33.始まりの雨―⑶



※この先、最終巻ネタバレあり.アニメ派の方はご注意下さい⚠








2005年――6月。


7年前、武道と一緒に過去へ戻ってから、万次郎は今日という日を心待ちにしていた。雨の降る中、傘もささずにあの場所へと急ぐ。

「待ってよ、マイキーくん!」

その後ろを追いかけて来るのは、花垣武道。タイムリープという不思議な力で、万次郎だけでなく、万次郎の兄、真一郎、妹のエマ、幼馴染の場地圭介、宿敵だった稀咲、そして関東事変で対決した黒川イザナ、三天戦争で非業の死をとげたドラケン、最終決戦で武道を庇って死んだ鶴蝶、三途に殺された武藤ら全員を救った奇跡の男だ。しかしこの時ばかりは万次郎にとって、確実に邪魔者でしかなかった。

「マジ、ついてくんなっタケミっち!今日は大事な日だって言ったろっ?」
「だって今日までに会っても言いたいの我慢しながら接してたんスよー!どんな風にふたりが出逢ったか見たいじゃないっスか!」
「うるせえ!来たらぶっ飛ばすからな!」

雨に濡れることも気にすることなく、万次郎は地面を蹴った。今日は万次郎とが初めて会ったあの雨の日。もう一度、あそこからやり直したい。以前、ドラケンに話した叶うことのなかった夢を、万次郎は叶えようとしていた。

2008年の夏。武道が昔の仲間を集め、東京卍會を結成。万次郎率いる関東卍會と直接対決をしたあの日、不思議な力で奇跡が起こった。
黒い衝動を解放した万次郎と一対一でやりあった武道は、万次郎に殺されたはずだった。そこで万次郎の呪いが解かれ、正気を取り戻した瞬間、何故か武道と万次郎は更に過去へとタイムリープをしたのだ。小学生に戻ったふたりの周りには、亡くなった家族や仲間がいた。生きて再び会えたこと、ふたり揃って更なる過去へタイムリープをしたこと。何もかもが奇跡としか言いようがなかった。

「何が起きた?!タケミっち!」
「分かんないっス!マイキーくん!」

仲良く街中を走り回りながら、これが夢じゃないと分かった時、万次郎が武道に言った。

「オレ…もう一度に会いたい」

そう言って微笑む万次郎の瞳からは、かつての闇が消えていた。

過去をやり直せるチャンスを与えられた万次郎は、小学生の頃からを遠くで見守って来た。いきなり会いに行き、「オレ達付き合ってたんだ」と言ったところで絶対に信じてもらえない。ならばあの雨の日に再び出会うと心に誓った。こっそりを見守り続け、万次郎が中一の時には小6のが不良を注意し、絡まれてるとこへつい助けに入ってしまった。だが顔を合わせてもに万次郎との記憶はない。だから何も言わずにその場から立ち去った。そのあとも、知り得る限りの危険から彼女を守り、武道に「ストーカーっぽくないっスか」と笑われても、万次郎はを見守り続けた。そして遂に、あの雨の日を迎えたのだ。





「だから着いてくんじゃねえ!」
「陰からこっそり見るだけっスよ~!」

結局、武道が公園までついて来たのを見て、万次郎の額に怒りマークが浮き出る。モタモタしていたらがここへ雨宿りをしに来てしまう。

「おい、タケミっち…とクラスメートのオマエがいたらややこしくなんだろ…いいからオレの機嫌がいいうちにどっかに行け」
「…うっ」

久しぶりにマジモードでキレかかっている万次郎に、さすがの武道も怯む。だが万次郎の言い分にも一理ある。武道としても別にふたりの邪魔をしたいわけじゃない。むしろふたりが前のような関係に戻ってくれるまでが自分のミッションだと、今も思っている。武道は万次郎に幸せになって欲しいのだ。

「…分かったよ。マイキーくん。邪魔はしない」
「ならサッサと帰れ」
「…分かったよ…」

鬼の形相で帰れと言われ、武道はしょんぼりと肩を落として帰っていく。それでもまだ諦めきれずに、一度だけ振り向いた。万次郎は前と同じ時間にゾウさんに行ってと会うつもりだ。緊張した様子で公園へ入って行く。

「……ちゃんといるといいな」

前の記憶を持ったまま今の中学校へ入学し、と同じクラスで再会した時は知らないフリをするのが地味に大変だった。知ってることも知らないフリをしなければならない。でも、それももうすぐ終わるんだと思うと、少しホっとするのを感じた。ただ…

(マイキーくん…ホントにと再会を果たしても告白しないつもりなのかな)

いくら過去に戻れたとは言え、ふたりの関係性は変わらない。不良と優等生という壁はそのままだ。だからこそ万次郎は最初の夢を叶えた後で告白すると決めているらしい。

「まあ…の父ちゃんに反対されない為にはそれしかないけど…それまで我慢できるのかな、あの人」

ふとを溺愛していた頃の万次郎を思い出し、武道は苦笑した。その時――何故か公園の中から万次郎が飛び出して来た。

「あれ…どうしたんだろ」

武道は首を傾げつつ、ケータイで時間を確認する。以前、万次郎が雨宿りをしに公園に来た時間から五分は過ぎていた。

「あっ!タケミっち!」
「やべ…っ」

帰ると言った手前、まだ近くをうろついていたことがバレてしまったと武道が焦る。しかし武道以上に焦った様子で万次郎が走って来た。

がいねえ!」
「…えっ何で?!」
「分かんねえよ、オレだって!でも前と同じ時間に行ってもいないし少し待ってみたけど来る気配ねえんだよっ」
「マジ…?え、でもはおばあちゃんの見舞いの帰りに公園に寄ったんスよね?」
「ああ…雨が強くなって傘も忘れたからって――」

と万次郎が言いかけて言葉を切った。

「あ…」
「え?」
「やべえ…」
「な、何が?」

みるみるうちに万次郎の顏が青ざめていくのを見て、武道はギョっとしたように後ずさった。昔の習性・・・・で、こういう時、ビビりな性格が顔を出してしまうのだ。しかし万次郎は放心したように「やべえ。やべえって」とブツブツ言っている。

「マ、マイキーくん…何がヤバいんスか?」
「…助けちゃったんだ」
「…え?」
「雪子がケガさせられねえように…あの日キヨマサを呼び出して雪子とに遭遇させないようにしちまった…」
「……え、それって…」

万次郎の説明に武道は首を傾げつつ考える。確か前にと万次郎が出逢うことになったのは、ケガをした・・・・・祖母の見舞いの帰りに雨に降られ、公園に寄ったからという話だった。しかし今の万次郎の話を聞けば、その祖母がケガをしないよう手を回したというもので、祖母がケガをしていないのなら、そもそもは見舞いにすら来ていない。ということは…

「あーっ!マイキーくん、それ未来変えちゃってるじゃないっスか!」
「……やっぱり?」

そこに気づいたらしい万次郎がガックリと項垂れる。その落ち込みようは武道でも引くほどだった。雨に濡れるのもお構いなしで、自宅方面へ力なく歩き出した万次郎を見て、武道は慌てて追いかけ、持っていた傘を差しだした。

「だ、大丈夫っスよ!この日じゃなくても絶対、マイキーくんとを出逢わせるんで元気出して下さい!」
「…んな上手いこといくかよ。は優等生だろ…?不良のオレと、どこに接点あんだよ」
「で、でもオレ、クラスメートっスよ?会わせることくらい簡単じゃないっスか」
「でもタケミっち、にいつも説教喰らってんじゃん。その枠と同じに見られたらどーすんだよ。最初の印象が大事だろ、こういうのって」
「そ…それは…そうっスけど…」

あまりに気落ちしている万次郎に、武道はどう言えばいいのか頭を抱えた。確かに一つでも歯車が狂えば、前のような関係になれない可能性もないとは言い切れない。ヘタに会わせてしまって上手くいかなかった場合、万次郎の幸せをぶち壊すことにもなりかねないと思った。

「マイキーくんとが上手く行くように引き合わせる方法…あーくそ!分かんねえっ…こうなったら稀咲に助けてもらうか?」

更に過去へ遡った時、武道は稀咲と友達になろうと決めた。そしてそれは上手くいき、今では一緒に東卍の仲間として付き合い続けている。稀咲なら頭もいいし万次郎に有利になるようないい出会いを計画してくれるんじゃないか?と武道は思った。

「あ、ねえ。マイキーくん――」

と顔を上げた時、そこに万次郎はいなかった。前方を見れば、立ち止まった武道に気づきもせず、雨の中、肩を落として歩いて行くのが見える。

「ちょ、マイキーくん風邪引きますって!」

そう言って追いかけようとしたその時、万次郎が前から来た誰かとぶつかるのが見えた。その万次郎に、赤い傘が差しだされる。

「あ…」

万次郎が、ゆっくりと顔を上げた。





万次郎は絶望的な気持ちで雨の中を歩いていた。最初の出逢いをしくじれば、前回と同じ形でに好きになってもらえるかどうかも分からない。それに加えて今回はつき合うまでに長丁場になることを想定していたのだ。その計画を一から考え直さないといけない。や祖母の為に、と前もってキヨマサを抑えていたことが思わぬ形で裏目に出たことで、万次郎は久しぶりに本気でへこんでいた。そのせいで前を見ていなかった。突然ドンと誰かにぶつかり、我に返る。カシャンと何かが落ちる音。しかし突然すぎて足が止まらなかった。一歩踏み出した時、バキっという嫌な音が鳴った。同時に、頭に振り続いていた雨が途切れたことに気づく。

「あの…大丈夫、ですか?」

その声に導かれるように顔を上げれば、自分の方へ赤い傘が差しだされている。見覚えのあるその赤を見て心臓が大きな音を立てた。

「……

思わずその名を口にしていた。

「え…?」

目の前の少女が驚いたように目を見開く。その表情を見た瞬間、万次郎はまずいと思った。ここ・・ではまだ出逢ってすらいないのだ。名前を知っているのはおかしいと思われる。案の定、は首を傾げながら万次郎をジっと見つめている。あの日の記憶と重なる澄んだ瞳に、驚いた様子の自分の顔が映っていた。

「あ…眼鏡…」

そこで気づいた。が眼鏡をしていないことに。そして先ほど聞こえた嫌な音の正体。それは――。

「あっ」

恐る恐る足を退けると、そこには見事にぺしゃんこになった眼鏡が落ちていた。どうやらぶつかった時に眼鏡を落としていたらしい。万次郎は慌ててひしゃげた眼鏡を拾った。

「わ、悪い…これ――」
「ううん、いいの。私もよそ見してたから」
「いや、でも…ないと不便だろ…?」

言いながらも、万次郎は何故がここにいるのかを頭の隅で考えていた。祖母の雪子はケガをしなかったはずだ。なのに何故?という言葉が頭の中をぐるぐる回っている。どこかで未来が変わったようだ。

「ほんとに大丈夫。家に予備の眼鏡があるし」
「でもそれ度が合ってねえだろ?」
「え…何でそれ…」
「あ…」

またしても余計なことを口走り、万次郎は顔が引きつった。しかしこのチャンスを逃す手はない。最初の出逢いとは違うものの、同じ展開になりつつある。

「いや、予備の眼鏡ってそういうもんかなって」
「あ、そっか。でも本当に大丈夫――」
「弁償する」
「え?」
「オレが踏んづけて壊したんだし弁償するよ、それ」

キッパリと言った万次郎に、は少し驚いた顔をした。その時だった。眩い光と共に大きな雷鳴が轟き、目の前のが「きゃあぁぁっ」と飛び上がって万次郎にしがみ着いて来た。

(そ…そうだった…雷!)

すっかりそのことを忘れていた万次郎は雷鳴との行動どちらにも驚き、心臓がバクバクと鳴っている。それでも、腕の中で震えているの温もりを感じ、懐かしさで胸がいっぱいになった。

「…っおい…大丈夫だって」

つい名前を呼びそうになり、ぐっとこらえると、万次郎はそっとの肩に自分の手を置いた。本当なら、このまま抱きしめてしまいたい。でも、今はそれをすべきじゃないことはよく分かっている。
は未だにゴゴゴと地鳴りのようになっている音が怖いのか、「すみません…雷すごく苦手で…」と泣きそうな顔をした。その表情すら、万次郎は覚えている。

「あー…じゃあ…あそこ、入ろう」
「え…?」

雷が近くで鳴っている中、このまま道端で立っているのも良くない気がして、万次郎はの手を引くと、目の前の公園へ入って行く。そしてゾウさんの中へを連れて行った。

「ここなら雷落ちても平気だから」
「…あ…そっか」

トンネルの中に入ったことで安心したのか、はやっと笑顔を見せた。

「あの…ありがとう。何かごめんなさい…足止めしちゃって」
「いや…オレも眼鏡壊しちまったし…。あ、でもこれ弁償すっから」
「え、でも…」
「オレが弁償したいんだよ…絶対・・

そう言い切ると、は不思議そうに首を傾げていたものの、万次郎の思いが伝わったのか「分かった…ありがとう」と笑みを浮かべた。

「あの…オレ、佐野万次郎…」
「あ…私は…
…か。いい名前」

やっと名前を呼べた喜びを隠しながら、前に思ったことを口にする。は少し照れ臭そうに頬を染めたが、ふと万次郎の顔をマジマジと見つめて来た。

「でもさっき私の名前…」
「えっ?あ、いや…気のせいじゃね?」
「でも何か…前にも…こういうことがあった気がする…」
「…っ?」
「あ、いえ…何となく…そんな気がして…私、前にも佐野くんに会ったことがあるような…」

の言葉にドキっとした。まさかにまで前の記憶が残っているのか?と疑問に思う。でもそれは絶対にあり得ない。前の記憶があるのはタイムリーパー自身と、トリガーになった人間だけだというのは分かっている。
その時、が「あ!」と声を上げた。

「もしかして…前に私を助けてくれた…?」
「…え…」

が驚いた様子で万次郎の顔を見つめた。助けたと言われても、今日までこっそり陰ながら見守って来たのだ。覚えがありすぎてどれのことか分からない。

「えっと…助けたって…」
「あ、私が小学校6年の頃、不良たちが道端でおじいちゃんに絡んでたの。注意したら私も殴られそうになったことがあって…その時に助けてくれた人がいたの…」
「………あ」

アレか、と万次郎はすぐに思い出した。顔を合わせるつもりはなかったが、が殴られそうなのを見て我慢も限界で飛び出した時だ。あんな前のことをは覚えていてくれたらしい。

「…名前も教えてくれずにすぐいなくなっちゃったけど…あれって…佐野くん…なんでしょ?」
「…いや…アレは…」

どう応えていいものか迷っていたが、は万次郎のことをハッキリと覚えているようだった。

「ありがとうって…ずっと言いたかった」
「……」

嬉しそうに微笑むを見た時、万次郎は二度目の恋に落ちた。







は万次郎と会った時から不思議な感覚を覚えていた。目を合わせるたび、言葉を交わすたび、それは襲って来る。
私はこの人を知っている――。
記憶ではなく、本能的なものだったのかもしれない。けれども、ふと思い出したのは小学校の時、怖い思いをしたあの日。颯爽とどこからともなく現れた男の子が、怖い不良を一発で倒して、すぐに立ち去って行った時のこと。まるで映画のヒーローみたいに現れて、一瞬で姿を消した男の子。その面影が目の前の万次郎と重なった。

――やっと会えた。

何故か分からないけれど、そんな思いが芽生えた。

「ありがとうって…ずっと言いたかった」

この瞬間、淡い思いが胸に刻まれる。それは必然的なものだったのかもしれない。









「…やっと…会えたな…マイキーくん…

こっそり電柱の陰からふたりの様子を見守っていた武道は感無量で、涙を拭いながら鼻を啜った。武道が初めて過去へ来た日から、色々なことがあった。それをやり直せる奇跡が起きて今日まで、ふたりのリベンジはそれなりに完成形に近づいてきている。あとは万次郎が幸せになるのを見届ければ、武道の全てのリベンジが終わるのだ。

だが武道には一つだけ分からないことがあった。元々いた未来では万次郎とは別れていなかったはずなのだ。巨悪な犯罪グループ東京卍會のトップ、佐野万次郎の恋人として隠された存在だった。それが自分の関わった過去で、ふたりは別れを選び、離れ離れになってしまった。どこで運命が狂ったのかは武道にも分からない。ただ直人が言うには「最初の世界線よりも、きっとタケミチくんに深く関わったことで、何等かの影響が出たんだと思います」ということだった。

「きっとそこで別れた方が良かったんだと思いますよ。もしあのまま佐野万次郎とがつき合い続けていたら、きっと彼女は悪い方へ運命をまげてしまっていたでしょうから。それに――僕らが調べてもその存在すら確認出来なかったことを思えば…もしかしたら最初の世界では亡くなっていたのかもしれない」

直人のその言葉に、武道も何故か分からないがそんな気がしていた。の運命を捻じ曲げたくないと別れを選んだ万次郎を見ていたからこそ、そう思う。

(あの時のなら、マイキーくんが別れを告げなければ、きっと親も、友達も、全て捨ててマイキーくんについて行こうとしたかもしれない…マイキーくんはの父親と話した時、黒い衝動が起きて危険だと判断したって言ってたけど…きっと色んな悪い未来からを守りたかったんだろうな…)

でも、もうそんな未来は来ない。その為に自分はここにいる。万次郎のリベンジまで、あともう少しだ。

「あれ…止んでるじゃん」

気づけば雨が上がっていて、武道が傘を閉じたその時、公園の方から万次郎が走って来るのが見えた。

「タケミっちー!と明日も会う約束できたぞー!」

嬉しそうに走って来る万次郎は、武道が今まで見た中で最高に晴れやかな、いい笑顔をしている。
雨上がりの空には薄っすらと、オレンジ色の夕日が辺りを照らしていた。







すみません。次でほんとに最終話です。