28.カウントダウン⑵




「おかしい…」
「何が」
のケータイ、直留守になる」

万次郎は言いながら眉間を寄せて顔を上げた。ここは渋谷駅近くのファミレス。その場には場地と三ツ谷、ペーやん。そして肆番隊の隊長、河田ナホヤ(通称スマイリー)がいた。に話した通り、皆で集まったのだが、それは何も走る目的ではなかった。8・3抗争の時に愛美愛主とモメた時、半間修二という男が宣戦布告めいたことを言っていた。その際、新しく出来た芭流覇羅バルハラというチームの副総長を名乗った半間は東卍トーマンに正面切ってケンカを売った形となり、今夜はそのことで話し合うべく幹部会を開いたのだ。逮捕されたパーちんや未だ入院中のドラケン、特務を担う伍番隊長の武藤以外のメンバーが集まっていた。に話すと心配をかけるので皆で走りに行くと嘘を言ったものの、約束通り夜の0時少し前に恒例のお休み電話をかけた万次郎は、電話が繋がらないことで訝しげな顔でケータイを睨んでいる。

「なになに。マイキーの彼女?」
「ああ、何か毎晩お休み電話してるんだと」

万次郎に彼女が出来たと聞いていたスマイリーがニヤニヤしながら訪ねると、場地が苦笑気味に肩を竦めた。

「8・3の時にいた子だよなァ?オレが見た時は気を失ってたから、まともに見てねーんだよなー。可愛いの?」
「もうめちゃくちゃ可愛い」

突然話に入って来たのはペーやんだった。

「でも普段は分厚い眼鏡してっから全然そう見えねえんだけど」
「あ~それはドラケンから聞いたことあるわ。マイキーが二人きりの時以外は外させねえんだろ?」

スマイリーが笑いながら万次郎を見たが、当の本人は電話が繋がらないことでイライラしているのか、何度かかけ直している。しかし何度かけても発信音さえ鳴らずに留守電になってしまうようだ。

「何で?!電話繋がんねえ!このファミレス電波悪くね?!」
「いや…バリバリ3本立ってっけど」

場地が自分のケータイのアンテナを見て、それを万次郎に示す。しかしそれを確認したことで更に苛立っている幼馴染に内心苦笑した。

「つーか、こっちから発信出来てんだから電波関係ねえだろ。が電源切ってるか、電池切れじゃねえの」
「オレが電話するの知ってんだし切ってるはない。電池切れは…どーかな…」

はあっと溜息をつきながら万次郎は項垂れた。が夏期講習を休んだ日はその分の勉強を遅くまでしていると万次郎は知っていた。だからこそ早く寝るよう促すためにも夜遅くに電話をかけるのが習慣になっているのだが、これまで繋がらなかったことは一度もない。だから余計に不安になったが、勉強に集中していれば電池切れに気づいてないこともあり得る。

「マジ、それかも」
「まあ、それか疲れて寝落ちしたってこともあんじゃねーの?今日、朝から二人で江の島まで行ったんだろ?」
「え、何それ。マイキー彼女とデートしてたん?」

三ツ谷の話にスマイリーは興味津々といった様子で身を乗り出した。幹部でありながら万次郎に彼女が出来たという話に乗り遅れた感があったスマイリーからすると、万次郎が女の子と付き合っているという事実が未だにピンと来ないようだ。

「二人でタコ煎餅食ったらしいぞ」
「うひょー!マジで?デートじゃん、それラブラブデートじゃん!うらやま!」

今度は場地が応えると、スマイリーは興奮したように騒いでいる。それほど万次郎が女の子とイチャついてる姿が想像できないのだ。しかし当の万次郎はと電話が繋がらなかったことでテンションが一気に降下したようだ。せっかく頼んだチョコレートパフェにも手を付けず、椅子に横になってふて寝を始めた。それを隣で見ていた場地は「ここで寝るなって」と徐に顔をしかめた。ドラケンがいない今、万次郎が寝てしまった場合、面倒を見るのは自分達になるのだ。それだけは勘弁して欲しいと思う。そんな場地の気持ちを知ってか知らずか、万次郎は僅かに目を開けて場地を睨みつけた。

「ありえねえ。信じられねえ。の声が聞きたい」
「………(めんどくさくなって来た…)」

まるで駄々っ子のようにブツブツ言ってくる万次郎を見下ろしながら、場地の口元が引きつって来る。こうなると万次郎の理不尽な我がままは誰にも止められないというのを場地はイヤというほど知っていた。

「今日デートしてたんだろ?ずっと一緒だったのにまだ声が聞きたいのかよ」
「ほんとだよなー。オレなんて暇すぎて昼間はずっと寝てたってのにさあ」

向かい側でコーラを飲みながら三ツ谷とペーやんが笑う。それでも万次郎は「昼間会ってても声は聞きたいだろ」とシレっとした顔で返した。

「あーあ。何かムカつくから今から芭流覇羅探してやっちまうか」
「マイキー…まだ向こうがどんなチームかも人数も分かってねーんだぞ」
「関係ねーよ。何人いようと全員ブチのめせばいーだろ」
「ダメだ。ドラケンも言ってたろ。総長の存在さえつかめてねえ相手だし、まずは情報集めろって」
「………」

三ツ谷が諭すと万次郎は返事の代わりに唇を尖らせて、ついでに目も細めてぶーたれている。これには三ツ谷も苦笑するしかない。相変わらずが絡むと万次郎の気分が簡単に左右されてしまうようだ。

「とにかく芭流覇羅のことはもう少し調べてからな。半間の目的も分からねえし」

その場は三ツ谷が話を締めて解散することになった。

「あれ、マイキー帰らねえの?」
「んー?」

ケータイを眺めつつ、未だソファに寝転んでいる万次郎を見てスマイリーが振り向く。

「ああ、オレ今から約束あるから皆は帰っていーよ」
「…ふーん。じゃあ帰るわ。またな」
「おう」

誰かにメールをしながら万次郎は片手を上げた。チーム以外の人間と約束とは誰だろう?と思いながら、スマイリーは場地たちを追いかけて行った。それを見た万次郎は体を起こすとメールの返信を開いて「ラーメン屋?」と苦笑しながらもすぐに了解と返信し、その場を後にした。







静かな部屋に時計の針の音だけが響いている。それがやけに耳について、はベッドから起き上がった。こんな気持ちのままでは眠れそうにない。そろそろ万次郎から電話がかかってくる時間だ。

「よし…」

は意を決したように部屋のドアをなるべく静かに開けた。廊下は暗く、リビングの電気も消えている。どうやら眠ったようだ。そう思って足音を忍ばせながらリビングに向かう。さっきと同様、静かにドアを開けてリビングに入ると、はソファにかけたままの上着を見つけて暗闇の中、そっと足を進めた。

「確か右側のポケットに入れてたはず…」

視界の悪い中、ポケットを漁ると手に触れたものをすぐに取り出した。

「あった…」

と、ホっと息をついたのもつかの間、突然室内の明かりがつき、はその場で固まった。

「何をしてるんだ、
「…お父さん」

青ざめた顔で振り返ると、父の晃が呆れ顔で立っている。そしての手にあるケータイを一瞥すると「よこしなさい」と手を差し出した。しかしは首を振り、拒否の姿勢を見せる。このまま渡してしまえば絶対に返してもらえないと分かっていた。

「お願い、お父さん…。もう一度ちゃんと話を――」
「そんな必要はないと言ったはずだ」
「もう塾をサボったりもしないし、ちゃんと勉強もする。だから佐野くんのこと認めて欲しいの…」
「その必要もない。オマエは夏休みが終わったらお父さんと一緒にニューヨークへ引っ越すんだからな」
「お父さん…!」
「早く寝なさい」

晃はの手からケータイを奪うと、そのまま部屋へ戻ってしまった。再び静けさが戻って来たリビングに、の小さな嗚咽が響く。さっきまでの幸せな時間が、突然闇に閉ざされた現実は、まるで悪夢のように感じられた。
夕方、万次郎に送られ、雪子の家に帰ったを出迎えたのは、日本にいるはずのない父だった。開口一番「塾はどうした」と訊かれたは、あまりに突然のことで何も応えられずにいたが、晃は全てを分かっているようだった。

「どうも最近の周りにトラブルが多いのが気になって部下に調べさせたんだ」
「調べた…?」
「オマエ、佐野万次郎と付き合ってるんだって?」

いきなり父の口から万次郎の名前を出され、唖然とした。

「彼のことは知っている。近所だったからね。まあ僕が知ってるのは小学生くらいの時の彼だが…その頃から素行は良くなかった。お兄さんが暴走族だったのも知ってる」

晃は日本にいる部下に調べさせ、が万次郎とどうも交際をしているようだと聞かされた。そして万次郎が東京卍會という暴走族に属していること。そこのトップであることまで調べていた。

「この前のお祭りの件…あれも逮捕者が出るほどの抗争があったようじゃないか。どうせがケガをしたのも巻き込まれたからだろう」

そう問われてもは何も言い返せなかった。逮捕者とはキヨマサのことだろう。キヨマサが正直に自供していた場合、のことを話している可能性は高い。晃は全てを知っていると思った方がいい。はそう考えて敢えて何も言わなかった。

「母さんに聞いても誤魔化してばかりで埒が明かない。オマエも父さんに嘘をつくのか?」
「そんなつもりは…ただ私は何も悪いことしてないよ」
「塾をサボったりしてるのに?以前のはそんな子じゃなかっただろう。全て佐野万次郎と付き合った後からだ。違うか?」
「……それは…ごめんなさい。でも私だってたまには息抜きしたかった…それに勉強はちゃんとしてたよ…」
「息抜きなんてものは警察学校を卒業してからすればいい。気構えの問題だ。、オマエは将来警察官になるんだろう?」

晃は昔からを警察官にさせたいと願っているようだった。亡くなった母も「には向いてるかもね」と言っていた。だから自然と、自分は将来、父と同じ警察官になるんだと思っていたし、またそれを目標に勉強をしてきたつもりだ。けれども、万次郎と出会い、父の言いなりで生きて来た自分とは違う万次郎や、チームの仲間達と接している内に、漠然と自分は本当に警察官になりたいのかと疑問が湧いたのだ。父に言われるがまま勉強をし、将来の仕事まで決められた人生。それで本当にいいのかと初めて考えることが出来た。

「私は…」
…オマエも私の娘なら知っているだろう。警察官になる者は犯罪者と親しくしていてはダメだ。たかが中学生の恋愛では済まない。後々大きな問題として降りかかって来ることもある。それに万が一大きなトラブルに巻き込まれたらどうするつもりだ」

晃の言い分も分かる。この前のパーちんの親友やその彼女がそうだったように、もし抗争に巻き込まれでもしたらも大怪我を負う可能性もある。現にこの前のお祭りではキヨマサに殺されかかった。万次郎とつき合っていくということは、そう言う危険とも隣り合わせなんだと晃は言っているのだ。

「お父さん、でも私…佐野くんのことが好きなの…」
「今だけだ。オマエ達の年頃は恋愛にすぐ熱くなるものだ。将来を棒に振るほどのものじゃない」
「…違う!私は本気で――」
「バカ言うな。14歳で何が本気だ。何の責任も取れないのに生意気言うな。とにかく、彼とは別れなさい。イヤだと言ったところで必ずそうなる」

晃はキッパリ言い切った後、をニューヨークの学校へ転校させると言い出した。万次郎とのことを知った時点で準備をしていたらしく、手続きなどは済ませたという。それを聞いては真っ青になった。その後は何を言っても聞く耳を持ってはもらえず、雪子の家から連れだされ、自宅マンションへと戻って来たのだ。ケータイも取り上げられ、万次郎に連絡することも出来ない。せっかく見つけたと思ったが、再び奪われてしまったことで連絡する手段を失ってしまった。

「佐野くん…会いたい…」

切ない胸の内を呟けば、また涙が一つ、の頬を濡らしていった。






次の日、祖母の雪子はの荷物などを持ってマンションを訪れた。息子の横暴さを黙って見ていることも出来ず、自分なりに説得してみようと思ったのだ。

「少し乱暴じゃないのかい?転校させるだなんて…それもニューヨーク?いきなり知らない国へ連れて行く必要ないだろ」
「母さんは黙っててくれ。これはウチの問題だ。そもそもを一人で置いていったことが間違いだったんだ。中学の途中で転校させる方が勉強に支障が出ると思ったが、置いて行ったらこれだ。母さんも知ってて僕に黙ってたな」
「私はが楽しいなら勉強をするのもいいと思ってたさ。でもね、本当にが望んでないのならあの子の好きなことをさせたい。オマエの勝手な望みで無理に警察官にする必要もないと思ってる。父さんだって生きてたらきっと同じことを言うよ」

雪子の夫で晃の父も立派な警察官だった。その父に憧れ、息子が同じ道を歩んだのは雪子も嬉しい。だがそれは晃が望んだ結果だ。必ずしも娘までが同じものを望むとは限らないのだ。

「それに万次郎くんは確かに暴走族だ。でも根は素直ないい子だよ」
「人を平気で殴れるヤツのどこがいい子なんだ?おかげでまで巻き込まれてケガをした」
「それは…」
の将来を考えたら今のうちに別れさせるのが一番いい。取り返しのつかないことが起きる前にな。それに今だって佐野万次郎は捕まっていないだけで法に触れることをしているだろう。そんな男と付き合っていたら必ず身辺調査でバレるんだ。そうなればは警察官にはなれないし、僕の立場も危うくなる。母さんもその辺のことは分かってるだろ」

晃は一気にまくしたてると深い息を吐いた。警察官という仕事は普通の会社員とはわけが違う。本人はもちろん、親族にも犯罪者がいてはなれないし、万が一犯罪者が出た時は懲戒免職になるのだ。それだけ厳しい職業であるというのは雪子も当然知っていた。夫と結婚する時、雪子自身も身辺調査をされたことがあるからだ。軽犯罪くらいなら大目に見てもらえることもあるが、上司からの心象が悪くなると出世にも響いてしまう。警察官になるとはそういうことだった。

「例えが警察官にならないと言ったところで、佐野万次郎と付き合い続けるということは少なからず僕にも影響があることを忘れないで欲しいな」

そう言われてしまうと雪子も何も言えない。晃がどれだけ頑張って今の地位を築いたのかを知っている。難しい試験を一発で突破し、キャリアになった時は手放しで喜んだものだった。

「それでも…をこれ以上追い込まないでちょうだい…。せめて中学を卒業するまで――」
「少し先延ばしにしたからって何が変わるんだ?こういうことは早い方がいい。とにかく娘のことは僕が考える。母さんは黙っててくれ」
は私の可愛い孫でもある。傷つけるようなやり方は許せないね」

雪子はそれだけ言うと椅子から立ち上がった。これ以上言い合いをしても無駄だと思ったのだ。だがその時、インターフォンが鳴った。

「私が出るよ…」

晃が動こうとしないのを見て雪子がインターフォンのモニターを確認する。そして小さく息を飲んだ。

「万次郎くん…」
「…何だって?」

モニター画面に映っていたのは心配そうな表情で立っている万次郎だった。






「やっぱおかしいよな…」

この日、万次郎は朝からドラケンの病室を訪ねていた。夕べもそうだが、朝になってものケータイが繋がらない。心配になり雪子の家にも行ってみたが誰も出なかった。ますます心配になった万次郎はその足でドラケンに会いに来た。

「うーん…でも昨日別れる時は普通だったんだろ?」
「うん…笑顔だったし…別に怒らせるようなことも…」

と言いかけた時、万次郎は「あ」と小さく声を上げた。ドラケンが「何だよ。やっぱ何かしたのか」と身を乗り出す。だが万次郎は赤い顔のまま首を振った。

「ナニもしてねーし」
「あ?じゃあ何で何気に顔が赤いんだよ…。あ、まさかマイキー無理やり押し倒したとか――」
「す、するはずねえだろ!別に無理やりじゃねえしっ」
「…ってことは押し倒したことは押し倒したんだな?」
「……ッ?」

ドラケンはまさに誘導尋問のように嫌なところを突いて来た。顔に出やすい万次郎は当然のように顔が真っ赤になった。

「マジか、マイキー」
「ち、違う!押し倒したはしたけど何もしてねえし、も怒ってなかったしっ」

その時のことを思い出しながら万次郎はぶんぶんと首を振った。もし怒っていたならも分かりやすい性格なので絶対に気づくはずだ。でも雪子の家まで送って行った時も普通だったし夜に電話をすると言った時も嬉しそうだった。とても怒っていたとは思えない。そうドラケンに説明すると「じゃあ普通に雪ちゃんと出かけてるだけじゃね?」と笑う。だが万次郎は何となくそんな簡単な話だとは思えなかった。

「何か…イヤな予感がすんだよなァ…こんな急に連絡つかなくなるなんて」
「そりゃそうだけど…だからって他に何があんだよ」
「分かんねーけど…ずっと直留守ってのが気になる」
「確かにな…」

とドラケンも考えこむ。そして一つの可能性が頭に浮かんだ。

「まさか…あの半間って野郎が関係してんじゃ…」
「は?」
「いや、だって…あの8・3の時、東卍に宣戦布告して来ただろ。あの時もしかしたらのことも見かけてたんじゃないかと思ってさ」
「まさか…」
「でもがマイキーの彼女だってバレてたら…」

そこで万次郎の顏から血の気が引いた。パーの親友とその彼女のことが頭に浮かんだのだ。

「まさかマジで半間が…?」
「と、とにかくが行きそうなとこ探して来い。塾や自宅の方はまだ行ってねえんだろ?」
「ああ…」
「そこにもいなかったら違う可能性も考えて動く必要がある。まずは確かめて来い」

ドラケンに言われ、万次郎はすぐに病室を飛び出した。何でそっちの可能性を考えなかったんだ、と自分を殴りたくなった。

「廊下は走らないで下さい!」

途中看護師に注意されたが、それすら聞こえないほど万次郎は焦っていた。全力で廊下を駆け抜けて外に出ると勢いよく愛機に飛び乗る。

――!)

どうか無事でいてくれと祈りながら、万次郎はスピードを上げていく。朝の公道にバブの排気音が激しく鳴り響いた。