
34.この命が尽きるまで~epilogue~
2006年。年の初め、東京卍會は全国制覇を成し遂げ、名実ともに日本一のチームになった。当初の目的通り、万次郎は東京卍會を解散。万次郎はその日を持って暴走族の総長という肩書から外れた。
それから三か月後――。
「マイキーのヤツ、大丈夫かな」
ポツリと場地が呟く。
「…なーんかオレまで緊張してきた」
春千夜がソワソワしながら言った。そんな二人の呟きを聞きながら、ドラケンは苦笑いを浮かべつつ、雑誌から顔を上げる。
「大丈夫だろ。ちゃんと髪も黒く染めてきっちり真面目な兄ちゃん装って行ってんだから」
「いや、でもさ。の父ちゃんって警察のエリートだろ?せっかく夏休みに帰国したのに、まさか大事な一人娘が男連れて来るとは思わねえじゃん。怒鳴られてマイキーが逆切れしてねえか、そっちが心配だっつーの」
場地は落ち着かない素振りで春千夜と同じように時計を確認している。何だかんだと言いながら、皆が万次郎の恋路を気にかけているようだ。
あの雨の日――と万次郎は再び出逢った。以前の失敗を繰り返さないよう、今度は万次郎も慎重にとの関係を進め、いい友達という立場を一年近くもの間キープし続けた。その間に夢を叶え、先月ちょうど二人が出会って一年目となる日に、万次郎から改めてへ告白をし、OKを貰ったばかりだ。でもその矢先、の父親が夏休みを利用して帰国するとの話を聞いて、万次郎は何を思ったのか「挨拶したい」と言い出した。
「でもさあ、普通付き合ったばかりで親に挨拶しに行くか?マイキー入れ込み過ぎじゃね?」
先ほどから黙々と作業をしていたイヌピーこと乾が苦笑すると、新たに口を挟んだのは、万次郎の兄、真一郎だった。
「いや、おかしくねえ。あの万次郎が初めて好きになった子だしな。もっとずっと先を見てんだよ、アイツは」
真一郎は言いながら額の汗を拭った。
「よし、終わったぁ。おい、場地。メンテナンス終わったぞ」
「おーサンキュー!真一郎くん」
それまで落ち着かない様子だった場地が笑顔で立ち上がる。ここは"S・Sモーターズ"。真一郎の経営するバイク屋だ。
「高くつくかんなー」
「何だと、乾。オマエに見てもらったわけじゃねえぞ、コラ」
それまで機嫌が良さそうにピカピカの愛機を眺めていた場地が、一瞬で目を細める。
「あ?オレがオマエのしょぼいバイク、磨いてやったんだろが」
「あぁ?!オレのゴキのどこがしょぼいってんだ、コラァ!」
「はいそこ!ケンカしないの!」
「イヌピーも年下相手にムキになんなって」
オデコをくっつけ合いながら睨み合っている場地と乾の間に、真一郎とドラケンが仲裁に入る。それを眺めていた春千夜は「めんどくせえ…」とボヤきつつ、こっそり店を後にした。ああなると巻き込まれる可能性が高いと春千夜はよく分かっている。東卍が解散した後も、チームのメンバーとはずっと交流が続いていた。それは良いことだが、何せ個性の強い面々ばかりなので、時々あんな感じで衝突することも多々あるのだ。
「は~あ~マイキーもいねえし暇だな…」
欠伸をしつつ、ぶらぶらとしながら、春千夜は空を見上げた。今日は朝から快晴で、少し暑いくらいの陽気だ。
「あっちー…髪切るかな…」
気づけば肩まで伸びている髪をつまみながらボヤく。そしてふと夕べエマに髪を黒く染めてもらっていた万次郎を思い出した。
「いや…やっぱもったいねえし染めるか…。夏だしなぁ…ド派手に真っピンクとか。目立つんじゃね?」
ニヤリと笑みを浮かべた春千夜は美容室へ向かうべく、口笛を吹きながら軽い足取りで商店街を歩いて行った。
ちょうど春千夜が髪を染めようと思い立った頃、万次郎は緊張の渦の中にいた。目の前には凛々しい顔立ちのの父、晃が座っている。こうして顔を合わせたのは万次郎の中では二回目だ。あの時は顔を合わせた瞬間、「娘とは別れてくれ」と言われたことを思い出す。今回は一応、家の中まで招かれただけ、進歩したなとは思う。ただ依然として目の前の壁は崩れそうになかった。
「…娘と付き合っている、ということかな。佐野万次郎くん」
「はい。なのでお父さんに挨拶をと――」
「…君に"お父さん"と呼ばれる筋合いはない」
「………」
プイっと顔を背ける晃に、万次郎の額がピクリと動く。黒い衝動がなくても、この父親だけは何故か殴りたい欲が湧いてくるから不思議だ。
「だいたい男のくせに髪が長すぎる。前はもっと短かっただろう、君は」
「お父さん…そんなの関係ないでしょ?今は髪の長い子なんて普通だよ」
「は黙ってなさい。父さんは万次郎くんと話してるんだ」
「もう…」
万次郎と晃の間に立たされ、も困ったように溜息をつく。万次郎は髪なんて切らなくても平気だと言い切っていたエマを恨んだ。
"髪染めても長いと何か言われそうだな…"
"だーいじょうぶだよ、マイキー。今はロン毛なんて普通だし。心配なら縛って行けば?"
(――の父ちゃんからしたら全然普通じゃねえ!)
夕べの会話を思い出し、テーブルの下でグっと拳を握り締める。
「あ、あの…髪は切る予定なんで…」
「え、佐野くん、髪切っちゃうの?」
そこでが驚いたように顔を上げた。
「…まあ。夏だし…暑いし」
「でももったいない。佐野くんの髪、凄く綺麗なのに」
「いや、の髪の方が綺麗だって♡」
「え…あ、ありがとう…」
「んっ!んっ!」
「「……」」
そこでわざとらしい咳払いをする晃に、二人は顔を見合わせた。
「僕の前で、そ…そそういうのはやめなさい」
「…あ…すみません」
つい、いつものノリでやってしまった万次郎は素直に謝っておく。怒らせてしまったか?と内心焦ったものの、は笑いを噛み殺している。見れば晃が僅かに赤くなっていた。
「お父さんてば相変わらず照れ屋だよね」
「そっそんなことは今どうでもいい。それより…。オマエは今一番大事な時期だろ。恋愛なんてしてる暇はないはずだ。そろそろ将来のことを――」
「分かってるってば!私もちゃんと考えてるよ。警察学校に入る為に勉強もちゃんとする」
「…え…?」
の言葉に晃が驚いたように目を見開く。晃の夢は娘も自分と同様、立派な警察官になることではあったが、どうも子供の頃からにその気はないと薄々気づいていただけに、今の言葉は衝撃だった。
「オ、オマエ…警察官になると決めたのか…」
「うん」
「どうしてだ…?子供の頃は警察官にはなりたくないと母さんに言ってたんだろ」
「え…お父さん、知ってたの?」
「…母さんに聞いた。でもオマエは警察官に向いていると僕は思ってる。だから――」
と、そこで言葉を切った。が他に将来の夢があるのなら、それはそれで仕方がないと思っていた。そして勉強さえしておけば、選択肢は無限に広がる。晃がに厳しくしていたのはその為でもあるのだ。なのにの方から警察官になると言われ、むしろ知らないうちにの将来を自分が勝手に決めていたのでは、と思った。
「いや…オマエの人生だもんな。オマエが決めたらいいさ」
「お父さん…」
は少し驚いたように父を見つめた。これまで、父がこんな風に言ってくれたことはない。でも本当は、ちゃんとのことを思ってくれていたんだと気づいた。
「…あのね、お父さん」
「ん?」
「私が小学校の時、不良に絡まれて殴られそうになったところを助けてくれた男の子がいるの」
「…何の…話だ?」
顔を上げた晃を、は真っすぐ見つめながら、そのあと隣に居る万次郎に笑みを向けた。
「それが佐野くんなの」
「え?」
「…?」
いきなり過去の話を振られ、万次郎も驚いたようにを見つめた。は二人を交互に見ながら、その時の光景を思い出すように、言葉を続ける。
「私、その時に思ったの。怖い思いをしてる時、こんな風に助けてもらえることが、こんなにも安心するんだって。だからその時初めてお父さんの仕事は凄いなって思った」
「…」
「私も誰かを助けられる人になりたい。だから…自分で決めたんだよ。警察官になるって」
万次郎はその言葉を聞いて驚いた。過去の自分がしたほんの些細な出来事で、の気持ちが大きく変わったことに。
「だからお父さん…佐野くんのおかげなの。佐野くんがあの時、私を助けてくれたから、こう思えるようになった」
「……そうか」
晃はどこか感慨深そうに娘を見つめていたが、ふと万次郎へ視線を向けた。その顏はさっきよりも穏やかに見える。
「万次郎くん」
「は、はい」
「その節は娘を助けてくれて、ありがとう」
「え…いや…」
「君も人を助けられる子なんだと分かっただけでも良かったよ」
晃は笑みを浮かべながら、もう一度「ありがとう」と万次郎へ頭を下げた。その姿を見て、万次郎は以前の世界でドラケンから言われた言葉を思い出した。
"下げる頭持ってなくてもいい 人を想う心は持て"
あの時はよく分からないまま理解しようとしていたが、今ならその言葉の意味をきちんと理解できる気がした。自分の行い一つでの心が動き、晃の心もまた動かされた。誰かを想って行動すれば、それはまた誰かの為になることもある。人を想う心が、また別の誰かを想う心に繋がる。
「お父さん…」
万次郎は遂に晃にも自分の想いが伝わったんだと感動していた。長い間、待って待って、時まで遡り、遂に分かり合える時が来た、と。だが、晃はふと顔を上げると、
「いや、だから君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」
「………」
の父は、まるで難攻不落の城のようだと思った。
「ほんと…ごめんね、佐野くん…。せっかく髪まで染めて来てくれたのに…」
「いや、いいよ。100パーじゃないけど、一応つき合う許可はもらえたし、オレはすっげー満足」
の家を出てマンションのエントランスまで来たところで、万次郎は立ち止まって振り返る。もふと立ち止まって万次郎を見上げた。今は眼鏡も外し、髪も下ろしている。以前よりもは自分のしたいことが出来るようになったみたいだ。
「それに明日のデートのお許しももらえたし?」
「うん、ほんと良かった」
も嬉しそうに微笑む。晃はが警察官を目指すと分かり相当嬉しかったのか、明日の映画デートを許可してくれたのだ。ついでに下着泥棒を事前に捕まえたのも万次郎だと知ると、「万次郎くんも警察官にならないか」とおかしな勧誘が始まった。いきなりのことで困り果てたものの、それだけでも大きな進歩だと万次郎は思った。
「お父さん、口ではあんな風に言ってたけど、多分佐野くんのこと気に入ってると思うな」
「え、そう、かな」
「うん。だから…大丈夫だよ?心配しなくても」
「だといいけど」
「あと警察官にならなくてもね」
のその言葉に、万次郎も笑う。こんな風に、また二人で笑いあえる日がくるなんて、前の世界では思いもしなかった。
「…」
「え?」
が顔をあげた瞬間、ごく自然に万次郎はくちびるを重ねた。この世界では初めてのキスだ。は驚いたように何度か瞬きを繰り返した後、じわじわと頬を赤く染めていく。
「さ…佐野くん…」
「好きだよ、」
万次郎はそっとを引き寄せ、力いっぱい抱きしめた。前の自分が何度も夢に見た、の温もりを確かめるように。
「…オレ…いつかにプロポーズするから、それまで待っててくれる?」
「え…っ?」
「今から予約しとくのは…ダメ?」
腕の力を緩めて、万次郎が微笑んだ。失った時の痛みは今も覚えている。もう二度と、あんな痛みは知らなくていい。ふわりと風が動いて、万次郎の胸元にが顔を埋めた。
「……ダメじゃ…ない」
そう呟くの耳は赤かった。一陣の風が吹き、彼女の綺麗な髪がさらわれていくのを、そっと手で押さえて、もう一度抱きしめる。今度こそ、この温もりを手放すことはしない。
皆に生かしてもらったこの命が尽きるまで、永遠に。
完。
前話で終わる予定が後日談まで書いたら、こっちの方がラストっぽくなったので一話分が増えました笑
そして終わりました。去年の6月から書き始めて無事に終わることが出来ました。
どの世界線で終わらせようかと考えてましたが、最初の出逢った世界線だとマイキーの闇落ちもあってハッピーエンドは難しいと悩んでました。
大事な人を失った悲しみでの闇落ちかと思っていたら全く違う呪いだということも分かったので、ますますハッピーはないなと…。
そして原作の最終巻を読んで、やはり一番最後の世界線が誰も死なず、黒い衝動も浄化してるのでこれしかない!と思ってラストを変更しました。
なので最終巻同様、少し強引な感じとなりましたが、最後までお付き合い下さった方がいるならば、本当にありがとう御座いました♡
原作のマイキーが幸せなラストで良かったという思いで終わりたいと思います。
By.HANAZO / 2023.3/11