30.もしもやり直せたら…



「は――?別れた?」

場地は驚愕したように、その鋭い目を見開いた。
姿をくらまして20日ばかり経った頃、ふらりと万次郎が戻って来た。その日、集会の呼びかけをしたのはドラケンで、退院してからは初めての集会だ。連絡の取れない万次郎にも留守電を入れておいたらしい。やっと姿を現した万次郎に全員がホっとしたものの、抗争の話よりもまずは万次郎がどこで何をしていたのか幹部のメンバー全員が問い詰めた。しかし万次郎は何も話そうとしない。あげく喉が渇いたとひとりでコンビニに行ってしまった。

万次郎の態度に苛立つメンバーを見て、唯一事情を知っていたドラケンは、仕方がないとばかりに集会後も残っていたメンバーにだけは本当のことを話した。
その場にいた場地、千冬、三ツ谷、八戒、ペーやんにスマイリーはドラケンの話を聞いて一瞬で青ざめた。特にとは接触のなかったスマイリーや八戒、千冬は、万次郎の八つ当たりにビビっただけだ。あれほど惚れ込んでいた彼女と別れたとなれば、万次郎が荒れることは間違いなく、その八つ当たりの矛先は自分達にも及ぶと思ってゾっとした。しかし万次郎とを最初から見守って来た三ツ谷やペーやん、場地は真剣な顔で「何でだよ」とドラケンに別れた理由を尋ねた。

「まあ…話すと長くなるけどな…」

ドラケンは溜息交じりで話し出した。ドラケンも万次郎に直接聞いたわけではなく、見舞いに訪れたの祖母の雪子から聞かされた話だ。

「え…の父ちゃんって警察官なのかよっ?」
「まあ…キャリアってやつらしいから、その辺の刑事や警官よりは偉い立場みたいだな」
「マ、マジか…」

ドラケンの説明に三ツ谷も青ざめる。暴走族をやってる身としては絶対に関わり合いたくないのが警察だ。ペーやんも同じ思いなのか「やべえじゃん…」と呟いて「そら別れるしかなくなるよなぁ…」と溜息をついた。しかし場地だけは拳を握り締め、どこか苛立ってるように見えた。

「それでマイキーは別れることを選んだのか?の父親が警官だからって?」
「まあ…自分のせいでオヤジさんの仕事にまで影響出るとか言われたら…マイキーも少しは考えるだろ…」
「あ?じゃあの気持ちはどーなんだよ?」
「何だよ、場地…。何でオマエがキレてんのー?」

そこでスマイリーがチャチャを入れると、場地は「うるせえ!」と大きな声で怒鳴った。それにはスマイリーもカチンと来たのか「何だ、てめえ、その態度はっ」と立ち上がる。

「うるせぇからうるせーつったんだよっ」
「んだと、こらぁ!」

スマイリーが場地の胸倉を掴む。それを見たドラケンが間に入ろうとした、その瞬間。場地がスマイリーの顔を思い切り殴り飛ばした。スマイリーが吹っ飛び、境内にあるさい銭箱に激突し、それを見た三ツ谷がすぐに場地を背後から拘束した。

「何やってんだ、場地!」
「うるせえな、放せ!」
「おい!頭冷やせ!抗争前にケンカしてる場合じゃねぇだろが!」

ドラケンも怒鳴ると、やり返そうとしていたスマイリーも仕方ないとばかりに拳を引っ込めた。だが場地は未だ怒りが収まらないのか、自分を抑えている三ツ谷に「放せよ、三ツ谷!」とキレていた。副隊長である千冬はどうしていいのか分からないといった顔でオロオロしている。そこへ万次郎が戻って来た。

「オマエら、何やってんの…?」
「マイキー…!場地が急にキレて…」

と三ツ谷が説明しようとした時、場地が三ツ谷の腕を振り払い、今度は万次郎に詰め寄った。

「おい、マイキー!オマエ、と別れたんだって?」
「あ?」
「お、おい、場地、やめろって、その話は!」

三ツ谷が制止するも場地の怒りは収まらない。万次郎の胸倉に掴みかかった。

「親が警察だからってビビったのかよ?」
「何言ってんだ、てめえ…」
「父親に反対されたらすぐ諦めれられるくらいの気持ちで付き合ってたのかっ?」
「……オマエに関係ねぇだろ。場地」
「…てめぇ…っ」
「つーか仲間同士の揉め事は東卍じゃ御法度だ。オマエも分かってんだろ」

万次郎は冷めた顔で場地を見上げると、胸倉を掴んでいる手を振り払った。

「オマエはしばらく集会出禁だ。少し頭冷やせ」

それだけ言うと、万次郎は愛機にまたがり、エンジンをふかして走り去っていった。

「おい、マイキー!クソ…っ」
「あ、場地さん!」

場地もイライラしたように近くのごみ箱を蹴り倒すと、自分の愛機に乗ってどこかへ走り去っていく。その場に残されたメンバーは深い溜息と共に全員が顔を見合わせた。

「つーかさー…何でアイツキレたの…?」

一番の被害者であるスマイリーがボヤく。

「そりゃ…まあ…のことが心配だったんじゃねえの…あの感じじゃ」

場地を抑え込んでいた三ツ谷がその場に座り込んで項垂れる。

「何それ。場地ってマイキーの彼女とそんな仲良かったん?」
「……いや…どうかな。付き合い始めの頃は下着泥棒捕まえんのに何度か会ったりはしてたけど…」
「あ~そういや、そんなこともあったな。懐かしー。パーちんとキャンプ道具持って彼女んち行ったわ」

とペーやんが懐かしそうに話し出した。

「え、何ソレ。面白そうじゃん」
「あースマイリーはあの時不参加だったもんな」

三ツ谷も思い出したのか「あの時はマジで遠足気分だったよな、オレら」とドラケンに話しかけた。しかしドラケンは思う所があったのか、場地が去って行った方向を見つめながら溜息をついている。ドラケンも場地同様、のことは心配だった。だが万次郎の方がもっと心配だ。一見普通に見えたものの、20日間も音沙汰なく姿を消していたところを見れば、万次郎も見た目以上にとの別れに傷ついているはずだ。といる時の幸せそうだった万次郎を思うと、どうにかしてやりたいという気持ちになった。けれども、ふたりの間のことは想像以上に複雑で、親が絡むとなると難しい気がした。

"私も何もしてやれなかった…"

先日、退院する時に付き添ってくれた雪子の悲しそうな顔を思い出し、ドラケンは「どうにかなんねえのかよ…」と深い溜息をついた。






「場地さん…」
「……千冬?」

背後から声をかけられ、場地はハッとしたように振り向いた。そこには自分の隊の副隊長、松野千冬が心配そうな顔で立っている。

「やっぱりここにいたんスねー」

そう言いながら場地の隣に座り、目の前の夜景を一緒に見つめる。ここは場地がお気に入りの高台にある公園だった。週末はカップルばかりで来られたものではないが、平日の深夜は人気もなくシーンと静まり返っている。場地は嫌なことがあると、だいたいこの場所で下に見える東京の夜景を眺めるのが好きだった。

「何しに来たんだよ…」

まっすぐ前を見ながら場地が呟く。強い風が場地の長い髪をさらい、なびいているのを眺めながら、千冬も夜景に視線を戻した。

「場地さん…マイキーくんの彼女さんのこと好きなんスね」
「…っはぁ?!」

いきなりぶっこんでくる千冬に場地が素っ頓狂な声を上げる。だが千冬は真顔で場地を見ると「バレバレっす」と微笑んだ。ハッキリと言い切られ、動揺した場地の顏がじわじわと赤くなっていく。

「バ、バカ言ってんじゃねえ!はマイキーの彼女…っ…て…別れたんだったな…」

場地はハッとしたように千冬から視線を反らすと、溜息交じりで呟いた。

「クソ…っ何でこんなことになってんだよ…。はマイキーのこと本気で好きだったのに…」
「……」

千冬は苛立つ場地を見ながら、その優しさにふと笑みを漏らした。好きな子が他の男を想っていても思いやれる。そんな場地の優しさが、千冬は好きなのだ。

「…場地さんは…告白しないんスか?その…さんに」
「ハァ?!つーかオレがに惚れてる前提で話すなっ」
「でも惚れてるんスよね」
「バ…っちげーよ!オレはただ…には色々世話になって…だからその…アレだ…」

途端に歯切れの悪くなる場地を見て、千冬は苦笑いを浮かべた。

「隠さなくていいっスよ。オレ、誰にも言うつもりないっスから。それにオレ、よく知らないし…マイキーくんと彼女さんの間にあったこと」
「……チッ。だから勘違いすんな――」
「オレ、そーいうの何となく分かっちゃうんですよ。少女漫画がバイブルなんで」
「……はぁ?」

ニカッと笑う千冬に毒気を抜かれたのか、場地は「アホらし…」と溜息を吐きながら項垂れた。自分の中に仄かに芽生えた淡い想いは誰の目に触れさせることもなく消し去るつもりだった。なのに一番身近な男にバレバレだと言われ、つくづく自分は隠し事の出来ない性分だと苦笑が洩れる。

「別に…だからどうってこともねえんだよ。オレは…が楽しそうに笑ってるだけで、それだけでいいと思ってた」
「……場地さん…」
「なのに…親がしゃしゃって来たあげく、別れるって何だよ…マイキーだって絶対まだに惚れてるはずなのにアッサリ諦めやがって…っ」

膝の上でグっと拳を握り締め、場地は怒ったように吐き捨てた。互いに好きでも、どうしようもないことがあると、認められるほど大人にはなれない。本当は万次郎もツラかったんだと分かっている。姿を消していたのも、きっと誰にも会えないほど憔悴してたんだろうことも。

(あのバカ…強がりやがって…何が集会出禁だ。コッチは色々心配してやってんのに…)

ふと最近万次郎に近づいてきている男の顔が浮かぶ。パーのことで万次郎に余計なことを吹き込んでいた男だ。場地はその男が何かを企んでいるような気がして、何気に調べていた。

(今のマイキーは弱っている…ああいう口の上手そうな奴につけこまれでもしたら厄介だ…半間との抗争の件もあるしな)

のことを悩んでばかりもいられない状況で、抗争となれば万次郎はトップとして前線に立たなくてはならない。少しでも万次郎の負担をなくしたいと場地は考えていた。

「…オレが…動くしかない、か」
「え?何か言いました?」
「…何でもねえよ」

心配そうにしている千冬を見て、コイツは巻き込めねえと思いながら、場地はゆっくりと立ち上がった。

「なーんか怒ったら腹減って来たな…」
「あ、オレもっス」
「ウチでペヤングでも食う?」
「いいスね」
「んじゃー帰るか」
「はいっ」

嬉しそうに立ち上がる千冬を見て、場地は「さんきゅーな、千冬」とひとこと言った。千冬は「オレ、何もしてないっス」と笑っているが、そんなことねーよ、と心の中で呟いた。誰にも言えなかった想いを千冬に認めたことで、気持ちが少しスッキリしたのだ。こうして追いかけて来てくれたことを、場地は感謝した。

「おーし、じゃあ家まで競争な?」
「えっマジっスか?」
「買った方がペヤング二つ」
「え、じゃあ負けないっスよっ」
「言ったな?オレも負ける気ねえけどな」

互いに愛機へまたがり、エンジンをふかすと、静かな公園に派手な音が鳴り響く。
まだ二人は知らなかった。この後の抗争で、更に悲しい、別れが訪れることを。







千冬が場地と会っていた頃、ドラケンも万次郎の行きそうな場所を探して、ちょうど見つけたところだった。

「マイキー」

中をひょいっと覗くと、万次郎が驚いたように体を起こした。

「……ケンチン」
「なーにやってんだよ。深夜に男ひとりで公園とか。しかもゾウさんの中で寝てるって家出したガキか」
「…うるせー」

ドラケンに突っ込まれ、万次郎はスネたようにプイっと顔を反らす。ドラケンが万次郎を見つけたのは、万次郎がと出逢ったあの公園だった。

「ま、ブランコ乗ってないだけマシか」

ドラケンは苦笑しつつ、その大きな体を折り曲げ、ゾウさんの中へと入る。それには万次郎もギョっとしたように「入れんの?」とつい尋ねてしまった。

「お、中は案外広いじゃん」
「……せま」

無理やり隣に腰を下ろしたドラケンを見て、万次郎がぼそりと呟く。

「せっかく浸ってたのに」
「はぁ?乙女かよ」
「うるせー…」

いつものやり取りをしていると、少しだけツラい気持ちが和らいだ気がして、万次郎はかすかに笑みを浮かべた。思い出がいっぱいある公園に来たのはいいものの、やはりまだ全てを思い出には出来ない。

「20日間もどこ行ってたんだよ」
「んー…あちこち。ずっとバイクで走ってた。地方とか…」
「そっか…」
「ごめん…心配かけて」
「ほんとだよ…全然電話も繋がんねーから失恋を苦に自殺でもしたかと思ったわ」
「するかよ、そんなこと。オレにはまだまだやりたいことがあんだよ」
「そうだな…」
「その為に…別れたようなもんだし」

最後はぼそりと呟く万次郎に、ドラケンは初めて万次郎へ視線を向けた。その横顔からは心の内まで見て取れない。でもやはりどこか寂しそうだ。

、そろそろニューヨーク着いた頃かな…」
「まだじゃねーの?12時間くらいかかるんだろ?」
「めちゃくちゃ遠いな…」
「そうでもねーよ。行こうと思えば行ける距離だろ」
「行かねえけどな」

万次郎は苦笑しながら、僅かに目を伏せた。

「ケンチン…」
「ん?」
「オレ…に酷いこと言っちった…」
「……そうか」
「初めて……泣かせたかも」
「…うん」
との約束より…仲間との約束を選ぶって……思ってもないこと…っ」
「マイキー…」

肩を震わせる万次郎の頭に、ドラケンはそっと手を置いた。こんなにも弱った万次郎を見たのは、兄を亡くした時以来だった。との別れを選んだことで、どれだけ傷ついているのか痛いほどに伝わって来る。

「はあ……やり直してぇな…」
「やり直す?」
「もう一度…ここでに会いたい……」

心の底から零れ落ちた万次郎の言葉に、ドラケンは何も言うことが出来なかった。例えやり直すことが出来たとしても、ふたりの立場が変わるわけじゃない。結局はまた同じように別れを選ぶことになる。そして万次郎もそれは分かっているのだ。

「もしまたここでに出会えたら…オレ、今度はすぐに告白しない」
「え、じゃあどーすんだよ」
「んー。いい友達って立場をキープして、その間にチームを日本一にする。んで一番になって夢を叶えたらチームは解散して、オレは真っ当な道を歩むんだ。の隣にいれるくらい」
「…そっか。解散すんのか」
「そ。そしたらの父ちゃんに文句は言わせねえ」
「でも手ごわそうだぞ?雪ちゃんの話じゃ」
「でもぜってー負けねえ。あのオヤジにオレのこと認めさせて、そしたらオレに――」

と、そこで万次郎は言葉を切った。ドラケンがふと顔を上げ「、に?」と尋ねると、万次郎は満面の笑みを浮かべて言った。

「プロポーズする」
「……マジで」
「マジだよ。んで三ツ谷にのウエディングドレスをデザインしてもらう」
「あーアイツならセンスいいの作ってくれそう」
「だろ?」
「じゃあ結婚式はオレ、司会な?」
「ケンチン、トーク出来んの」
「……無理か」
「あはは。そーいうのはパーペーコンビだろ。盛り上げ役」
「いや、アイツらグダグダで終わりそーなんだけど」

万次郎の提案に思わず突っ込む。こうして夢を見るだけでも、万次郎は楽しそうだった。

「その夢…今からでも遅くはねーんじゃねえの」
「………」

ふとドラケンが呟く。しかし万次郎の顏から不意に笑みが消えた。

「これからチーム日本一にして…解散して…を迎えに行けば――」
「ダメなんだ…」
「…え?」
「今のオレじゃ…ダメだって別れてから気づいた」
「マイキー…」

真剣な顔で呟く万次郎を見て、ドラケンはふと不安になった。時々万次郎はこういう顔をすることがある。暗い、闇しか見えていないような目をするのだ。

「…マイキーそれは…」
「今のオレじゃを不幸にする。それだけは分かるから…もう二度と会わない。そう決めたんだ…オレ」
「何で…そんな風に思うんだよ…」
「………」

ドラケンの問いに応えることなく、万次郎はゾウさんの中から出ると「帰ろっか」と笑顔で振り向く。だがその笑顔はどこか作り物のように見えて、ドラケンはうすら寒いものを感じた。

「…マイキー…何か悩みがあるなら――」

オレに話せ――。そう言おうとした時、万次郎はふと星一つない夜空を見上げ、呟いた。

「ケンチン…オレ…」

――いつか人を殺すかもしれない。

その凍えるような言葉を吐いた万次郎を、ドラケンは声もなく、ただ見つめていた。