24.仏滅の雨が降る⑵



雨の中、前方に見える武道に近づこうとしたその時だった。のケータイが鳴りだし、ハッとしたように足を止める。は目の前の大きな木を雨よけにしながらこっそり武道の方を覗いてみた。てっきり気づかれたかと思ったが雨音のせいでケータイ音には気づいていないようだ。別にバレてもいいのだが、奥に数人見えた男らしき人影が気になった。その男達が特攻服を着ていたように見えたからだ。とりあえずケータイの表示を確認すると、それはエマからだった。何となくホっとして、すぐに電話に出る。

「もしもし、エマちゃん?今どこ――」
ちゃん!大変なの…!』
「…え?」

の言葉を遮るようにエマが叫んだのを聞いて心臓が嫌な音を立てた。

『い、今、ペーやんがドラケンの前に現れて…いきなりバットで殴って来たの!』
「…えっ?!林くんが…?何で…だって佐野くんと待ち合わせてるはずじゃ…」
『ウチも驚いたんだけど…何かペーのヤツ、パーちんのことでドラケンに怒ってるみたいで…』

エマは酷く動揺しているようで、とにかく落ち着かせようと「エマちゃん、そこはどこ?」ともう一度訪ねた。エマの声の後ろからは何やら怒鳴りあう声と殴り合ってるような音が聞こえて来る。もしかしたらドラケンとペーやんがケンカをしているのかもしれないとも少し焦っていた。

『え、えっと…ここ神社の裏の方の駐車場!雨、降って来たから近くのコンビニで傘買ってきて、戻って来たらペーやんに会って…何かね、愛美愛主のヤツらまで出て来て今ドラケンとやりあってるの…!』
「…え…めびうすって…林田くんの友達に酷いことしたチームよね?」

は話しながら場所を聞いた時点で歩き出していた。武道の様子も気になるが、今はとにかくエマとドラケンが心配だった。ふたりのところには何故かペーの他に敵対していたチームまでいるらしい。何がどうなっているのかにはサッパリ分からなかった。

『…どうしよう。愛美愛主の奴ら人数多くて…ドラケンひとりで倒してるけど、これ以上は…』
「落ち着いて、エマちゃん。さっき佐野くんから電話が来て、今こっちに向かってるの。だからもうすぐ着くと思うっ」
『え、マイキーが?』

エマが明らかにホっとしたように息を吐き出した。それほど緊迫した状況なのだろうとは理解して、どうにかエマだけでもその場から非難させたかった。パーの友達がされたことを思えば、相手は女でも容赦のない連中だ。そんな男達が集まっている中にエマを置いておきたくはない。ドラケンはひとりで大勢と戦っているのなら尚更だ。いつエマを人質にされるか分からないのだ。

「エマちゃん…佐野くんが来るまで私と非難してよう。今、私もそっちに向かってるから」
『で、でもドラケンが…』

エマがそう言った時だった。背後から三ツ谷の声が聞こえたような気がして、は足を止めた。

…!」
「三ツ谷くん…?」

今度はハッキリと聞こえてが振り向くと、後ろからッ三ツ谷、そして後ろには武道が走って来る。

「三ツ谷くん…花垣くんも…良かった!」

とりあえずホっとしてエマにそのことを伝えると「今、三ツ谷くんたちとそっちに行くから」と言って電話を切る。三ツ谷は驚いた様子で「が何でここに?」と駆け寄ってきた。

「あ、あの…今、エマちゃんから電話が来て、龍宮寺くんがメビウスってチームとケンカしてるらしくて…」
「クソッ!やっぱりか…」

三ツ谷は何かを知っているようで武道と視線を交わしながら頷き合っている。三ツ谷は軽く舌打ちすると「マイキーは?」と訊いて来た。

「佐野くんは林くんに呼び出されて…でも今こっちに向かってる」
「ペーに?アイツ…マイキーを騙したのか…」
「え…騙した…」
「ペーはパーちんのことでドラケンを逆恨みしてんだよ…でも何で愛美愛主とつるんでやがんだ…」

三ツ谷は忌々しげに呟くと「とにかく行くぞ、タケミっち!ちゃんは危ねえからマイキー来るまでここにいて」と言いながら武道と共に走って行く。さっきのエマに聞いた話と今の三ツ谷の話を総合すると、どうやらペーやんがこのケンカに一枚かんでるらしいということは分かった。

「逆恨みって…どうして…」

詳しい事情は分からないものの、万次郎まで騙してドラケンを襲うほど、ペーやんはパーを大事に思っている存在なんだろうことはにも理解出来た。でもこんなやり方は納得がいかない。仲間を敵対しているチームと一緒になって襲うなんて悲しすぎると思った。

「あ…そうだ、エマちゃん避難させなくちゃ…」

三ツ谷に万次郎が来るまでここにいろと言われたが、エマが心配だった。は再び駐車場に向かって走り出す。その時、雨音に交じって聞き慣れた排気音が聞こえて来た。

「この音…佐野くんだ…!」

どんどん近づいて来る万次郎のバブの排気音に、はホっと息を吐き出した。急いで裏手にある薄暗い駐車場に向かうと、そこには大勢の人影が集まっている。エマの言った通り、確かに白い特攻服の男達が20人以上はいる。その前にドラケンが頭から血を流して座り込んでいた。しかし排気音に気づいたのか、ドラケンがふと笑みを漏らし「やっと来たわ…」と呟く。

「この排気音…」
「マイキーのバブだ」

三ツ谷も気づき、ドラケンがニヤリと笑う。愛美愛主のメンバーや、ペーやんが立ち尽くしていると、いっそう大きなエンジン音を上げながら一台のバイクが凄いスピードで入って来た。白いライトがその場にいる全員を照らし、ハッとしたようにその方向へ視線を向ければ、万次郎のバイクが勢いもそのままに滑り込んで来る。それを見ていた白い特攻服の男達がどよめいた。

「おい…あれって…」
「嘘だろ…?」
「聞いてねえぞ…」

降りしきる雨の中、バイクにまたがったまま、集まっているメンバーを見つめる万次郎の表情は、普段のものより酷く冷めて見えた。ペーやんは「マイキー…」と顔を引きつらせ、武道は「マイキーくん」と嬉しそうな声を上げる。しかし万次郎は一切表情を崩さず、静かにバイクのライトを消した。その場の空気が張り詰め、手に武器を持った男達は誰も動こうとはしない。20人近くいる不良達全ての視線が万次郎へと向けられる。万次郎はサイドスタンドを足で下ろすと、ゆっくりとした動作でバイクから降りた。

「なるほどね…」

白い特攻服の中、ひとりだけ黒の特攻服を身に纏い、たすきをかけているペーやんを正面に見据え、万次郎が歩いて行く。

「俺を別のとこ呼び出したのは、ケンチンを襲うため…」

それを聞いていた武道が「えっ」と驚きの声を上げたが、万次郎は真っすぐペーやんに向かって歩いて行く。

「で…俺のせいにして…東卍真っ二つに割っちまおうと…」
「俺はっパーちんを――!」
「これはオマエのやり方じゃねえ」

ペーの言葉を遮り、確信をもって万次郎が言い放つ。

「誰に……そそのかされた」
「……っ」

僅かに息を飲んだペーやんが、驚愕の表情でただ万次郎を見つめている。の目から見ても図星なのは明らかだった。その間、誰も口を開こうとはしない。辺りは静まり返っていた。しかし唐突に静寂を破ったのは、万次郎の背後から歩いて来た人物だった。

「へえ…意外。マイキーって頭も切れるんだね」

そう言いながら歩いて来た男はスラリとした長身で、左耳に長いピアスを垂らし、手には煙草を持っている。その手には"罪"という大きなタトゥーが彫られていた。後ろにいる愛美愛主の兵隊がその男に傘をさしている様子から見て、愛美愛主の幹部で間違いないだろう。だが先日の抗争の時にはいなかった顔だ、と万次郎は思った。

「誰?」

万次郎の問いには応えずに、男は煙草を一口吸うと、一言「だりぃ~」と呟き、万次郎の前まで歩いて来た。

「俺が誰とかどうでもいいけど…いちおう今、仮で愛美愛主を仕切ってる半間だ」
「オマエが裏でネチネチしてるキモいヤツ?」

万次郎が尋ねると、半間は薄ら笑いを浮かべた。

「めんどくせぇなぁ、マイキー…」

言った瞬間だった。万次郎の凄まじい蹴りが半間のこめかみ目がけて振り上げられる。しかしその速く重たい万次郎の蹴りを、半間は左腕に右手を添えながらもギリギリで止めた。持っていた煙草がポトリと落ちる。同時に周りからどよめきが走った。

「ってぇ…」

半間は手をプラプラさせながら呟く。

「マイキーの蹴りを…止めた…?」

三ツ谷は愕然とした表情で呟いた。これまで万次郎の蹴りが止められたところを見たことがない。

「そんなに急ぐなよ、マイキー」

半間は苦笑交じりで万次郎を見下ろす。

「俺の目的は東卍潰し…。かったりぃから内部抗争っしょ。でも…結果オーライかなぁ…」

ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている半間の後ろに、次々と愛美愛主の兵隊が集まって来る。

「これで無敵のマイキーを…この手でぶっ殺せるからなぁ!!」

堂々の宣戦布告をした半間は兵隊の士気を上げるように叫んだ。

「愛美愛主、総勢100人!対して東卍は4人!――前みたいにひよんじゃねぇぞ、テメェらぁ!!」

半間は仲間に対しても威圧的に叫んでいる。

「俺は長内みたいに甘くねぇからよぉ」

「「「「「「ウスッ!!」」」」」

「逃げたら追い込みかけて歯ぁ全部なくなるまでボコるからなあ!」

「「「「「「ウ…ウス…ッ!!」」」」」

半間の脅しに、兵隊たちも僅かに顔を引きつらせている。確かにこの前までトップだった長内よりもタチが悪そうだ。

「マイキーもドラケンも…まとめて…みなごろしだぁ♡」

一方、半間の言葉を聞いて、こっそりエマを連れ出し駐車場の外へ避難していたは一気に青ざめた。半間の言うように、東卍は万次郎と三ツ谷、武道、そしてケガをしているドラケンに対し相手は100人と桁違いの人数だ。

「どどどどうしようっちゃん…!」
「ど…どうしようって…どうしよう?」

互いに顔を見合わせながら、目の前の状況に成す術もない。もし前のだったならば、すぐに警察へ通報していただろう。でも今ここには万次郎達を含めた東卍のメンバーもいる。へたに警察を呼んで全員が逮捕されてしまうのはとしても避けたい。半間と万次郎が睨み合う中、今にも殴り合いを始めそうな空気が漂い、は気ばかりが焦っていく。だがその時、遠くの方から数台分のバイクの排気音が近づいて来る音が聞こえて来た。その音に気づいた半間は訝しげに眉を顰め、三ツ谷は逆にホっとしたように息を吐き出した。

「間に合ったか」
「…え?」

ポツリと呟く三ツ谷に、武道も驚いた。音のする方へ視線を向けると、無数のライトが近づいて来る。東京卍會の黒い旗をなびかせて、チーム全員が住宅街をバイクで疾走してきた。
アッという間に駐車場には東卍の特攻服を着た男達で埋め尽くされ、それぞれがバイクを降りて万次郎の方へ歩いて来る。中には隊の隊長も揃っていた。

「内輪もめは気乗りしなかったけどよぉ…」

伍番隊の武藤、通称ムーチョ。

「愛美愛主相手なら思いっきり暴れられんじゃねーかよ!」

肆番隊の川田。通称スマイリー。

「結果、今日が決戦になっただけの話――」
「オマエら…」

笑みを見せる万次郎に、壱番隊の場地が不敵な笑みを浮かべた。

「――東京卍會、勢ぞろいだ。バカヤロウ」

普段下ろしている長い髪を後ろで一つに縛りながら、場地が言った。それを見ていたエマが安堵の表情を浮かべて「もう大丈夫だよ」とに微笑む。

「人数不利でなければ絶対、マイキー達が勝つよ。だから私達は避難しとこ?」
「う、うん…」

これまで固唾を飲んで見守っていたが、東卍のメンバーが揃ったことで、もやっと安心したように息を吐き出した。あんな場面に遭遇するのは初めてで、ケンカ賭博の時よりも怖かったが、知らないうちに足の震えも止まったようだ。その時、不意に万次郎がの方へ視線を向けて、驚いた表情を見せる。近くにがいたとは知らなかったようだ。

「――エマ!!向こうへ行ってろ!」

遂に殴り合いが始まった時、あちこちで飛び交う悪罵あくばの合間に万次郎の声が聞こえて来たことで、エマの肩がビクリと跳ねた。この場合、敢えてではなく、自分に言ってきたのだと察したエマは、の手を掴んで「行こう」と足早にその場を離れる。しかしは心配なのか、何度も駐車場の方へ振り返った。

ちゃんが傍にいない方がマイキーは心置きなく戦えるから大丈夫だよ」
「…え…?」
「敵にちゃんの存在がバレると危険だから今はあの場にいない方がいいし、マイキーも心配で集中できないと思うから離れて待ってよ?」
「うん…」

まさに後ろ髪が引かれる思いではあったが、エマの言う通りだ。自分があの場にいたところで足手まといになりこそすれ、男同士の殴り合いに入れるはずもない。万次郎たちのことは心配だったが、あれだけメンバーが集まれば、エマの言う通り大丈夫だろうと思えた。

(でも…花垣くん、大丈夫かな…)

ふと自然に巻き込まれていた同級生を思い出し、少し心配になった。武道がケンカに弱いことはも薄々気づいている。あんな強そうな男達相手に無傷では済まないだろう。それに――。

「橘さん、どうしたんだろ…」
「あ、そう言えばヒナちゃん、いないね?」

お祭り会場まで戻って来たところで、エマもふと足を止めた。この雨のせいで客足も引いたのか、賑わいを見せていた出店も今はほぼ片付けが始まっている。

「はぐれたのかな…」

エマも心配そうに辺りを見渡している。エマと日向はが初めて来た集会の日に仲良くなったようだ。先ほど雨が降って来てコンビニに傘を買いに行く途中で、エマもふたりとはぐれたらしい。

「さっき花垣くんが龍宮寺くんを探してた時はすでにひとりだったの」
「先に帰したとか」
「でもこの雨だし…ひとりで帰すかな…」
「そうだよね。じゃあ、やっぱりどこかに雨宿りさせてて、その間にドラケン探しに行ったとかかなぁ…。ウチも雨で慌てて行き先コンビニに変更したから見失っちゃったのかも」

エマはそう言って手にしている傘を持ち上げてみせた。

「じゃあ林の中で待ってるかも…探してみよう」
「そうだね」

の提案にエマも頷き、ふたりで神社の裏手に歩いて行く。が先ほど武道を見かけた場所まで戻り、日向を探した。

「ダメだ…ケータイも出ない。この雨で聞こえないのかなぁ」

エマが心配そうに辺りをキョロキョロしている。10分ほど探し回ったが日向の姿はなく、ふたりは途方に暮れた。ただ闇雲に探し回ったせいで、足もそろそろ限界に近い。慣れない下駄で歩き回れば、当然下駄ずれが起きていた。

「いたた…」
「大丈夫?ちゃん…」
「うん…でも少し休んでもいい?」
「もちろん。この木で雨宿りしてて。ウチが探してくるから――」

と言った時、エマが手にしていたケータイが鳴った。

「あ、ヒナちゃんだ!」
「え、ほんと?」
「うん。――もしもーし!ヒナちゃん今どこ?うん…うん」

日向から連絡があったことではひとまずホっとした。エマは日向の居場所を聞いたのか「じゃあ、そこで隠れながら待ってて。今迎えに行く」と言って電話を切った。

「橘さん、なんだって?」
「ヒナちゃん、タケミっち探しながら駐車場の方に向かってたんだって。でも危ないから、ちょっと迎えに行って来るね」
「うん、分かった」
ちゃん、ここで休んでて。すぐ連れて来るから」

エマはそう言って再び駐車場の方へ戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、は小さな溜息と共にその場にしゃがんだ。鼻緒や先坪まえつぼにこすれた場所がヒリヒリして痛むのだ。

「はあ…やっぱり履きなれた下駄にしたら良かったかな…」

今日は買ってからまだ一度も履いてなかった新しい下駄にしてしまったことを悔やみながら、擦り切れて赤くなっている指間を見て溜息をつく。仕方ない、と念のために持って来た絆創膏を巾着から出して傷を塞ぐように貼った。これで多少は歩いても平気だろう。

「佐野くん達、大丈夫かなあ…」

万次郎達が強いのは分かっているが、先ほど万次郎の蹴りを止めた半間という男はどこか不気味だった。あの時、一瞬だけ目が合ったことを思い出したは、軽く身震いをした。腹の底が見えないような、そんな目をしている男だと思ったのだ。

(あの人が林くんをそそのかしたのかな…)

内輪もめを仕組んだことを匂わすような発言をしていた半間を思い出し、同時にペーやんの気持ちを思うと悲しくなった。きっとパーちんのことが凄く大切なんだろうと思うと、万次郎を騙し、ドラケンを襲ったことを責める気持ちにはなれない。

(仲間を思う林くんの気持ちを利用してそそのかしたなら、あの半間って男が悪い…佐野くんもきっと分かってくれてるよね…)

もしこの抗争が勝って終わったとしても、ペーやんが裏切者としてチームを離れるのはとしてもいたたまれない。――その時、神社側の裏道の方から誰かが歩いて来るのが見えて、はすぐに立ち上がった。その裏道も駐車場へ続いているのでてっきりエマと日向だと思ったのだ。しかし歩いて来た影はひとりで、とても女の子には見えない。そのガタイのいい影が少しずつのいる方向へ近づいて来る。

「……あ…」

祭り用の仄かな提灯の明かりで、浮かび上がった顔を見た時に思わず息を飲んだ。黒い特攻服を着たその男は、も良く知る顔だった。

(この人…キヨマサって人だ…ケンカ賭博で花垣くんを殴ってた…)

一瞬隠れようと思ったが遅かった。薄暗い木の下に立つ浴衣の少女は、キヨマサの視界に難なく入ってしまった。

「ん?テメェは…」

眼鏡を外していれば、或いはバレなかったかもしれない。しかし万次郎の言いつけ通り、しっかりと眼鏡をしていたの顔を、キヨマサはハッキリと覚えていたようだ。

「オマエ、ケンカ賭博の時に邪魔してきた女じゃねぇか…」

キヨマサの目はどこか仄暗い光を宿していて、は嫌なものを感じた。じり…っと後ずさったものの、下駄で走って逃げるのは困難だ。その時、は恐ろしいことに気づいてしまった。

(…あれは……ナイフ?)

キヨマサの手に小型のナイフが握られていることに気づいたは、背筋に冷たいものが走った。よく見ればナイフに赤い液体が付着している。それはナイフで誰かを傷つけてきたという証拠だ。

(まさか――)

一瞬、万次郎がキヨマサに刺されたのではと恐ろしい光景が脳裏をよぎる。

「何でテメェがこんな場所にいるんだ?」
「こ…来ないで…」
「まあ、いい。テメェもあの時、散々邪魔してくれたよなあ…。マイキーに俺達のこと、チクったんだって?赤石に聞いたぞ。おかげでパーちんからボコられて散々だったわ…」

ゆっくりと近づいて来るキヨマサに血の気が引く。嫌な汗がじわりとの額に浮かんだ。

「そ…そのナイフで…誰を傷つけたんですか…?」
「あ?」
「血が…ついてる。誰かを…」
「ああ…こりゃドラケンの血だよ」
「……ッ?」

薄ら笑いを浮かべるキヨマサの言葉に、の心臓が激しく跳ねた。

「アイツ、オレのことコケにしやがったからよぉ…殺してやったわ」
「…こ…殺したって…嘘ですよね…」
「嘘じゃねえよ。つーかさー。オマエ、何者?何でマイキーやドラケンと知り合いなんだよ」
「こ…来ないで…!」

一気に距離を詰めて来るキヨマサに、は慌てて駆け出した。しかし案の定、泥濘に下駄がハマり、派手に転倒した。

「あーあー。せっかくの浴衣が台無しだなァ?」

キヨマサは笑いながらの前にしゃがむと、血の付いたナイフを頬に当てて来る。その冷たさに首筋が冷やりとした。

「ついでにオマエも殺してやろうか。ひとりもふたりも同じことだ」
「きゃ…」

髪を掴まれ、は短い悲鳴を上げたが、キヨマサは力を緩めようともしない。代わりに顔を近づけると、の耳元で呟いた。

「俺をコケにする奴は…誰でも許さねえ」