されて」
「林って…あーあのぺーやんって怖い人か…」
「怖い?」
「あ、いや…あの人、すぐ怒鳴って来るし」
そう言われて確かにそういうとこもあったなあとはペーやんと初めて会った時のことを思い出す。武道はこの前の集会で初めて会ったようだが、キヨマサの件でパーとペーに絡まれていたのを、もこっそり見ていた。その時、前を歩くドラケンも武道の存在に気づいたようで「おータケミっち、オマエらも来てたんか」と笑顔で歩いて来た。
「どうもっス」
「何、デート?」
ニヤニヤしながら訊いて来るドラケンに、武道も頭を掻きつつ「まあ…」と顔をニヤケさせる。
「じゃあ一緒に回ろうぜ」
「えっ?つーか何の"じゃあ"なんスか!」
ドラケンに肩を組まれた武道は早速顔を引きつらせている。せっかくのデートを邪魔されて泣きそうな顔で日向を振り返っていたが、不満なのはエマも同じだった。
「もぉー!これじゃいつもと変わんないじゃない!ヒナちゃんもごめんねー?デート邪魔しちゃってー」
「ううん。大勢の方が楽しいから」
「あ、じゃあ女同士で何か食べよー。ウチ、お腹空いちゃったー」
言われてみればもお腹が空いて来た。色々な出店が並んでるので、さっきからいい匂いが漂って来る。
「ねえ、ちゃん。焼きそば食べない?」
「うん、そうだね」
そんなことを話し合っていると、さすがに悪いと思ったのか、ドラケンが「エマ、。早く来いよ」と立ち止まって呼んでいる。その隙に武道が日向の方まで逃げて来た。
「よーし、じゃあドラケンに焼きそば奢ってもらおー」
エマは張り切ってドラケンの方へ歩いて行く。もその後に続いたが、ふと思い出して武道の方へ振り向くと「花垣くん」と声をかけた。すっかり別行動が出来ると思っていた武道が、ドキっとしたように足を止める。
「な、何?」
また何か説教でもされるんだろうか、と武道はビクビクしながらの方へ歩いて来た。出来れば日向の前で同級生に叱られたくはない。しかしは叱ることもなく、ただ「聞きたいことがあって」とだけ言った。
「聞きたいこと…?俺に?」
「うん。ほら、この前花垣くんの家に行った時なんだけど…佐野くんと龍宮寺くんがケンカをしてた時に言ってたでしょ?仲間割れしたらドラケンくんが危ないって…。あれ、どういう意味なのかなと思って」
「…えっあ…いや…」
まさかからそんなことを聞かれると思っていなかった武道は、一瞬ギクリとしたが、そこは笑って誤魔化した。にしたら仲間同士のケンカで何故ドラケンが危ないのか、その意味が分からなくて気になっていたのだ。でも結局万次郎とドラケンのケンカは収まり、無事に仲直りをしたことで忘れていたのだが、武道の顔を見た瞬間、そのことを思い出した。
「と、特に深い意味は…あの時は俺もパニくってたし…さ…」
ジっとが見つめると、武道は顔を引きつらせながら応えたが、何となく嘘をついているような気がしてしまう。まさかあんな一言を気にかけてるとは思っていなかったとでも言いたげだ。でもこんなに反応するということは、嘘をついてでも隠したいことがあるということだ。はそう感じたが、それ以上は聞かないでおいた。どうせ聞いても正直に答えるとも思えなかった。その時ちょうどのケータイが鳴り、が相手を確認したのを見て武道は明らかにホっとしたような顔をした。
「じゃあ…龍宮寺くんに電話してから行くって伝えておいてくれる?」
「あ…ああ。分かった」
がそう言うと、武道は素直に頷き、日向と一緒にドラケンとエマの方へ歩いて行く。それを見送りながらは電話に出た。
「もしもし、佐野くん?」
『、もう神社ついた?』
「うん。龍宮寺くんと合流したよ。あと今、花垣くんと橘さんにも会って一緒に行動してる」
『え、タケミっちも来てんの?マジかー。俺も早くそっち行きてぇわ』
「林くんは?大丈夫そう?」
万次郎と話しながら、は少し距離を取りつつもドラケン達の後ろから歩いて行く。周りは家族連れやカップルが多く目につき、皆が楽しそうに出店を覗いている。
『いや、それがさー。まだペーのヤツ来てねえんだよ…』
「え…来てないって…」
『時間通りに来たけど、全然来ねぇし電話しても出ねえから待ってんだけどさー』
万次郎は溜息交じりで言いながら『早くと一緒に出店回りてぇのに…』とボヤいている。も同じ気持ちだったが、ペーやんが未だに来ないと言うのが気になった。東卍のメンバーは普段から万次郎を慕っていて、言うことも絶対だと思っている節がある。特にペーは幹部とは違い、参番隊の副隊長という立場だ。そのペーやんが自分で呼びしておいて万次郎を待たせたりするんだろうかと思った。何か突発的な事故に巻き込まれたりしてるんじゃないかと、少し心配になる。その時、ポツリと冷たい雫がの頬を濡らした。
「あ…雨…?」
『え、マジ?』
「神社ついた辺りから雲が多くなって来てて心配だったんだけど…やっぱり降って来ちゃった…」
まだ本降りではないが、夜空を覆う雨雲を見れば降りだすのも時間の問題だろうと思った。そして気づいた。前を歩いていたはずのドラケン達の姿がない。
「あれ…どこ行ったんだろ」
『どうした?』
「えっと…龍宮寺くん達を見失っちゃって…」
『は?マジ?一緒じゃないのかよ?』
「一緒だったんだけど…」
辺りを見渡してもそれらしき姿は見当たらない。先ほどエマが言ってたようにドラケンほど身長があれば人混みでも目立つはずなのだが、どこを見てもドラケンらしき姿は見えない。
「もしかしたら雨降ってきたし雨宿りしに行ったのかも…」
『じゃあは今ひとり?』
「う、うん…」
『ダメだって!そんな可愛い浴衣着てひとりでいたらナンパされるだろ?』
「そ、それは大丈夫だと思うけど…」
心配そうな万次郎にも思わず苦笑する。お祭りに来ているのは家族連れやカップルが多く、ナンパしてきそうな男などは特に見当たらない。そう説明しても万次郎は気が気じゃない様子だった。
『マジ、ペーの野郎何してんだ…来たら一発ぶん殴るっ』
「ダ、ダメだよ、殴っちゃ…。それより林くん、何か事故にでも――」
と言いかけた時、境内の奥の方に特攻服を着た集団が歩いているのが見えてドキっとした。は雨を避ける為、出店の裏側に回って神社の裏手にある林の中へ避難したのだが、そこは祭り客が殆ど通らない場所だった。そんな寂しい場所に特攻服を着た男が数人、固まって更に奥へと歩いて行くのはただ事じゃない。
「あ、あの…佐野くん」
『ん?』
「今ね…何か特攻服を着た人達が歩いてたんだけど…東卍の人だった気がする」
『…え?マジ?』
「多分…黒い特攻服を着てたし…あ、でも中には白い特攻服の人もいた気がするんだけど…東卍って白い特攻服もあるの?」
『……いや』
「そう…じゃあ別のチームの人ってことかな…ケンカとか…ならないよね?」
が不安そうに尋ねたが、万次郎からの返事はない。は「佐野くん?」と声をかけたが、万次郎は黙ったままだ。しかし不意に『今からそっち向かうわ』と言い出し、は驚いた。
「え…でも林くんは…」
『いや…何かおかしい。そもそもペーが俺を待たせたことなんて今まで一度もねぇし…』
万次郎は何かを感じたのか、とにかく今からそっちへ向かうからはケンチンと合流してと言って電話が切れた。そう言われるとも不安になってくる。ドラケンと合流したいのは山々だが、どこにいるかが分からない。
「どうしよう…雨も強くなってきちゃった…」
大木の陰で雨宿りをしていたが、次第に雨脚が強くなって来たのを見て、溜息をつく。――何か、嫌な予感がする。万次郎との待ち合わせに姿を見せなかったペーやん。そして特攻服を着た男達。は先ほど男達が歩いて行った方へ視線を向けた。そこの道が駐車場に繋がっているのはこの前エマときた時に通ったので知っている。
「あ…そうだ…エマちゃんに電話すればいいんだ…」
ふと手に持っているケータイを見てすぐにエマのケータイへ電話をかける。しかし呼び出し音は鳴るものの、一向に出る気配はない。だいぶ強まった雨音で着信に気が付かないのかもしれないと思ったは、ここで万次郎が到着するのを待つか、それともドラケン達を探しに行くか迷っていた。その時、誰かの叫ぶ声が聞こえて、ふと視線を向けた。
「あれは…花垣くん…?」
がいる位置から少し離れた小道を、先ほど別れた武道がドラケンの名前を叫びながら走っている。武道はどこか焦っているように見えて、は「花垣くん!」と武道を呼んだ。しかしそれこそ雨音で声が届かなかったのか、武道はには気づかず、更に奥へと走って行く。そこでは日向がいないことに気づいた。
「橘さん…どうしたんだろ…。それに今、龍宮寺くんを呼んでたみたいだけど…花垣くんもはぐれたのかな…」
それにしては武道の様子がおかしかった。妙な胸騒ぎを覚えたは、濡れるのも構わず走り出した。下駄なのでぬかるんだ場所はやたらと走りにくい。何度か足を取られながらもは武道が向かった方向へ走った。
「どこ行ったんだろ…」
雨で視界が悪い中、月明かりもない暗い雑木林で武道を探すのは難しいと感じた。一瞬万次郎の顏が浮かび、やはり彼が来るのを待とうかと考える。でも嫌な胸騒ぎは一向に消えない。
(この前の謎の言葉…そして龍宮寺くんを必死に探してた花垣くんは何かを知ってるの?龍宮寺くんが危ないって…どういう――)
と、そこで先ほどの特攻服を着た男達が脳裏によぎる。まさか、そんなはずはない。あれは東卍のメンバーだったはずだ。しかしそこで仲間割れ、ドラケンくんが危ない、という武道の言葉がリンクしてしまった。
「嘘、でしょ…」
理由は分からない。でも武道のあの言葉通りに考えるなら、今夜ドラケンは仲間に襲われると、そう示してるような気がした。
「ど、どどどうしよう…っ」
急にパニックになったはどうしていいか分からない。暴走族の仲間同士の揉め事もあるにはあるだろうが、今回はそんなに軽いケンカじゃない気がする。副総長にケンカを売るのはよほどのことだとでも分かる。
「さ…佐野くんに電話…」
どうしたらいいのか分からず、万次郎に電話をかけようとしたが、ふと指が止まる。多分、万次郎はバイクで出かけてるはずだ。なら今もバイクでここへ向かってるに違いない。電話にも気づくはずがないと思った。とりあえず再び武道を探しながら歩き出したの視界に、赤い鳥居が飛び込んで来た。そしてその中へ走っていく武道の姿に気づく。
「あ…花垣くん…!」
すぐに呼んだが、やはり声が届かず武道は闇に消えるように見えなくなってしまった。もすぐあとを追うように鳥居の方向へと向かう。すると前方、奥の方に数人の人影を見つけた。いや、その手前の鳥居の陰に武道もいて、こっそり奥の様子を伺っているようだ。
(どうしよう…声をかけたら驚くかな)
そう思いながらも、はゆっくりと武道の方へ歩いて行った。